なんともまあ、浮かれた雰囲気である。
校内外のあちらこちらが華やかに彩られ、どこもかしこも賑々しく喧騒が絶えない。

「そういえばなまえ、あの手首の捻挫?だっけ、治ったん?」
「うん、全快ー」
「よかったね。結局原因なんだったの」
「わかんないんだけど、電車の吊革のせいかなとは思ってる」
「吊革?なんで」
「吊革掴んでる時に、電車が揺れてこう、ぐりっと」
「そんなことあるか?」

衣装に着替えながら言えば、「それはないだろ〜!」と笑われた。いや可能性としてはあり得ない?と食い下がろうとしたところで、教室にバタバタと何人かが駆け込んでくる。

「やっばい、めっちゃしつこい、むりむり!」
「既に疲れたんだけど!」
「ちょ、皆ウチら匿って!」

さっとわたしたちを盾にするように後ろに回り込んできたクラスメイトに、一体何事だと目を白黒させ、その顔を見て更に驚いた。
「え、化粧濃くない?」思わず零せば、うそやっぱり!?と悲鳴に似た声が上がった。

「うわホントだ。どうした?いつもキレイに顔詐欺ってるじゃん」
「やっぱ濃い?あー、気合い入れすぎたな……」
「てか匿うってなによ?」
「いやさあ、さっきあなた達顔つくりすぎってエツコさんに追い駆けられてな!?」
「マジ?エツコさんもうすぐ還暦じゃなかった?そんな人走らせるなよ」
「だってクレンジングシート持って迫ってくるから怖くて!」
「うっそ、それは笑うわ」
「言うてエツコも気合い入ってたよな!?口紅真っ赤だったもん!」
「とりあえず、化粧直しな〜」

美容の鬼たちの感覚をも狂わせる一大行事、文化祭の開幕である。



学年主任に追い駆けられたというクラスメイトたちも、顔を調整しそれぞれ持ち場についた。
出逢いのチャンスを無駄にしないため、という想いのあまりつい化粧に力が入ってしまったらしいが、そもそも入場がチケット制なので彼女たちの求める様な「出逢い」はほとんどないし、いざ同年代の男子を前にすると実際に声を掛けるのは躊躇ってしまいがちだ。反対に、女子校に来て女だらけの雰囲気にも物怖じせず声を掛けてくるような男は碌なものではない。
そのことを去年の文化祭で散々味わったはずなのに、クラスの出し物を飲食系にするかエンタメ系にするかの話し合いで、「より出逢いがありそうだ」という理由でエンタメ系を選択した女たちのなんと強かでたくましいことか。

「みょうじー、特別棟行こー」
「はーい」

各々スタンプを持ったクラスメイトたちが校内に散らばり、ヒントを元にその人たちを見つけスタンプを集めれば景品と交換するスタンプラリーが我がクラス、二年E組の出し物だ。
その配置を決める際、実は大分揉めた。
学校の正門近くや校舎入口等、人が多く集まる場所の方がその分仕事は大変だけれど出逢いが転がっていると、壮絶なじゃんけん大会が催され、人のあまり来ないであろう校長室付近や駐輪場付近なんかの配置になった何人かは絶叫していた。
わたしと一緒に離れにある特別棟の担当になった子は、「人が来なくて楽」とからから笑っていて、その考えに全面的に同意だ。

「みょうじはアレ、いらないの?」
「どれ?」
「彼氏」
「え、欲しいって言ったらつくれるものなの」
「みょうじなら出来んじゃん?」
「適当だ〜」

そういう彼女は確か他校に彼氏がいて、今日ここに呼んでいるのかと訊けば「こんな危ない場所に呼べないよ」と今度は豪快に笑っていた。
わたしはと言えば、配られたチケットを渡す相手が結局いなくて、適当にクラスの子たちに譲っている。

クラス間の連絡は主にケータイでのメッセージのやりとりで行われ、各場所の状況を逐一知らせるようになっている。お前マジで充電しとけよと、クラスの子に釘を刺されたので今日のわたしのそれは仕事を全う出来る状態だ。
文化祭の開場を知らせる校内放送を聞きながら、事前に配られたパンフレットに目を通す。美味しいもの食べられたらいいなあと、わたしは色気より食い気に心躍らせていた。



「みょうじー、電話鳴ってるー」

ぽつぽつと訪れる参加者にスタンプを押しつつ、今度ここを受験する予定だという中学生にいろいろ質問を受けたり、迷ってしまった参加者を案内したり、隙を見てお昼の買い出しに行ったり。
今まさに買ってきたたこ焼きに手を掛けたところで、ケータイが震えた。長机の上で振動するそれに手を伸ばそうとして、その手がソースで濡れていることに気付く。たこ焼きのパックすらまともに開けられないらしい。
教えてくれたクラスメイトに、誰からの着信か訊けば同じクラスの人の名前が返って来て、それなら多分業務連絡だろうなと思い「出てー」と横着して頼めば「ハイ、こちらみょうじのケータイ」と電話を取りスピーカー設定にしてくれた。

「あ、みょうじさん、いま大丈夫?」
「うん、どうした?」
「えっと、私、今日入場の受付やってるんだけど」

そういえば彼女は文化祭の実行委員の一人で、クラスの催しより文化祭全体の仕事を優先しなければならないと言っていたなと思い出す。ということはもしかして、スタンプラリーに関する連絡事では無いのかもしれないと思いながらも続きを促した。

「それで、あのー……みょうじさん、この前駅で共学の男子に呼び止められてたじゃない?」
「え?」

この前、駅、共学の──。全く予想していなかった単語がいくつも聞こえたが、それが何の事だかはすぐに理解出来てしまった。
どうして今それを、と不思議に思いながら曖昧な苦笑いで返せば、「あのね」と電話越しの声がどうしてか硬くなったのがわかった。つられてこちらも、ひっそりと息を呑む。

「多分、その人が来てる」
「……え、」
「実はあの時私も駅に居て偶然見ちゃってたんだけど、いまなんか見覚えのある人いるなーって考えてたら……、間違いないと思う」
「う、うん」
「その人っていうか、共学の男が何人か集団で来てて、いま運営側も先生たちも目光らせてるのね」
「うわ〜……」

隣でにやにやして聞いていたクラスメイトも、次第に「マジ?誰がチケット流したんだよ」と頬を引き攣らせていく。実行委員の彼女が言うには、件の男子は他の男子に無理矢理連れてこられたように見えたらしいけれど、一応連絡しておくねとわたしを気遣ってくれたようで。
通話を終えて、隣で粟立った腕を擦る彼女に恐る恐る目を遣る。

「……いやでもさ、わたしがどうとかじゃなくて、ただ文化祭に来てみたかっただけとかでは……」
「それは甘くね?そのー、なんとかくんがみょうじ目当てじゃなくてもここに来てるのは事実だし、人って集団で悪ノリしたら何するかわかんないじゃん」
「あー」
「ウチの女共もさ、あの時あんだけ騒いでたんだから、これ知ったら静かにはしてないと思うけど」
「……はい」
「別にみょうじが彼氏欲しくて、出逢い求めてるっていうなら協力してやらんこともないけどさあ」
「……ありがとう」
「いや、顔。おもいっきり顔に出てるからな?」
「彼氏欲しいですって?」
「バカ、逆だわ」

それなら会わないに越したことはないよ、とわたしの背中を軽く叩いた彼女にぎこちなく頷いて、少し冷めたたこ焼きをようやく口に運んだ。



スタンプラリーに参加してくれた料理部の子から差し入れで手作りのお菓子をもらったり、また受験予定の中学生からの質問に答えたり、卒業生の先輩に何年何組の出し物おもしろかったよと教えてもらったりしながら、割に平穏な時間を過ごした。

「中学生に、出逢いありますよーって言えばよかったかもね」

「彼氏って出来ますか」「男子と会う機会とかありますか」と目を爛々とさせて訊いてきた中学生たちを思い出して笑った彼女に、「右見ても左見ても女だし、先生も女の人かおじいちゃんじゃん」と返せば、「いや、このお姉さんみたいな出会い方もありますよって」やっぱり笑いながらわたしの顔を指差した。思わずその指を握って力をこめる。

「自分だって彼氏出来たの高校入ってからですよね。そのデアイ話してあげればいいのに」
「痛い痛い、ごめんて……、!」

不意に廊下の向こう側から、賑やかな声が聞こえてきた。ハッとして二人で顔を見合わせる。

「男じゃね、これ」
「男だね」

それも若い感じのが、複数。きっと二人とも、同じ考えが頭を過ぎった。
──もしかして、共学の。
どうしよう、いやどうしようって言ったってどうしようもないな。そう半ば開き直ったわたしに対して、彼女はひとつ頷いた後、なんとわたしを空き教室に押し込みピシャリと扉を閉めたのだった。「え、ちょっ、ええ?」「喋んなって」言われて口を噤む。いや、でも、一人で大丈夫か?
困惑と焦りで扉を開けようとするも、外から押さえているようで簡単には開かず。そうこうしているうちに声が近付いて来た。

「あ、みっけ。スタンプラリーの子でしょ?スタンプくださーい」
「はーい、ご参加いただきありがとうございまーす。用紙お借りしますね」
「あざーっす。見てこれ、俺らすごくない?ほぼ埋まってんの」
「本当ですね、結構な数集めないといけないのにスゴい」
「だべ?これ景品って何もらえんですか?」
「それは交換するときのお楽しみですね」
「マジかー。女子校の文化祭って凝ってんね、こいつが妹ちゃんにチケット押しつけられたって言うから付き添いで来てみたけど、見てて楽しいわ」

じゃあオネーサン頑張ってね、と聞こえたのを最後に遠くなる足音。その数秒後にガラリと開いた扉。

「笑うわ、普通に善良な参加者だったっぽい」
「善良って……、よそ行きの声だったね」
「うるせーわ」

冗談だよ、ありがとう。
そっと差し入れでもらったお菓子を差し出せば、なにこれ鶴の恩返し?と笑われたけれど、わたしは鶴じゃないしあれはそんな話じゃないだろとこっちも笑えた。



「なまえー!!」
「うわ、なに」
「なんでケータイ出ないの!?」
「なんの話でしょう」
「は!?めっちゃ電話したじゃん!」

そろそろ文化祭も終わりだ。
持ち場から戻るまでの間に見つけたクレープを片手に教室の扉をくぐるなりそう突撃されて、スカートのポケットに突っ込んでいたケータイを取り出す。画面は真っ暗、うんともすんともいわない。「今日はフルで充電しとけって言ったべ!?」「してた、してたよ!」怒られて、今日一緒に仕事をしていた子に助けを求めれば「してたけど、もうそれバッテリー劣化がひどいんじゃね?」と多分正解であろうお答えをいただいた。
すみませんでした、と頭を下げれば「もうお前それ機種変しろ」と呆れられ、かと思えば「彼氏出来てないよね?」とよくわからないことを言われる。

「なに?できてないです」
「よし、えらい」
「ありがとう?待って、なんの話」
「今日、この間の王子がウチ来てたらしくてさあ!絶対なまえ目当てだと思って、」
「待て、オージってなに、誰」
「王子は王子!この間駅であんたに声掛けたナンパ野郎!」

王子なのか、ナンパ野郎なのか。どちらにしろなんともな言い種だ。
出逢いの可能性を潰すためになまえの居場所確認しようと思って電話掛けたのに全然出ないんだもん!声高に一息でそう言った彼女に、「ああそっち方面に騒いだか」と感心したような納得したような呟きが隣から聞こえた。

「会ってないよ」
「それならよし」
「そっちは彼氏できた?」
「は?殴るぞ」

こわーい。


「みょうじはさ」
「うん?」
「アレ、彼氏いらないの?」
「それさっきも言ったやつだ」
「いや、真面目に」
「真面目に?」
「別に彼氏じゃなくて彼女でもいいけど、とにかく恋人」
「恋人〜……」
「興味無い系か」
「いやー、うーん……」
「何その煮えきらない返事。なんかあんの?」

恋人ができるって、つまり大切なものが増えるってことでしょう。

「欲しいって言って、出来るものでもないし」
「またそれか。でもみょうじはつくりにいこうともしてないじゃん」

思うのだ。大切なものが増えたところで。

「結局人ってそのうち死ぬしなあ」
口の中で零した一生誰にも聞かせる気のない呟きは、クレープと一緒に飲み込んだ。

星になるための仮眠


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