今朝は寝癖がとれなかった。
器用ではないなりに、どうにかして変に癖がついている髪を伸ばそうと頑張ったのだけれど、朝の短い時間ではどうにもならなかった。
仕方なしに家を出て、学校へ向かう電車に揺られながらも、やっぱり髪が気になって気になってしばらくそれを引っ張って伸ばしていた。しかし依然、変わりは無い。
髪型ひとつで鬱々としてしまう自分が面倒臭いけれど、まあ嫌なものは嫌なのだ。

でも学校には「美容の鬼」と言っても過言では無い人が何人もいるから、その人たちにお願いすればどうにかしてもらえそうだなと、学校の最寄り駅に着いた時には少し気分が軽くなった。
彼女たちはメイク道具は勿論のこと、ヘアワックスやスプレー、コームやダッカールやらに加えヘアアイロンなんかの大物道具までも所持している。強い鬼たちだ、希望が見えてきた。
早く学校へ行こうと、足取り軽く電車から降りたところで誰かから腕を引かれた。

発車した電車が残していった風が、容赦無くばさりと髪を煽っていった。



「ねえ!ねえねえ!ねえー!聞いて、聞いて!!」
「みんな聞いて!!スクープ!!」

朝のHR前から我がクラスは騒がしい。
教室に駆け込むなり口を開いた彼女たちに、お前らうるっせーよと、学校が目指している「淑女」からは程遠い言葉遣いであちらこちらから文句が飛んでくるけれど、そんなのはおかまいなしでわたしの腕を引いた二人はきゃいきゃいと高い声で「いいから聞いて!」と更に続ける。

「さっき!さっき駅でね!」
「ね!マジ動画回しとけばよかった!!」
「それな!」
「いやマジでうるせえな、なんなの。早く言えよ」
「つかなまえはどうしたわけ?」
「頭ボサボサじゃん、なまえちゃん」

わたしの名前が出たことに、二人はにんまりと顔を見合わせて笑ったかと思うと高らかに言った。わたしは自然と目を細める。

「なまえがさっき、駅で男子に告白されてた!!」

しんと、一瞬にして水を打ったように静まり返った教室が、二秒もしないうちに爆発したみたいにうるさくなる。
相変わらず癖がついたままの、それどころか朝一よりもひどくなっている髪の毛の束を掴んで見つめれば、まだ授業も始まってないっていうのに既に帰りたくて仕方なくなった。


「それで!?どういうこと!!」

朝のHR終わり、担任が教室を出て行ったのと同時にわたしも立ち上がって脱兎の如くその場から逃げ出した。
さっきは囲まれそうになったところに本鈴が鳴り、担任が教室に来たのでどうにか免れていたのだけれど、今は取り囲まれる道しか見えない。逃げるが勝ちだ。

「あ!逃げたっ」
「逃げ……、足遅いなあアイツ」
「まあみょうじにはあとで訊くとして」
「駅って何?ウチらの最寄り?」

聞こえてきた声はまるっと無視したけれど、無視したところできっと、朝わたしを連行した二人が輪の中心となってあれこれ話が進むんだろうなと容易に想像が出来た。
髪の毛、助けて欲しかったんだけどな。
まあそれもこれも、わたしが今朝駅のホームで他校の男子に呼び止められたのを目撃されたのが悪いのだけれど。不可抗力というか、学校最寄りの駅で同校生に見られない方が無理な話といえばそうかもしれないが。



電車から降りたところで唐突に腕を引かれたことにまず驚いて、反射的に振り返れば見覚えのない男子生徒がそこに居たものだから、また驚いた。
誰だ、何だ。
もしかしてわたしは気付かぬうちに何かやらかしてしまったのだろうかと内心どぎまぎしながら目を白黒させていると、その人は「あの!」と少し上擦った声で言った。少し俯きがちの視線が次第にわたしに定まるように持ち上がり、はっとしたようにわたしの腕を離す。
いきなり掴んですみませんと焦ったように謝るその人に、わたしは曖昧な薄い笑みを浮かべた。どうかしましたかと至極当然の疑問を投げかけ、彼の短く切られた前髪をなんとなく眺める。
そういえばわたしは、同世代の男子ってご近所さんの彼とその部活のチームメイトさんぐらいしか関わりがないなとぼんやり思っていると、「女子校のっ」と今度は変にひっくり返った声が耳に届いた。

「そこの、女子校の、に、通ってますよね!」
「そう、ですね……?」

噛みながら言われた言葉に、一度首を捻った後で、彼が着ている制服がウチと最寄りの駅が同じ共学校のものだとようやく気付く。ウチの学校に何か用事でもあるのかと考えている間に、やはり共学の二年生であることと自身の名前を彼は、また少し噛みながら口にしたのだった。



「いやー、無いわ。そんな人目につくところで言うかあ?」
「え、よくない?それだけ必死だったってことじゃん?」
「ていうか何、それ一目惚れってこと?そんなんマジであんの?」
「なまえ、見た目はかわいらしいお嬢って感じだからね」
「お嬢て。この間、自分の体の幅わかってなくて思いっきり壁に肩ぶつけてた女だぞ」
「しょっちゅう何もないところで躓く女だぞ」
「てか今時そんな告白の仕方ある?すごくね?」
「お前が読んでる少女漫画そんな感じだったじゃん」
「いやあれは漫画じゃん。え、それがスタンダードなの?やっべ、男と触れ合い無さ過ぎて何もわかんね」
「つかなまえ、生きてるこれ」

結局は捕まって。
好き勝手に喋り倒す面々の声を聞き流しながら、机に顔を伏せる。

「どんな人なの?あそこの共学でしょ?」
「共学とか、普通に女いるじゃん!なんでわざわざこっちに目つけてんだよー」
「え、冷やかし?」
「そんな感じじゃなかったと思うけど……、爽やかなスポーツマンって感じの人」
「SNSとかやってないんかな。誰かあそこに知り合いいないの?」
「あ〜、あたしも彼氏ほしー!」
「なまえおーきーてー!なんて返事したのー」

身体を揺すられて、渋々顔を上げる。「うわ、めっちゃ不機嫌」その自覚はあった。いくつもの視線が自分に集まる。自然と眉間に皺が寄った。

「……髪の毛やって」
「は?」

くるりと変な方向を向いている髪を引っ張りながら言えば、「やってやるから、そしたら吐けよ」と笑われた。



「なまえ先輩っ!」

呼ばれて振り返れば、見知った顔と見知らぬ顔のふたつがあった。
一人はたまにお世話になっている料理部の一年の子で、もう一人は覚えがない。どうしたのかと訊けば、料理部の子がもう一人の背中をとんと軽く押し、押された彼女は半歩前に出て手を自身の胸の前でぎゅっと握った。

「あ、あの、みょうじ先輩!」
「うん、はい」
「彼氏さんが出来たって本当ですか!」

全くの予想外にも程がある言葉に、え、と間の抜けた声が零れていた。一体なんの話だと一瞬だけ考えて、ああ今朝の、と思い当たる節があったがまさか一年にまで事が届いているとはと驚愕する。しかも尾ひれがついている。
一体どこでどう聞き及んだのか尋ねるのも恐ろしくて、「いいえ」と一言だけ返せば途端にその子の顔がぱっと輝いた。
……わたしに彼氏がいないことが、そんなに喜ばしいことなのだろうか。これは新手の先輩いじめか?と若干の悲しみと戸惑いを覚えて料理部の子に視線を投げれば、その子はちょっとだけ苦く笑い、「なまえ先輩のファンなんです」と隣の彼女を指差した。
ファンってなんだ。



そもそも、告白なんてされていないのだ。
呼び止められて、名乗られて、連絡先を訊かれただけ。ただ、それがどういう意図であるのかは彼の耳まで染まった赤を見れば嫌でもわかってしまったけれど。
初めてのことで、どうすればいいのか心底迷った。こんな目立つ場所でなくもう少し配慮してほしかった、なんでわたしのことを知っているのか、人違いではないのか、連絡先を知ってどうするつもりか、髪の毛今ひどい状態なんだろうな。いろいろなことを同時に考えたけれど、目の前のひどく緊張した様子の男の子を見てしまったらそれを無下に冷たくあしらう勇気も無くて。
結局はケータイを取り出してみたのだけれど、タイミングがいいのか悪いのか、充電切れで画面はうんともすんとも言わなかった。まだ朝なのに。やはりわたしは携帯電話というものを所持するのに向いていない。
困ったような苦笑を浮かべるその人には申し訳ないと思いつつ、どこかホッとしている自分がいた。


ピンポンとインターホンを押せば、少ししてから家の扉が開く。人には確認してから開けろと言うくせに、自分はその範疇に無いらしい。

「なまえじゃん。何?」
「……じいちゃんからのお裾分け」
「おー、梨。どうも……、なんでお前そんなおもしろい顔してんの?」

してない。
訝し気にこっちを見てくる堅治を、無言でじっと見上げれば「あ、梨?なに、食いてえの?」なんて言ってくる。別に、家にもまだあるし、そこまで食い意地張ってない。
口を開かないまま手招きをすれば、不思議そうにしながらもこちらに身を寄せた堅治。腕を伸ばし、その耳を左右に引っ張る。

「……いや、何してんの」
「耳をね、引っ張てる」
「誰がそのまま答えろっつったよ。マジで何?お前自分で梨剥けないからって八つ当たりしてんの。どうせその髪も人にやってもらったんだろ」
「剥けますけど!なんで髪の話が出てくるんですか」
「普段よりちゃんとしてんじゃん」
「普段がひどいみたいな言い方!」
「ハイハイ。で、何」
「……なんとなく?」
「はあ?」
「気分転換」
「人の耳でか?」
「そんな人いる?」
「お前今自分が何してるか知ってる?」

結局このあと二口さん家で、どっちが皮を剥くのが上手いか試してみたが、わたしがうっかり包丁を滑らせて危うく梨が血まみれになるところだった。
堅治には呆れながら怒られて、最後はやっぱり呆れながら笑われた。

:

申し訳ないなとは、思う。思うけれど、それ以上に面倒臭いという感情が大きく働いてしまうのだ。
明日から電車の時間を一本早めようと考えているわたしは、どうにも性格が悪い。

故意に煩い


- ナノ -