風呂上がりに髪をタオルで拭いていたら、なんだかガヤガヤと騒がしい音が聞こえたような気がして、なんだろうと不思議に思いながら洗面所の扉を開ければ瞬間ドカンと何かが爆発したような音が廊下に響いた。
驚いて思わず足が止まってしまったけれど、すぐにああもしかしてと何事か予想がついて居間へと足を進めれば、近付くにつれ聴こえる音が大きくなっていく。

「…………」
「…………」

派手な音が響く中、無言でコントローラーを握る二つの背中があった。カーペットの上でだらりと横になる次兄と、クッションを抱えて胡座を掻く堅治だ。
音量デカすぎじゃない?床じゃなくてソファに座れば?なんて思いながら、わたしに気付かずテレビ画面に集中している二人の後ろに立って、自分も画面に目を向ける。
随分と懐かしいゲームを掘り出してきたものだなと、幼い頃から我が家にある使い古されたハードとソフトを見下ろせば昔の記憶がいくつか蘇った。わたしも昔はよく遊んだもので、兄二人とそこに堅治と、たまに両親や祖父母を加えて騒ぎながら対戦を──、

「うっわ!?」

なんて考えていたら唐突に堅治がひっくり返った声で叫んで、勢いよく振り返った。その目はまん丸に見開かれていて、一体何事かとわたしもおんなじような顔になる。ついでに兄も似たような顔でわたしと堅治を見比べていた。
本当にわたしの存在に気付いていなかったらしく、別に声を掛けて驚かせたわけでもないのにどうしていきなり振り返ったのかとこっちが驚いていると、堅治は首に手を当て半目になって「お前な」と呆れ顔で言った。

「え、なに」
「髪。水が首に掛かったんですケド」
「そうなの?ごめん」
「乾かせちゃんと」
「ハイ」

わたしが悪かったらしい。
タオルで拭いただけの湿った髪から気付かぬうちに水が垂れ、それが彼の後ろ首に落ちたようだ。それはごめんと申し訳なく思うのと同時に、でもちょっと驚きすぎじゃない?と先程の彼のリアクションを思い出しておかしくなる。

「なに笑ってんだよ」
「今期リアクション大賞受賞おめでとうございます」
「あ?」

わたしに凄んでいる間にドカーンと一際大きな音が響いて、堅治の負けが決まった。



「ドライヤー持ってこい」と据わった目で言われたから、素直に洗面所へと引き返した。
途中で、あれ、「乾かしてこい」じゃなくて?と不思議に思ったけれど言葉通りにドライヤーを持って戻れば「ん」と手を伸ばされて、何も考えずその手にドライヤーを渡したのだけれど特に文句も言われず、更には今まで堅治が座っていたスペースを譲られる。ついでに兄からは、堅治が使っていたコントローラーを渡された。
なんだこの状況は、と手の中のコントローラーを眺めている間にゴオッとドライヤーから温風が送られてきて、テレビからは軽快な音がまた流れ始めていた。
ドライヤーの送風音に負けずにしっかり耳に届くって、やっぱりテレビの音量大きすぎじゃない?と思ったけれど、それを口に出す暇もなく画面は進行していく。

「お前2Pな」
「あ、うん……いや、なんで?」
「俺が1Pだから」

当然のようにそう答えた次兄だが、何故自分が2Pであるのかという理由を尋ねたわけではない。
ゲームは据え置き型も携帯型も、はたまたゲーセンの筐体なんかでもよく遊んだし嫌いでは無いのだけれど、どうもわたしにはセンスというものが無いらしい、次兄曰く。
そう言って昔から人のことを馬鹿にしているくせして対戦相手に選んでくるとは、これ如何に。
何かと文句はあれど、既に始まってしまったものを放棄するのもなんだか癪で、仕方なしにわたしは言われた通り2Pのキャラクターを、兄とその他CPをボコボコにするために操作するのだった。


「あーっ!!」
「ははーっ!甘いぜなまえ!」
「信っじらんない!」
「ごめんな、兄ちゃん強すぎて」

結果、ボコボコにされたのはわたしの方だった。高笑いする兄を睨めば、気にした様子もなく人を小馬鹿にしてくる。
途中まではわたしの優勢だったのに。昔からそうだ。

長兄は年下であるわたしたち弟妹や堅治にそれとなく勝ちを譲ってくれていたし、勝ったからといってそれを鼻にかけることはまずなかった。
しかし次兄はといえば、そこら辺は容赦がないどころか、途中までこちらが有利だと思わせるような展開をつくり、これは勝ったなと気分を良くしたあたりで怒涛の逆転劇を仕掛けてくるという非常に質の悪い性状と技術を持ち合わせていた。そうして自分が勝利を掻っ攫い、年下を平気で絶望させるのだ。
それだけの技量を持っていることは大いにスバラシイのだけれど、昔はそれでよく取っ組み合いの喧嘩に発展し、兄妹揃って親に雷を食らっていたものだ。

今回も見事にそのパターンである。さすがにもう、泣いて暴れたりはしないけれど。「……わたしが小学生だったら、兄ちゃんに掴みかかってた」「なまえももう高校生だもんな」そうですよ、小学生じゃないことに感謝してほしいですね。

「二度と兄ちゃんとは対戦しない」
「ハイハイ。じゃあ俺寝るわ。堅治あとよろしく」
「え!なにそれ、ええ……」

さっさと立ち上がって扉の向こうに消えた兄の背中に勝ち逃げ!と投げ掛けたところで、それは届かず。よろしくされた堅治はと言えば、いつの間にやらドライヤーを終えていたようで大欠伸をかましていた。
壁に掛かっている時計を見ればそろそろ日付を跨ごうとしていて、眠くて道理だと納得する。

「髪、ありがとうございました」
「おー、どういたしまして」
「堅治はゲームしに来たの?」
「なんか兄ちゃんが暇なら付き合えって。さっき」
「呼び出したのに先に寝たの、あの人。いい加減じゃん。帰る?」
「んー」
「明日、練習は?」
「あー、午後から?」

眠そうな態度に反して彼はのそりと腰を上げたかと思えば、ゲームソフトが詰め込んであるプラスチックの収納ケースを漁り出した。帰らないのか。
テレビの音量を下げつつ眺めていたら、彼はそこからいくつかを取り出してそのうちのひとつを本体にセットした。帰らないんだな。

「なまえ、2Pな」
「なんで」
「俺が1Pだから」

このやりとり、さっき違う人ともやったぞ。



「わーっ!」
「うるせ」
「待って!一回待って!」
「ムリー」

1P WINの文字が、騒いでいる間に画面上に踊り出る。今のは1Pの男が明らかにわたしのミスを誘っていたし、わたしはそれにまんまと嵌まってしまった。馬鹿だったと項垂れるわたしの横で、堅治はさっさと新しく別のソフトをセットしている。

年下に寛大な長兄と、年下だろうと容赦しない次兄。その恩恵と苦汁を与えられてきたわたし。
そしてその中で、一番上手く立ち回ってきたのが堅治だ。時にはわたしと協力して次兄を嵌め、時にはわたしを囮にして自分が勝利を掻っ攫う、そんなカシコイやり方のせいで兄にシメられることもあったし、わたしと大喧嘩になることもあった。

「なまえ、そこ右」
「え、左だよ」
「右だわ」
「左だって」

もうそれで喧嘩をするような歳では無いけど、なんて思った矢先に喧嘩が勃発しそうで思わず笑いそうになる。今よりも幼い頃に遊び倒したゲームだ。勝手は分かりきっているものの、お互いの記憶に多少の齟齬はあるらしかった。

「どう考えたって右だろ」
「左だってば。絶対左」
「はあ?お前コレ、間違えたら即死のやつだからな」
「知ってるし、左だし」
「右」
「左」

お互い自分が正しいと、睨み合ったところで譲る気は無い。いつの間にやら、笑っていられない状況に変わっていた。これはもう取っ組み合いで決着か?全く勝ち筋が見えないけども、なんて半ば自棄になったところでふと思い出した。

「あ、攻略本」
「は?……あー、あれか!」

わたしの呟きに、堅治も思い当たる節があったようでひとつ手を打った。「どこある?」「わたし……、か、兄ちゃんの部屋」それから二人して階段を駆け上がり、彼はノックもそこそこに次兄の部屋を勢いよく開け、わたしはわたしで自室に駆け込んだ。
時刻は真夜中である。

「兄ちゃん、攻略本どこある?」
「…………あ?……るっせ」
「勝手に部屋漁ってイイ?」
「……おー……」

斜向かいの部屋から聞こえてくるやり取りに、兄は確実に寝惚けているし絶対に何を言ったか後で覚えていないだろうなと思ったけれど、「是」が返ってきたので一応言質は取れている。存分に探してもらおう。

攻略本、というのはゲームの公式が発行している立派なもの、ではなく。
幼い頃わたしたち兄弟とご近所さんな彼がプレイ中に見つけ出したルートや裏ワザ、各種の呪文なんかを大学ノートに自らの手で書き記したもののことだ。
決して上等なものでは無いし、下手くそな字と絵でしっちゃかめっちゃかな出来ではあるけれど、それでもなかなかに優秀な一冊なのだ。それに揉めたルートの答えが載っていたように思う。

「……うるせ……、あ!?なんで堅治がい……、待て!お前そこの棚は触んなっ!」
「えー?なんかヤバイの入ってんの?18禁?」
「レポートの資料並べてんだよ……、つかマジでなんでお前ここに居んの……」

あの人たち、今が何時かわかってんのかな。でっかい声でまあ。
既に就寝しているであろう祖父母から苦情が入らないことを願いながら、無事自室から発掘出来た年季の入った一冊にわたしはにんまりと笑みを浮かべるのだった。



「真ん中じゃん」

結果、二人とも間違っていた。
右でも左でもなく、正解は第三の選択肢。

「堅治の記憶、当てになんないね」
「そっくりそのまま返すわ」

間違ったら終わり、というのは確かに覚えていたのに。記憶の仕組みって、謎だ。
また新たなソフトをセットしている堅治を欠伸混じりに眺めながら、今日の事もいつかは忘れるんだろうかとなんとなく思った。



「なまえー、堅治ちゃんも、朝ご飯どうする?」

名前を呼ばれた気がして、目を開ける。ゆっくりと身体を起こせば、「起きたね。どうする?食べる?」菜箸を片手にそう訊いてきた祖母に、未だ眠気に片足を突っ込んだままおはようといりますの二つを返した。
はてさて。どうやら昨日は居間でそのまま寝落ちしてしまったらしい。二人して。すぐ近くに転がる、薄い掛け布団を被った塊からは収まりきらなかった長い足がはみ出していた。

「けんじ、おきて、あさ」
「……んー」
「ごはん」
「……あー」

起きない。
コントローラーやソフトは辺りに散らばったままだけれど、テレビは誰かが消してくれたのかそれとも自動的に消えたのか、画面が真っ暗だった。わたしもまたタオルケットに包まれていて、誰が面倒見てくれたんだろうとぼんやり考えながら塊をバシバシ叩いていると、不意にそれががばっと起き上がる。

「…………は?」
「おはよ」
「…………おはよ」

一瞬、ここが何処かわからなかったらしい。
わたしの顔を見て、台所の祖母を見て、もう一度わたしに視線を戻してから返ってきた挨拶に笑えば、ばつが悪そうに頭をぐしゃぐしゃと掻いた。

「今、なんで自分がここで寝てたかわかんなかったんでしょ」
「……うるせー」
「やっぱ堅治の記憶力は曖昧」
「は?なまえに言われたくないわ」

そんなこと言ってますけど、あなたの少しはねた前髪は、しばらくわたしの記憶にのこりそうですよ。

百年後には百年前のものになる宝物


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