なにやってんだ
唐突に降ってきた声に顔をあげれば、校舎一階の窓からこちらを見下ろしている白布と目が合った。

「花壇に水撒いてる」
「見ればわかる」

訊かれたから答えたのに、その言い種はなんだ。ホースの先を、そっちに向けたっていいんだぞ。とかなんとか思ったけれど、まあ彼の言いたいこともわかったので、適当に「美化委員の仕事」と答えれば今度は「嘘つけ」と返ってきた。

「お前、風紀委員だろ」
「え、なんで知ってるの。クラス違うのに」

嘘はあっさり暴かれた上に、同じクラスの人でも把握していなさそうな事実を正確に言い当てられ驚く。

「わたしに詳しいね……」

ファンの方ですか?サインいります?と半ば感心しながら言えば、彼は端整な顔をわかりやすく歪めて「お前が言ったんだろ」と呆れたように口にした。なんだって。

「言ったっけ?」
「言った。委員会入りたくなかったのに、じゃんけんで負けたってうるさかった」
「あー、うん、え?言った……?まあ、白布の記憶力がいいのはわかった」
「お前がアホなのはわかった」
「悪口じゃん」

品行方正、潔癖風でしっかりしてそうな見た目のくせして割に口が悪い。
確かに、委員会活動は面倒臭いので所属しないに越した事はないと思っていたのに、じゃんけん勝負で負けて前期の風紀委員になってしまったことは間違い無いけれど。
あの時出したのはチョキで、見事一発ノックアウトだったのも覚えているけれど、白布に報告したかどうかの記憶は曖昧だった。言ったとしても、別にうるさくはしていない。あくまで白布の誇張表現だ、と思いたい。

「それで」
「え、なにが?」
「は?」
「こわ」

勉強の出来る人の考えはよくわからない。いや、わたしも一般入試組なのでそこそこお勉強は出来るはずなんだけれどな。おかしいな。
ぽんと投げ掛けられた「それで」の意味がわからなくて首を傾げれば、とても低い声が返ってきた。どうしてそんな顔恐いの。機嫌悪いの?大丈夫?ねえ部活で先輩にメンチ切ったりしてない?後輩に舌打ちしたりしてない?
そう少し心配になったけれど、まあ普段からにこにこ笑顔を浮かべている人でもないよなと思い直し、彼の視線がシャワーホースに向けられていることでようやく質問の意味を理解した。

「ああ。用務のおじいちゃんが、お休みだから。自主的にやってる」
「はあ?なんで」
「え、心根が優しいから……?」

またものすごい顔をされてしまった。
そうなのだ、これは自主的にやっていることで、悪いことでは決して無いはずなのに、その奇怪なものを見るような顔はなんだ。
用務のおじいちゃんこと我が校でお仕事をされている用務員の方が、どうも腰を痛めてしまったようで大事をとって今日はお休みらしい、というのをお喋り仲間である事務のお姉さんから聞いた。
故のこれだ。別にわたしがやる必要はないのだけれど、暇だったのもあって放課後の水遣りを買って出た次第である。ちなみに、お姉さんがお駄賃としてお菓子をくれた。万歳ハッピー。

「そういう白布は?そこなんの教室だっけ?」
「空き教室で補習」
「補習!」

勉強出来るのに、補習。そう思ったのが顔に出ていたのか、白布が補習という事態にテンションがあがったのがバレてしまったのか、すかさず「違う」とぴしゃりと言われた。まだ何も言っていないのに。
彼が言うには、部活の試合で出られなかった際の授業を補う為のものらしい。ああそういえば、いつだかの土曜、男バレがいなかったようないたような。

「あー、お疲れ様です。じゃあ今から部活?」
「そう」
「へー、あ、お菓子いる?」
「……いい」
「その間はなんだ?」
「お前の持ち物は大概危ないから、いらない」
「危ない!?なんでよ!事務のお姉さんに貰った美味しいやつだよ!」
「馬鹿みたいに辛いスナックだったり、馬鹿みたいに甘いチョコだったりを持ってきて騒いで人に食わせたのは誰だよ」
「わー、誰だろ」

わたしだ。

「白布、ほんと記憶力いいね」と項垂れながら、制服のポケットに入っていた透明のフィルムに包まれたチョコ菓子を渡せば、それはわたしの体温のせいか若干溶けていた。今日あったかいもんね。へへっ……ははっ……えらいことだ。
これはまずい、今度は般若のような顔を向けられるのではと身構えれば、けれど白布は「お前体温高いよな」と呆れたあとでくしゃりと笑った。

「やっぱりサインいる……?」

わたしに詳しい白布は、笑えばあどけない顔になるのに、すぐに能面のような顔になってしまった。



「あ、みょうじさん」
「はい?」

廊下をご機嫌に闊歩していたら、不意に名前を呼ばれた。

「か、……に、……西川くん」
「残念」
「ごめん、川西くん」

またやってしまった。
わたしを呼び留めたのは川西くんで、大変失礼な話ではあるがわたしは彼の名前を憶えられていない。
川西くんだったか西川くんだったかの二択を思い浮かべ、どちらかに賭けて呼ぶという失礼チャレンジを毎度展開しているとんでも人間なのだ。お勉強は出来るはずなんだけどな?本当に申し訳ない。加えて勝率は四割程度なので、重ね重ね申し訳ない。

「川西くん、かわにしくん……、オッケー川西くん!どうしました?」
「みょうじさんいつもそれやるけど、結局次会ったら忘れてるの面白いと思う」
「ごめん。ほんとごめん」
「いや、別に怒って無いけど」
「寛大だね……」

毎日顔を合わせて名前を呼ぶなら忘れようもないけれど、クラスが違うので、という言い訳は以前白布に残念なものを見る目で見られて以来口にしていない。そうだね、残念極まりないね……。
川西くんを見上げて、謝罪のために頭を下げて、の往復を何度かしていたら首がピキリと鳴った。「ごめんついでに、川西くんちょっとしゃがんで」「ついでなんだ」そう言いながらも中腰になってくれる彼の優しさたるや。

「……何事だよ」

ところで何の用だったんだろうと本題に移ろうとしたところで、呆れたような声音が耳に届いた。

「いや、みょうじさんが機嫌良さそうだったから、何かいいことでもあったのかと思って」
「それでどうして太一が中腰になってるんだよ」
「川西くんが優しいからだよ」

白布だ。意味がわからないと言いたげたな顔に、そりゃそうだと思う。
どうやら川西くんは特別用があったわけではないらしい。では彼にもわたしのご機嫌をお裾分けしようと、ポケットから手のひらサイズのパッケージを取り出した。目を細めて嫌そうな顔をした白布は大変察しがいいですね。

「見よ、馬鹿みたいにすっぱい飴を手に入れた!ので機嫌がよかったわけですよ」
「今度は『すっぱい飴』かよ……」
「白布と一緒に食べようと思ってたから、タイミングよし子ちゃんだね」
「白布の場合よし男くんじゃね?」
「よし男くん!なんかね、こう、顔がキュってなるほどすっぱいんだけど、それを越えた先に美味しさがあるらしいよ」

苦虫を噛み潰したような顔で「どこでそんなの見つけてくんだよ……」と白布は低く唸った。
白布という人に対して、澄ました顔のおとなしい人という印象を抱いたのは本当に出会った最初の一瞬だけで、口は悪いしわたしの前では八割方不機嫌そうな恐ろしいような表情を浮かべているヤツだとすぐに認識を改めた。しかもその「不機嫌」が何パターンもあるので、それはそれで表情豊かだなあと思うのだけれど、いやもっと笑顔いっぱいでもよくないか?ともね、思うよね。まあわたしが悪いのだが。

「白布口開けて!」
「無理」
「じゃあ西川くん!」
「みょうじさん、逆」
「ごめん川西くん!」
「白布ファーストでドウゾ」
「だってよ白布!」
「うるせえ」
「口が悪い!」
「そういうお前は?食ったわけ?」
「食ってないです!」
「おかしいだろ」
「白布ファースト!」
「ふざけんな」

じゃあ三人同時で!とチャック付の袋の口を大きく開けて二人の前に差し出せば、川西くんは苦笑して、白布は本当に嫌そうに、それでも手を入れてくれた。今日は溶けていないので、それも含めて胸を張れば、舌打ちをされる。もちろん白布だ。こわいなこの人。

せーので口に運んだ飴は、筆舌に尽くし難い酸味を口いっぱいに広げ、見事三人ともが激しく咽た。わたしに至っては、咽た拍子に喉に飴が吸い込まれ、本気で死にかけた。
何が、顔がキュッだ。喉がグオオッだったぞ。
酸味を越えた先、どころか終始すっぱくて口の中で大暴れ。意味がわからないそれを悶絶しながらどうにか食べ終え、廊下の真ん中で「これはやばい!」「三途の川見た!」とでっかい声を上げて騒ぐ。
最早危険物と化した飴を白布のポケットに入れようとしたら、手の甲を抓られた。いやもうパッケージ見るだけですっぱいんだわ。

「はー……今後みょうじの持ってきたものは二度と口にしねえからな」
「とか言ってね、この人はね、食べてくれるんだよ」
「お前マジで殴るぞ」
「こわ」

もう言い方がヤクザ。



「ねえ白布、見て、見てこれ」
「なに」
「いつも部活頑張ってる友人に差し入れ」
「本当は?」
「自販機押し間違えて、よくわからない飲み物が出てきたからプレゼントフォー・ユー」
「だろうな」

バレてた。
本当にわたしのことに詳しいね。サイン書こうか?
それとやっぱり、笑った顔は幼くていい感じだよ。
そう思わずぽろりと零した言葉に一変、見慣れた不機嫌魔王が降臨してしまうのだった。

200427
おーこわ
title ゾウの鼻

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