「あ、そうや。今度の三者面談、なまえが行ってくれることになったから」

夕飯時、唐突にそう口を開いた自分たちの母親の言葉に、双子は箸を持つ手をぴたりと止めた。よろしく言うとくんやで、と続いた声は右から左で、ただ二人顔をさっと青褪めてゆっくりと瞬きを繰り返した。

宮侑と宮治の兄弟にとって、姉である宮なまえは最恐の存在であった。最も恐ろしい、と書いて最恐。
五つほど歳の離れた姉は、昔から恐ろしく強かった。幼子のうちの一年というのは大きく、それが五年分ともなれば力の差があるのは当然のことなのだが、双子は文字通り転がされることが多かったのだ。
基本的に双子は一緒に生まれてきた片割れが競争相手であり、遊び相手であり喧嘩の相手であったが、年齢差故もあって自分たちの五歩も六歩も先を行く姉のことだってよき遊び相手だと思っていた。
ねーちゃんねーちゃんこれ見て、あれ知っとる?、こっちで遊ぼうや、あっち行こ、とかなんとかピーチクパーチク甲高い声でご機嫌に話しかける弟たち。それに対して姉は、知らんお母さんに言いや、今いそがしいねん、遊ばん、行かへん、とにべもなく言って返す。側で聞いている方がハラハラしてしまう程の素っ気なさであった。
何も最初からそういう態度だったわけではなく、ころんころんと転がる丸っこくて小さな双子が泣けば一生懸命にあやしていたし、あそぼと覚えたての言葉を舌に乗せ、小さな手を伸ばしてくる二人と元気に外を駆け回ったりと、身体いっぱいに感情を表現してくる小さき命に全力で向き合っていた。弟たちのことはまあかわいかったのだ。
ねーちゃんみて、とちっさな手のひらに握り込まれたダンゴムシに「キショいな」とこれまた全力で思いながらも、口では「ダンゴムシやん。よう見つけたな」と言ってやれるくらいには。
よく食べよく動きよく泣いてはきゃらきゃらと顔いっぱいで笑う、姿形はそっくりだけれど各々が違う人間である弟たちのことを姉は姉なりにかわいがっていた。
そうやってそんな日々を送る中で彼女は、ふと気付いたのである。これ、きりないな?と。

「ねーちゃん!いま手ぇぬいたやろ!」
「ぬいてへん」
「うそや!」
「うそやない。侑のほうがじょうずやっただけや」

ボール遊びでもかけっこでもなんでも、自分が負けたら負けたで「もう一回」と食い下がってくるし、勝ったら勝ったで難癖つけてくるし。弟はなんとまあ極度の負けず嫌いであった。しかも片っぽだけじゃなくて両方とも。
いやどうしたらええねん。
最初はハイハイと相手をしていた姉も、姉とはいえまだ幼い子どもなのでそのうち普通にイラッとくるようになって、そんな騒ぐんやったらそこで転がっとけと弟をごろんと転がすに至るのであった。

弟たちにはそれぞれ、同じレベルで遊んで騒いでケンカして笑う片割れがいる。
侑が拳を振り上げれば治がそれに応戦するし、治が楽しいことを見つけて笑えば侑も隣で笑っていた。
なんだ、それでいいじゃん。十歳の時姉はそう思った。
餅は餅屋、弟には弟。
そんな感じで二人は二人で仲良うやったらええやん、ちょっと、いや大分やかましいけどわたしは平和やしと騒々しく元気大爆発な弟を弟に預ける、という自分を蚊帳の外に置く手法を姉は取るようにした。
したのだけれど、それでも不思議なことに弟たちは「ねーちゃん」と寄ってくる。最低限話は聞いてやるが、もう姉は己の中で方針を決めたので好きに生きることにしていた。うるさいものにはうるさいと返すし、邪魔だと思ったら邪魔だとはっきり言う。
わたしを巻き込むなと弟をころころ転がしていたらいつの間にか、双子にとって「最恐」の存在となっていたわけである。


姉には勝てない。
それが双子の共通認識であって、姉の発する「は?」の一言の圧は凄まじいものだと身をもって知っていた。
歯向かうことを許さず、姉の時間を邪魔するなんてもっての外。兎にも角にも姉は強い。力でも口でも勝てない存在、それが宮なまえである。
弟たちはそう思っていた。
ところがだ。自分たちが中学に上がった年だったか、多分そのくらい。元気が有り余っている双子は日々その生命力をバレーボールという競技に向けていたのだけれど、バレーだけではおさまらず、取っ組み合いのケンカにもその力は遺憾なく発揮されていた。
最早内容など覚えていない、今思えば絶対に取るに足らないだろうことでその日も大ゲンカが勃発した双子はドタンバタンと家の中で暴れていた。お互いを口汚く罵りあって、手は出るし足も出る。壁に穴が開いていないのが幸いといった感じだ。
そこに高校生の姉が帰宅し、弟たちの姿を認めてしまって「いい加減飽きたらどうなん」と、心底呆れながらも仕方なしに二人の仲裁に入ろうとした。仲裁というか、強制終了というか。二人の後頭部を掴んでお互いにゴチン、というのが姉の常套手段であった。そんな漫画みたいな、と思いもするが姉はこれが大変に上手かった。ちなみにくらった方はめっちゃ痛い。
今回もそれでいくかと丸い後頭部に手を伸ばそうとしたところで、「うっさいねん!!」と頭に血が上っていた侑がその手をバシンと払い除けた。
払って、その反動のままに姉はたたらを踏み、背中から近くにあった箪笥に勢いよくぶつかって身体を強かに打ち付けた。

「…………」
「…………」

一瞬にして静寂が辺りを包む。
双子には何が起きたのかわからなかった。え、姉ちゃんがそんなんでよろける?姉ちゃんが、あの鬼強い姉ちゃんが。いやでも今すごい音したし、姉ちゃんそこに蹲っとるな……?えっ!?
数拍して事態を飲み込んだ双子の血の気が一気に引いて、それでもやはり予想外の事実に目を白黒させるばかりで動けずにいた。姉ちゃんは強い。めっちゃ強いけど、もしかしたら俺らよりもか弱い存在なのかもしらん。姉は最恐で、最早人外のような強さを持ったイキモノだと思っていたけれど、本当にもしかしたら普通に普通の女子なのでは?と双子が高速で頭を回転させ考えを改めている時、先に動いたのは姉だった。
顔から一切の表情を削ぎ落し、ゆらりと幽鬼のように立ち上がったかと思えばそこからが電光石火だった。身体を硬直させていた侑の足を払って床に叩き転がし、ついでに治も叩き転がしたのだ。ものすごい音が家中に響いた。

「調子乗るんも大概にせえよ」

地獄の窯から這い出てきたような、低い低い声で姉は言った。
あ、やっぱ鬼やったわこの人。
床に伏しながら見上げた姉は、下手なホラー映画より迫力があった。



さて、話は戻って三者面談である。
唐突に母親から大層恐ろしい宣告を受け、現実逃避に身を任せそうになった双子だったがすぐ我に返り、力の限り母親に抗議した。
「なんでなん!?」「なんで姉ちゃんが来んねん!」「俺らに殺されろて言うてる!?」ぎゃあぎゃあと騒ぐ息子たちに、「殺されるようなことしてるんやったら、大人しく殺されときや」と彼女は宣った。しょうがない、鬼の母親もまた鬼である。

姉は高校卒業と同時に、進学のため家を出ている。
なんやめっちゃ勉強しとるな〜、邪魔したら何されるかわかれへんから大人しくしとこ、と思いつつ「姉ちゃんこれ見た?」と姉の気を引いて鬼の形相を向けられていた弟たちは、姉がそんな進路をとっているとは露ほどにも思っていなかった。
「明日何時やったっけ?」「七時にはもう出るわ」「早いなあ、もっとゆっくりしてったらいいのに」「九時に冷蔵庫が届くねんもん」という姉と母の会話に、「姉ちゃんどっか行くん?」とアイスを食べながら呑気に聞いたのは治だった。

「行く」
「どこに」
「引っ越し先」
「引っ越し先……誰の?」
「は?わたし以外に誰がおんねん」
「姉ちゃんの引っ越し……はあっ!?」

勢いよく立ち上がった拍子に治の手からはアイスがすっぽ抜けて、姉の足元に着地した。姉はとても嫌そうな顔をしていた。
その時丁度風呂から上がってきた侑は、驚愕する治と姉の足元に落ちているアイスを見て「治がいらんことして今からしばかれるんかな」と思いさっさとその場から撤退しようとしたのだけれど、「おい侑!」と切羽詰まった声で兄弟に呼ばれてしまった。
なんやねん、俺を巻き込まんとってくれとげんなりした表情を向けた侑だったが、次に続いた「姉ちゃんが家出てく」という言葉に目を剥くこととなる。

家を出ると言っても同地方で、姉はそこまで遠くへ行くわけではなかった。
「やったら家から通ったらええやんか!」と何故だか食い下がってきた侑に、家から通うのは普通に遠いし、実家が広くなることに対してどうしてそんなにやいやい言われるのか姉はわからなかったので、「うるさい」とだけ残してそのまま風呂へと向かった。
十歳の時からそういう人である。

「姉ちゃん」

「なんで今まで黙っとったんや!」と今度は母親に矛先を向けた侑の声に、お母さん騒がせてごめんと思いながらもずんずん廊下を進んでいた姉を追ってきたのは治だった。仕方なしに足を止めて振り返る。

「なに」
「ほんまに出てくん?」
「うん。わたしの部屋空くから、好きにしな」
「……家から学校行ったらええやん」
「無理」
「……なんで言うてくれへんかったん」

なんでって、別に必要ないかなって。姉はこと兄弟に対しての報連相が非常に雑であった。そう口に出すのも億劫で、姉はただ鼻から息を吐く。そんな姉に、「たまには帰ってきてや」と治はぽつりと告げた。なんだか感情がいっぱいいっぱいになって、小さな声しか出せなかった。
近頃メキメキと背が伸び始めた、今はまだ自分よりも低い位置にある頭をこれまた雑に撫でた姉は特に何も応えず、そのまま風呂場への歩みを再開したのだった。

翌朝、姉は五時に治を叩き起こし、近所のコンビニへと連行した。
そこでまず昨日ダメになったアイスを冷凍ケースから手に取り、それから「好きなもん買うたるから、今から一分以内に持ってこい」と顎で店内をさす。寝惚け眼だった治は一気に覚醒して、姉に「店内走んな」と𠮟られつつもあれこれと美味しそうなものを手に取った。ちょっと取りすぎたかなと思ったけど、姉は本当に自分の財布を出してそれらをまるっと買ってくれた。
ほくほくで家に戻った治だったがそのことは普通に兄弟にバレ、「なんでお前だけやねん!」とここ最近で一番バカデカい兄弟ゲンカをすることになる。
最後にデカい火種を置いてったなあと三人の母親は蟀谷を揉んだのだった。

家を出て行った姉はそれから、滅多に帰って来ることがなかった。
正しく言えば帰って来ないのではなく、双子がいない間にふらっと実家に寄ってそのまま自分の家に戻るらしいのでここ数年双子が姉の姿をほとんど見ていないだけなのだが。え、避けられてる?と勇気を出して姉に連絡を取ってみたところ、「は?」の一言を頂戴したきり通話をぶち切られた経緯があったりした。
そんな姉が、自分たちの三者面談のためにこちらへ帰ってくる。只事ではない。
面談の予定日に、母親にどうしても外せない用事が入ってしまった。それはまあ仕方ない、わかる。兄弟で同じ日に面談の時間を確保してもらっていたので、直前のいま日程を調整するのは厳しい。それもわかる。そのため、母の代わりに姉が出席する。それがわからない。
「そうや!ばあちゃん呼ぼうや!!」「もうなまえに頼んでるて言うてるやろ」にべもない。
兄弟が何をそんなに恐れているかって、姉の時間を奪うということがひとつにあったが、それ以上に成績を姉に見られることが恐怖だった。
三者面談とは学期末ごとに行われるもので、その際に保護者の前で初めて成績表やら直近の模試の結果やらが開示される。自分で初めて目にするのと同時に親の眼前に晒されてしまうので、隠蔽も誤魔化しも一切きかない誠に画期的なシステムなのだ。
母親は二人のちょこっと(ちょこっと?)よろしくない成績に慣れている(といっては語弊があるが)ため、まあいつもの呆れ顔で済むだろうけれど。

「姉ちゃんに見られたらそんなん、ゴミ見るような目ぇされて叩っ転がされるに決まっとるやん……!」

頭を抱えた侑に、お前もよくそういう目しとるけどなと内心で思いつつも治は頷いた。なんなら治もしてんで、とはここに尾白アランがいないので誰もツッコまない。
双子は多分、姉のことを柔道家だと思っている。全くそんなことはない。



いくらやいのやいの言ったところで、時間は平等に進むので。

「骨は拾ったる」
「アホこけ、お前もすぐ骨になるんやぞ」

放課後の練習中、体育館の壁に掛かっている時計をチラチラとずっと気にしてはコーチやキャプテンに「集中しろ」と怒れていた侑だったが、ついにその時が来た。集中なぞ出来るわけがない。担任と姉と自分による地獄の時間が気付けば三分後に迫っている。
いらんことを言ってきた兄弟に、己の二十分あとには同じく地獄が待ち構えているというのに余裕やなァ!と噛み付く元気はないし、そも治の顔もひどく強張っていた。

重い足をどうにか動かして辿り着いた自身の教室の前に、既に姉はいた。
久しぶりに見る姉の姿は特に変わりないように思えたけれど、なんだかやたらとでかく禍々しいオーラを放っているような気がして侑は息をのむ。ただの思い込みと錯覚である。
姉と同じ学校に通ったのは小学校のたった一年間だけだったので、学校に姉ちゃんがおる、という事実にそわっとした。

「侑」

挨拶も何もなしに名前を呼ばれ、顎でドアをさされた。開けろ、の意である。ハイ。そわっとしている場合ではなかった。
失礼シマスと教室に足を踏み入れれば、「ああ、お姉さん」と担任が声を上げた。ご足労いただきすみませんと言う担任に対して、いえこちらこそ無理を聞いていただきありがとうございますと姉が頭を下げる。姉は双子以外にはしっかりとした人間であった。
席に案内され、侑と並んだ姉に早速今学期の成績表が提示される。心の準備をさせてくれ……!と覚悟していたのになお内心で青褪める侑を余所に、姉はそれにまじまじと目を向けてそれから小さく息を吐いた。どういうリアクションなん!?と冷や汗だらだらで背中が寒くてしょうがない侑は、担任の話に生返事しか返せない。
侑の進路について家でどう話してます?と担任が姉に訊いて、家を出た身やからよう知らんけど両親は好きにしたらええって言うてますと姉が応える。ざっくりいうとそんな感じで話が進んでいった。侑は基本、右から左でその場にいた。はよ終わらへんかな、というのでいっぱいだった。

「じゃ、こんくらいで終わりにしましょうか」

ああだこうだと多分話が進んで数分後、担任がプリントをまとめながらそう言ったので、侑は待ってましたと心の中で手を叩く。「最後に何かありますか?」と続けた担任には舌打ちしそうになった。なんもないわ。そう眉根を寄せた時、徐に姉が口を開く。え、喋るん?「この子は成績こんなでまあしょうもないんですけど、」待って、何言われるんかな!?

「バレーへの引く程の熱量と怖いくらいの愛に関しては昔から尊敬しているので、何も心配はしてないんです。授業成績散々でご迷惑おかけすると思いますけど、どうぞよろしくお願いします」

侑は弾かれたように隣の姉に顔を向けた。姉の視線は真っ直ぐ向かいの担任に向けられていて、当然ながら目は合わない。そこには涼しげな横顔があるだけだった。
えっ、今のほんまに姉ちゃんが言うたん?そう目を白黒させているうちに、二人は教室から出ていた。しんとした廊下に姉と片一方の弟が二人。「姉ちゃん」と、弟の方が何を言いたかったわけでもないけどただそう呼ぼうとして、それよりも先に姉が言った。

「勉強やれ言うたところでせえへんやろうけど、バレーだけの人間はおもんないからやめとけ」

怠そうに肩を回しながら言う、姉の旋毛が見えた。
自分は姉の背丈を疾うに追い越していた事実に、侑はゆっくりと瞬きをして、無意識のうちに姉の手首を掴んでいた。細い。自分のそれとは違う、細くて簡単に折れてしまいそうなこの腕に、自分と兄弟は転がされてきた。

「は?」

誰の許可を得て掴んでんねん、というのが「は」の一言に込められていて、反対の拳でノーガードの腹にズドンと一発くらった。やっぱさっきのは聞き間違いやったんやろなと、生理的な涙が浮かぶ侑であった。



兄弟並んで家路を辿る。いつもよりずっと静かな帰り道だった。
侑も、侑と入れ替わりで姉と面談を受けた治もどうしてだか面談の内容については口を噤んでいた。侑の方は単純に、あの最後の姉が放った衝撃をどう言語化すればいいのかわからなかったのだ。いえパンチの方ではなく。
恐らく治も治の方でなにかしら、言語化出来ないことがあったのだろうなと侑は思った。

「帰ったら姉ちゃんおるんかな」
「おるやろ」

まあなんかその、今日ぐらいは大人しく転がされたってもええかな、と鼻の下を指で擦ってみたりした。成績表を眺めた姉が、一瞬体面も忘れてドブを見るような目をしていたことはハッキリと覚えていたので。
なんだか軽い足取りで家に帰り、「ただいまあ」と居間へ顔を出す。

「……姉ちゃんは?」

おかえりと迎えた母親に、どちらともなくそう尋ねる。姉の姿が見えない。玄関の上がり框に足を掛けた時点で、「もしかして」とはちょっと思っていた。

「自分とこ帰ったで」

なんでやねん!

230615
YOU LOSE!
title さよならの惑星

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