「え、ウケる。出家でもすんの?」

人の最新の髪型を見て開口一番それって、ヒドくない?
ウケる、と言う割ににこりともせずに頬杖をついている彼女に、思わずこっちが笑いそうになる。

「なまえちゃん、坊主頭のことなんだと思ってんの?」
「別に今まで何も思ったことなかった」
「あ、ソウなの」
「割と似合ってんね。ウケる」

褒められているのか貶されているのか、相変わらずの表情でそう言った彼女に今度こそ声を上げて笑ってしまった。

高校の同級生である彼女とは、卒業した今でも時々連絡を取り合っていて、今日この駅近くのカフェに呼び出したのは俺の方だった。
駅に近いだけあって人でごった返す店内で一人、席に座り片肘をついてぼんやりと窓の外に目を遣っていた彼女は、俺の姿を認めるなり「ウケる」と宣って手元のアイスティーに手を伸ばした。高校の時もよく飲んでいたそれを、今でも好んでいるらしい。

「天童も買ってきたら。あ、なんか期間限定でチョコの何かが出てた気がする」
「チョコの何かって何?」
「飲むやつ」
「大雑把すぎない?」
「見ればわかるよ」

アイスティー以外関心がないのね?


「甘そう」
「ウン。一口いる?」
「甘そうだから、いい」

自分も飲み物を買って席に戻れば、彼女はそう言って首を横に振った。自分があるよって言ったのに。
チョコレートのドリンクの上に生クリームと、更に砕いたチョコレートがのるそれに口をつければ、もう一度「甘そう」と聞こえてきた。まあ、確かに甘いけども。しつこく舌に味が残らずさらりとしていて飲みやすい、そんな感想をひとり抱いていると、向い側のなまえちゃんが「それで」と口を開いた。唐突な質問に、どれで?と首を傾げてみれば、彼女の目が僅かに見開かれた。

「え、もしかして、その高校球児みたいな頭見せるために今日集合かけたの」
「いつ僧から高校球児にジョブチェンジしたの!?」
「ごめん、球児はそんな髪色してないね」
「ソコじゃないよ?」
「ああ、バレー部だったもんね」
「ソコでもなくてね?違う違う、ちゃんと報告があって呼んだんだよ」

すっかり汗をかいたアイスティーの、ストローを回して一瞬考えるように視線を斜め上に飛ばしてそれから、「解脱?」とぽつりと零れた言葉は流すことにする。
解脱の報告って何?それ結局「僧」の方じゃない?ていうかこの髪型はただのオシャレであって、出家するなら毛全部剃るんじゃないの?知らんけど、とまあ内心ではあれこれツッコミをいれたけれど。
コホンと咳払いをひとつして。

「パリに行くことにしたから、遊びに来てね」

言い終えて、彼女の表情をうかがえば、あまり変化はなかった。「パリ……、パリの公用語……ってパリ語?」変化はなかったけれど、高校時代の彼女は決して成績が悪くはなかったから、少なからず驚いて頭が混乱しているのだろうことがわかって面白くなった。パリは国の首都で、主にフランス語だよ。

「旅行じゃなくて」
「ウン」
「向こうに住むってこと」
「そうなるね〜」
「何しに」
「勉強かな?」
「勉強、ああ」

矢継ぎ早の質問が、一度そこで途切れる。顎に手を当てて何かを考えているのか次の言葉を探しているのか、口を閉じ視線が合わなくなってしまった彼女の様子を正面からじっと見ていたら、ぱっと再び目と目がぶつかった。

「遊びに行くには遠いわ」
「考えて言うのがソレなの?」

真面目な顔して今度は何を言ってくるかと思えば。そんなのアレだよ、社交辞令っていうか決まり文句みたいなもんで、絶対的な約束を押し付けてるわけじゃない。やっぱりなまえちゃんは今混乱の最中にいるらしかった。一回落ち着きなよ、これ飲む?とチョコレートドリンクを差し出してみれば、「甘いからいい」とまた首を横に振られた。そこは冷静なんだね。かと思えばハッとしたように、俺の持つグラスを見つめて、俺の顔を見て、またグラスを見て。

「勉強って、チョコレートの」
「そうそう」
「チョコレートの人になるために」
「チョコレートの人って!そこはショコラティエって言って!」
「ああ、うん。ごめん」

心ここに非ずといった生返事に、少しサプライズが過ぎたかなと反省していると「チョコは、甘いな」という呟きが耳に届いた。

「いつ行くの」
「来月の頭かな」
「仙台空港?」
「んー、東京に一回出てそこから行くつもり」
「そう」
「こっちもアクセス線が出来て便利っちゃ便利だけど、東京の便の方が都合が良かったんだよね」
「へえ」
「なまえちゃん」
「なに?」
「泣きそう?」
「え、いや全然」
「全然ってどうよ?」

少しずつ視線が下がっていく彼女に、もしかして今から別れを惜しんでくれているのかと思えば、けろりとした顔が返ってくる。だよね、知ってた。まあ今生の別れってワケでもないし、遠くても地球の上なら会おうと思えばどうとでもなるし。でも少しぐらい情感ってものがあってもよくナイ?そうは言わない代わりに、残りのチョコレートを飲み干した。
「じゃあ、まあ、いってらっしゃい」とどこか気の抜けた挨拶を贈られ、いつでも遊びに来てねと返せば彼女は途端に口を噤む。イヤイヤ、だから社交辞令だってば。そこは「ウン」って言っておけばいいんだよ。

「天童」
「なまえちゃんってばもしかして、お世辞でも頷くのがイヤとか……!?」
「天童」
「あ、ウン、何?」
「正直、チョコにはあんま興味ない」
「へ?」

悲劇のヒロインぶろうと勇んでいた気持ちが、途端に吹き飛ぶ。一体何の宣言だ。そうこちらが呆けている間にも彼女の口は動く。

「デパ地下とかに並ぶチョコレートを見るのは楽しい、綺麗だなって思うし。でもそれを買おうと思うかって言われたら、よっぽどのことがないと買わない。甘いもの別に嫌いじゃないけど、そんなに摂取したいとも思わない」
「摂取」
「興味を持ったことがないから、チョコの世界がどんなのかもわからない」
「あ、ウン、そっか……」
「でも天童のすることには興味あるし、面白いし、好きだから、応援してる」

でもやっぱパリは遠いから気が向いたら行くわ、と締めくくった彼女は言い終えて満足したようで、「それじゃあ、改めていってらっしゃい」とすっきりした表情で席を立とうとする。
怒涛ともいえる勢いで言われたこちらはといえば、反射的にその腕を掴んでいた。

「え、なに」
「なにって何!?なまえちゃんがなんなの!?今なんて言った!?」
「『え、なに』」
「そこじゃないことくらいわかるデショ!?」

店の喧騒に混ざって「なにあれ、別れ話?」とかなんとかいう声が聞こえたような気もしたけれど、それに意識を割いている場合ではないし、別れ話といえばまあある種そうなのだけれど。一番わからないのは、「なんだこいつ」みたいな顔でこっちを見てくるなまえちゃんだ。なんで?なんでなの?俺がおかしいのこれ?と、急に常識が通じない世界に放り込まれたようで震えてしまう。
宇宙人に思考を侵略されてしまったの?

彼女の言った言葉は実は全て頭に残っていて、無意識の内に脳がそれを反芻しようとしていた。
チョコレートは別に嫌いじゃないけど興味がなくて、でも俺には興味があって?だから、なにそれ。いや、俺という人間に少なからず好意的だから高校卒業した今でもこうやって顔合わせてるんだよね、うんうん、それはわかる。わかるけどさ、いやちょっと待って?

「天童、顔がおもしろいことになってる」
「誰のせいだと思ってんの!?」
「天童」
「なんで!?」
「坊主サプライズかましてきたから」
「坊主は別にサプライズじゃないよ!?」
「わたしも、チョコにそんな重きを置いてないっていうサプライズをかましてやろうかと」

言いたいことが洪水みたいに溢れてきて、結果全部喉につっかえて何も言葉にならなかった。
なまえちゃんの言う「サプライズ」は別に全然サプライズじゃない。そんなの、高校生の時から知ってる。見てればわかる。そこにびっくりしたんじゃなくて、そのあとのあまりにもストレートな言葉に自分の耳を疑ったんだよ。
なんだか途端にひどく脱力して、掴みっぱなしだった腕を解放すれば、今までの会話丸ごとなかったような調子でなまえちゃんは口を開く。

「フランス語、難しそうだね」
「……ソウダネ」
「あ、いっこ知ってるわ」

にっと笑って「ボン・ボヤージュ」と彼女は言った。



それから数年後。

「ボンジュール」

なまえちゃん、ここパリだよ?散々遠いって言ってたトコロだよ?
「気が向いたら行くっていったじゃん」と当然のように口にした彼女は、多分。

210326
宇宙人なんだね
title ゾウの鼻

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