「月島せんぱいみたいに、なりたかったんですよね」

何を言ってるんだこいつはと、自然と眉間に皺が寄った。



ひとつ下のソイツは、兎にも角にもうるさかった。

「春高で烏野の試合を観て、烏野に進学を決めました!」

緊張しているのか少しだけ強張った顔で、それでも声を張りはっきりとそう言ったみょうじなまえという後輩は、それから「精一杯やります!よろしくお願いします!」と折り目正しく頭を下げてみせた。
その言葉通り、谷地さんに指示を仰いではあちこち忙しなく走り回り、時間が経つに連れ要領を覚えたのか先回りで物事をこなすようになっていった。

「日向先輩!」

みょうじの声はよく通った。
時に、日向に引けを取らない程騒がしく、場を賑わす。一見強面の田中さんや、愛想のない影山にも物怖じせずに話し掛け、気付くと自分のペースに巻き込んでいる彼女はひどく目を引いて、同時に鬱陶しい。
春高の試合を観てここに来た、という彼女の言い分をより正確に言い直すのなら、「日向に憧れて」という言葉が加わるんだろうというのはすぐにわかった。特別贔屓をしているだとかそういうことではないけれど、変人コンビに、特に日向に向ける視線は雄弁に敬慕の類を語っているのだ。
日向本人がそれに気付いているのかいないのかは知らないけれど、目を輝かせながら自身のことをすごいすごいとわかりやすく称賛する後輩に悪い気はしないようで、「みょうじさん、スッゲーいい人!」といつだか腹の立つような笑顔を浮かべていた。



「あっ、月島先輩!こんにちは!」
「……こんにちは」

たまに校内で顔を合わせるその度に、こうして律儀に挨拶をしてくるのはまあいい。問題は、別にある。
思わず耳に手をやれば、それがさも意外とでもいうようにきょとんとした表情を浮かべるみょうじ。「なに」何その顔、というのと何か用、というのをその一言で訊けば、「いえ」と気の抜けた返事が返ってくる。それにどこか含みがあるように思えて、もう一度同じ言葉を投げた。「ええ、いやあ」とやはり何かあるらしい彼女を無言で見下ろす。

「えーっと……、月島先輩ってわたしがでっかい声出すといつもうるさそうな顔してるけど、特に何も言われないしなーと思ってて」
「は?」
「そしたら今日ついに耳を塞がれたんで」

なんか、おもしろくて
ついには口角を上げてそんなことを言った。それにひどくイラッときて、自分よりもうんと低い位置にあるその旋毛を指で押してやった。今度は目を丸くしてこちらを見上げる彼女をそのままに、その場を後にする。
日向と同じ扱いで十分だなと、思った瞬間である。



「オーライ!」

バレー部だからという理由だけで半ば押し付けられた、球技大会のバレーの試合での審判。仕方なしに審判台の上に立ち笛を吹いていると、不意に隣のコートから真っ直ぐ耳に届いた大きな声に半ば無意識のうちに目を遣った。
見知ったひとつ下の後輩が、アンダーで高くボールを上げる。かと思えばすぐさまネット際まで走り、チームメイトが上げたボールを思いきり飛んで相手のコートに叩き落とす。一点。審判が笛を短く鳴らした。チームメイトに囲まれてハイタッチを交わすそいつと、不意にどうしてだか目が合う。

「こんにちは!お疲れ様です!」

相変わらずの声でそんなふうに言うものだから、隣のコートからの視線が一身に集まるのを感じた。いい迷惑にも程がある。そもそも挨拶をする距離感がおかしい。
応えず、瞬きをひとつしてから、笛を吹いてサーブの開始を合図した。同時に隣コートから、何がおもしろいのかひどく愉快気な、これまた知った笑い声が耳に届いて「うるさい」と眉根を寄せ口の中で呟けば、一層笑い声が大きくなったような気がした。



「月島先輩!お願いがあるんですが!」

考査期間で部活が休みとなる、一日前の練習終わり。教科書を握りしめるように抱え、どこか畏まったような様子でこちらを覗うみょうじに何事かとすぐに察しがついた。「お疲れサマです」にこやかにそれだけ言って彼女の横を通り過ぎようとすれば、「先輩!せめて話だけでも!」と食い下がられる。

「なに」
「数学教えてください」
「なんで」
「今回のテスト範囲が難解なんです」
「他の人に言いなよ」
「他の一年も似たり寄ったりです!」
「それでなんで僕になるわけ」
「先輩、眼鏡だから頭いいかなって」
「…………」
「すみません冗談です。本当は仁花先輩にお願いしようと思ってたんですけど、日向先輩たちのテスト対策で忙しそうなので、月島先輩にお願いしにきました」

面倒極まりない。彼女の成績は確かそこまで悪いわけではなく、日向たちに教えるらしい谷地さんと比べればまだ苦労はないのかもしれないけれど、だからといって僕が教える謂れもない。断ったところでまたこの後輩は食い下がるのだろうと容易に想像出来て、「気が向いたら」と適当に答えれば今まで淀みなく動いていたその口が一度閉じて、かと思えば「なるほど」と何かを納得した様子でそう言った。

「さすがに月島先輩も自分の勉強しないとやばいですよね。一年に教えてる暇なんてないか……、そうだよね、そんな余裕ない……」

独り言なのか、はたまたこちらに聞こえるようわざと言っているのか。教科書を抱えたままうんうんと悩む素振りを見せるみょうじの言葉にイラッとしつつ、帰ろうとヘッドフォンに手を掛けたところで「これは人選間違えた」という今日イチで腹立たしい呟きが聞こえた。

「……今から三十分。一言でも無駄口きいたら即帰るから」
「えっ」
「早く」

ぱっと表情を明るくしたソイツは、それからよろしくお願いします!とまたあの鬱陶しい程の声量と一緒に頭を下げた。「先輩眉間の皺すごいです!」うるさい、だから無駄口叩くな。



「先輩、水分とれてますか?」

膝に手をついて浅い呼吸を繰り返していれば、後ろから声が掛かった。
夏場の練習は、必要以上に体力が奪われる。額を伝う汗をTシャツの袖で拭ってから顔を上げれば、スクイズボトルを片手にこちらを覗うみょうじがいた。「塩飴もありますよ」ゴソゴソとジャージのポケットから取り出したそれを、要るとも言っていないのに人の手に押し付けてきたソイツに胡乱な視線を向ければ、「体調ダメですか?」と見当違いなことを言ってくる。

「……別に」
「山口先輩呼びます?」

なんでだよ。そう返すのももう面倒臭くて深く息を吐けば、「夏場は負荷三倍って感じですもんね」なんてしみじみ言ったかと思うと「飴いっぱい渡しておきますね!」と更にポケットから取り出した。いらない、うるさい。

「まあ万が一倒れても、わたしが先輩運びますんで!」

Tシャツの袖をわざとらしく捲り、到底人を運べるとは思えない腕を見せつけられたところで。倒れないようにしろと言うべきだし、大体そんなつもりもない。

「なんで旋毛押すんですか!?」

自分の言動を省みたらいいんじゃない。



「…………」

またうるさく騒ぐのだろうと辟易していた後輩が、ひどく静かに佇んでいることに面食らったのは二年の冬だ。
春高の全国大会会場である、東京体育館。荷物をいくつか抱えながら口を開かずにじっと天井を見上げるその姿に、そのままこの喧騒に飲み込まれて行方知れずになるのではないかと、そんな懸念を抱いた自分に驚きと若干の嫌悪を覚えつつ、あのままでは単純に他の団体に巻き込まれて迷子になりそうだと仕方なしに声を掛けた。「チョット」そう口にすれば、みょうじは緩慢な動きでこちらを振り仰いで、「月島先輩」と普段よりも随分と小さな音でそう応えた。

「……具合でも悪いワケ?」
「え?全然。元気です」
「じゃあ早く動きなよ」

既に先へと場所を移動している烏野の面々を示すように言えば、はっとした顔をして「すみません」と一歩足が進む。かと思えばまた止まった。一体なんなんだと、いい加減もう置いていこうかと思ったその時、彼女にしてはまた珍しくひっそりと「楽しみだなあ」と零す声が聞こえて、はたと思い出す。
そういえばコイツは、去年の試合を観て烏野に進学したんだった。だから何だといえば、まあそうだけれど。
君の憧れた日向の、延いては変人コンビのプレーをこの場所で精々楽しめば。そう口にしようとして、なんとなくやめた。

「月島先輩!ナイスブロック!!」

試合中、あちらこちらから飛び交ういろんな音に混ざって、ベンチに入っているわけでもないのによく通る声が耳に聞こえたことがなんだか癪だった。



過去のあれこれを今思い出すのは、別に感傷に浸っているからじゃない。隣で膝を抱えて、黙りこくるひとつ下の後輩が普段とあまりにも様子が違うからだ。

卒業式を終え、僕たち三年を後輩が送り出す。そうなった時に日向と影山の姿がなかった。どうせ体育館デショと呆れれば、「じゃあツッキーよろしく!」となぜか僕が呼んでくるように言われた。スマホで連絡を取ったところであの二人は出ない。不満を覚えつつ渋々体育館へと足を向ければ、その出入口のところでしゃがみ込む後輩を先に見つけた。そういえば谷地さんが、連絡が取れないと言っていたような気がする。

「スマホぐらいちゃんと確認しなよ」
「え?あ、月島先輩……?なんでここに……」
「こっちの台詞なんだけど」

体育館の中からはボールの音が聴こえて、全くの予想通りに最早苛立ちも呆れもない。

「今から先輩たちの見送りじゃなかったですっけ?」
「その『先輩』が行方不明だから僕が派遣されたんだけど」
「あれ、わたし時田たちに、日向先輩と影山先輩捜してくるって言ったはずなんですけど……」

思わず舌打ちが漏れる。無駄足かよ。
だったらみょうじがさっさと中の二人に声を掛けて呼び出せばよかったんじゃないの。そもそもこんなところに座って何をしているのか。
「なんか声掛けられなくて」そう苦笑を浮かべるみょうじに、一年前の記憶が頭を過ぎった。

──春高で烏野の試合を観て、烏野に進学を決めました!

「よくもまあ、飽きもせず憧れ続けるよね」
「、え?」

ぽかんと口を開けているんだろうと思った。実際に見下ろした彼女は目を丸く見開いて、愕然とした表情を浮かべていた。「なんで」息を吐くような声に、見ていればわかると返そうとして思い留まる。
ゆっくりと息を吐き出したみょうじはそれからふっと笑って、膝の間に顔を埋めながら囁くように言った。

「月島せんぱいみたいに、なりたかったんですよね」
「は?」

何の話だ。
日向と影山のことを話題にしていたはずなのに、どうしてそこで自分の名前が出てくるのか。意味が分からない。そのままそう言葉にしようとして、詰る。どうしてだか、泣いているんじゃないかと思った。顔は見えない。どうして自分がそう思ったのかもわからない。

「わたし、誰にも言ってないことがあって!」

けれど、唐突にぱっと顔を上げたみょうじの目には涙なんて少しも浮かんでいなかったし、さっきと全く違った声音と声量に、不意を突かれたように耳がキンと鳴った。うるさい。その上また突飛な話題に理解が追いつかず、耳を半分塞ぎながら聞きたかったわけでもないのに「なに」と先を促してしまう。

「興味ないかもしれないですけど、わたし、小中でバレーやってて」

なんとなく、そうではないかと思ったことがある。
あるけれど、だからなんだ、今更それを白状する必要は。本当にさっきから全く要領を得ない話ばかりだと、深く息を吐くことで一度思考を止めた。
別に、それまでやっていたことを高校で辞めるなんて、珍しいことでもない。ただそれを自分に今になって言ってくる理由は少しも見当がつかないし、そのために頭を働かせるのも億劫だ。まあ僕の知ったことではないし、訊く必要も感じないけれど。
何を言うでもなく、足元のソイツを見下ろす。息を吸う音が、微かに聞こえた。

「烏野のバレーめっちゃかっこいいんですよね。もう中学でバレー辞めようって思ってたのに、気付いたら絶対マネージャーやりたいってなってて。間近で見ると、思ってた以上に面白くて、」

体育館の中からボールの跳ねる音が、一層大きく鼓膜を震わせた。

「辞めなければ、自分もあんなふうにかっこよくなれたのかなって」

地面に沈んでいく目線と、尻すぼみになる声に、ただその旋毛を眺める。

「月島先輩みたいに、バレーのこと素直に好きって言えなくても、バレーに命懸けてなくても、続ければよかった」

先輩は、多分これからもバレーを身近に生きてく
沈黙が落ちて、言われた言葉の意味をこちらが呑み込むよりも先に、「まあマネージャーもすっごい楽しかったんですけどね!」と普段よりも一割増の声量でそう言ったみょうじに、また耳を塞がざるを得なくなる。

「ずっとその先輩の姿勢に憧れてました!卒業おめでとうございます!」

それにもかかわらずぐわんと手の内で響く声に、「バカじゃないの」と若干上擦った声でしか返せなかったことが、みょうじに関する記憶での最大の屈辱だった。



「月島せんぱーい!」

騒音飛び交う体育館の中で、自分の耳を疑った。
空耳であることを願いながら声の聞こえた方──観覧席に視線を向ければそこには山口と谷地さんと、それから見た目はいくらか大人になった例の後輩がいて。自然と眉根が寄る。

「こんにちは!お疲れ様です!」

相変わらず挨拶をする距離感もタイミングもおかしい。応えず、瞬きをひとつしてから背を向けた。
追って聞こえてきた愉快気な笑い声に、今まで彼女に対して何度吐いたかわからない「うるさい」を、また独り言ちる。

試合終了後、満面の笑みを浮かべて「今度わたしの試合も応援に来ていいですよ!」と耳にうるさい声で言った高校時代の後輩は、どうやらバレーボールをまた始めたらしい。
「まあ行かないけど」と鼻で笑ってやったというのに、ソイツの顔はひどく楽し気だったものだから、腹いせに旋毛を押してやった。

210307
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