02



 あの日から更に一週間。
これといって、特に変わった事は無い。割と平穏に過ごしていたと思う。
やっていた事と言えば、掃除したりご飯を作ったり買い物に行ったり。とどのつまり、まぁ……そんな所だ。
 ただ、久しぶりに少し遠出してショッピングモールに行ったのだけれど。そこで、とても可愛らしい猫ちゃんが描かれたお弁当箱を見つけたのだ。
 気がついたら、手に取って会計を済ませていた。お弁当箱なんて、ずっと家にいる私に取っては、あまり必要のないものだったな、とは思う。でも可愛かったのだから仕方ない。基本的に、可愛いものが嫌いな女子はいないのだ。偏見かもしれないけど。
 しかし、本当に買ったのは良いけれど、どこで使おうか悩む。どうしよう。
 折角なら今度、降谷さんにお弁当でも作ろうかな。とはいっても、受け取ってくれるかはわからないのだけれど。
確か、降谷さんの職種の人って滅多に他人が作ったものを口にしなかった様な記憶がある。信頼している人間以外は無理だった筈。
 あれ、じゃあ作っても駄目じゃない? いや、しかし。前に作った……と言っても、弁当なりかってきた惣菜なりだったけど、口にしてくれていた様な気がする。
 まぁ、私が直接作っていた訳じゃなかったから、だったのかもしれないけれど。じゃあ、やはり渡しても駄目なのでは。建前上、受け取ってくれても処分に困るのではないだろうか。逆に迷惑をかけるやつかもしれない。
 え、でも降谷さんが可愛い猫ちゃんの描かれたお弁当箱を持っている姿を想像するだけで、可愛いのではないだろうか。絶対にそうだ。
 見てみたくない? 私は見てみたい。
 それに、ただでさえ忙しくてちゃんとご飯を食べているのかも分からない。まぁ、食に関しては厳しい降谷さんの事だから、杜撰な食生活を送っていないとは思う。それでも、一応は嫁なのだし、栄養のあるものを食べて欲しいという気持ちだってある。推しだから、というのは関係なく。
 今の私は彼の仕事を知っているからこそ、心配だってする。大きなお世話だと思われたって良い。自己満足だって思われたって、私は別に何とも思わない。好きに言わせておけば良いのだ。だって、降谷さんを思う気持ちは誰にも否定なんてさせやしないのだから。
 まだ少し料理の腕には自信がない。特に見た目は。それでも味はマシになった。それはもう、当初に比べたら本当にマシになったのだ。
 とりあえず、いつ帰ってくるのか、それが分からない事が問題だ。

 初めて連絡をしてみようかな。

 そう思って、結婚した当時に渡されたスマホへと手を伸ばす。そして、一つしか登録されていない連絡先を開いた。
 このスマホは、完全に降谷さんとの連絡のためだけにあるのだから、別に彼の連絡先しか登録されていないのは仕方ない事だ。
 簡単な文面。メッセージアプリを開いて『次に帰ってくるのは、いつ頃ですか?』たったそれだけを打ち込んでから送信した。
 初めてのメッセージだったのに、これだけでは少し素っ気なさすぎたかもしれない。でも、遠回しに長い文章を送られても、降谷さんは困るだろう。そもそも、そういったものは苦手な気がする。だから、これで良いのだと思う。
 とは言っても、直ぐには返信は返ってこないだろう。何かと忙しい人だ。喫茶店とか本業とか組織の仕事とか。気長に返信を待っているとしよう。
 暫くして、降谷さんからの返信があった。思ったよりも早い。
 表示されていた通知をタップしてメッセージを開けば、そこには『明後日だが、直ぐに出る』の一言。よっぽど嫌われているんだな、という気持ちと、降谷さんらしいという気持ちが降り交ざる。
 私も簡潔に『わかりました。ありがとうございます』とだけ打ち込んで返信をした。その後は、特に返信はない。
 お弁当のおかずを何にしようか。頭の中で思い浮かべながら、買ったばかりの新しいお弁当箱を念入りに洗った。
何だか、初めて夫婦っぽい事をする様な気がして、ほんの少しの恥ずかしさを覚える。
 明日は食材の買い出しに出かけるとして、今日は冷蔵庫の確認をしておかなければ。それと、ノーマルなお弁当のおかずについても調べないといけない。変な物は作れないからね!

 ◆

 朝から心がそわそわとして、何だか落ち着かない。だって、今日は降谷さんが帰ってくると言っていた日なのだから。
 とは言っても、帰ってくる時間なんて分からない。聞いておけば良かったと反省をした。次からはそうしよう。うん。
 痛む様な物は入れていないし、冷蔵庫に入れてあるから問題ないと思うけれど。それに、まだ寒い時期でもあるのだから、余計に大丈夫だと思う。
 流石に今が夏だったら、どうなんだろう? とは思うけれど。だって、夏場は冬場よりも食材が傷みやすいし。
 帰ってくるのだって、遅い時間になる事を見越して夕飯と一緒に作った。割と出来立てほやほやだったりする。ついさっき、漸く粗熱が取れた所だ。だから今は、冷蔵庫に入れている。
 思った通り、夕飯時になっても降谷さんはまだ帰ってこない。夜に帰ってくるのに弁当? と思われるかもしれないが、夜食にはなるだろうから、大丈夫だと思いたい。
 まぁ、いらないと言われたらそれまでだけれど。でも、受け取ってくれたら嬉しい。やはり見た目は綺麗とは言えないけれど、味だけは問題なさそうなのだ。
 どうしよう。すごく緊張してきた。口から心臓が飛び出そうだ。ただお弁当を渡すだけなのにね。駄目だ。落ち着かないし、落ち着けない。
 部屋の中を行ったり来たり。

 お弁当箱を包む布は用意した。それを入れる手提げも用意した。あぁ、いや。降谷さんに渡すなら紙袋とかの方がいいだろうか。そもそも、これからポアロの仕事はないとしても、本職と潜入先の仕事になるのか分からない。う、うーん。やっぱり渡すのは迷惑な様な気がしてきた。
 頭を抱えて、一人で唸っていれば不意に玄関の扉が開く音が聞こえてくる。これはまさか、降谷さんのご帰還なのではないだろうか。

 え、もう? 早くない?

 そう思って時計を見てみれば、思っていたよりも時間が経っていた様だ。どうやら私が頭を抱えて考えていた時間は、長かった様である。別の意味でも頭を抱えたい。
 下唇を噛んでいれば、徐にリビングの扉が開かれた。やはり降谷さんだ。下唇を噛んでしょっぱい顔をしている私を見て、彼は怪訝そうな表情を浮かべる。そして私は、そんな顔をみられた事に変な声が出そうになった。
 だって今、絶対に人には見せられない様な顔をしていたでしょう。推しでもある旦那に、そんな顔を見られたなんて死ねる。嫌だ。凄く嫌だ。土に埋まりたい。

「……どうかしたのか?」

 今度は絶望顔になってみせた私に、降谷さんは思わずと言った所だろうか、ちょっぴり心配そうな声色で声をかけてくれた。優しい。けれど、今はその優しさが痛く感じた。
「いえ……何でも、ないです」
 絞り出す様に言えば、降谷さんはそれ以上追求することもなく「そうか」と、まだどこか怪訝そうな色を滲ませながら呟いた。
 この時ばかりは、そんな彼の反応がありがたいと思った。人生には、聞いて欲しくないことだってあるのだから。
いや、別に何かかっこいい理由があった、とかいう訳では無いのけれど。
 すると、降谷さんは表情を変えないまま、私の方へと向かい合った。私が、何だろうかと首を傾げていれば、彼は口を開く。

「……何かあったか」
「え? 何か……ですか?」

 はて。何かあったかと聞かれれば、特にこれといって報告する様な事はない。別に何も変わった事なんてないはずだ。強いていうなら、猫ちゃんの可愛いお弁当箱を見つけて、買ってしまったという事と、それで降谷さんにお弁当を作った事くらいだ。
 だから、これと言ってない筈だったのだけれど、降谷さんからすれば何かあった様に見えたのだろうか。
私がそう首を捻っていれば、彼は少しだけ眉を顰めた。

「いきなり、メッセージを送ってきただろう」
「えっ。あ、はい……送りましたね」

 一昨日、いつ帰ってくるかのメッセージは、確かにしていた。しかし、それが何だと言うのだろう。別におかしい事は書いていなかったと思う。普通の事を書いていた筈だ。

「……突然メッセージを送ってきたから、何か緊急の事があったのかと思ったが……」
「……ん?」

 違ったのか。と、そう表情を変えずに降谷さんは、私に向かって言った。
 もしかして、あのメッセージを気にしてくれていた? 今まで連絡なんてとった事がなかったから余計に? もしも、そうだとしたら。

「まさか、気にしてくれていたんですか……?」

 どこか苦虫を噛み潰したかの様な表情になる降谷さん。その反応は、肯定していると思ってもいいですか。えぇ、本当に? しかし、思ったよりも表情に出てしまう人なんだなと、微笑ましい気持ちになる。
 確かに、前世で漫画を読んでいた時は、特定の人間に対しては酷く感情的になってしまう場面も多々あったけれど。それどころか、観覧車の上で殴りかかっていた。結果、花火をバックにして命がけの殴り合いを行う様な、熱い性格を見せる場面もあったりした事を今でもしっかりと覚えている。
 そう思うと、ある意味で彼はわかりやすい性格なのかもしれない。前世を思い出したからこそ、余計にそう思えてしまうのかもしれないけれど。
 表情に出さない様に、ほっこりとしていれば、目を細めながら彼はこちらを見つめる。睨んでいるとも言える様な目つきだ。やはり、私は嫌われているのだと、再認識をしてほっこりしていた気持ちが急に下がっていく。あぁ、駄目だ。とても悲しい。
 もう何度目か分からないけれど、心の中で泣いていれば降谷さんはぽそりと口を開いた。

「……一度も連絡してこなかった人間が、突然してきたんだ。それも、内容はいつ帰ってくるのか、だ」
「えっと……」
「何かあったのかと思うのは普通じゃないのか?」

 なぁ? と問いただす様に語りかける降谷さんの背後に鬼を見た。文面だけだと伝わりにくいだろうが、実際に対面するとかなり怖い。表情だって無に等しいのだ。

「そ、そうですね」

 その一言を絞り出すだけで精一杯。無言のまま沈黙が続いて、耐えられなくなった私は「すみません」と小さく呟いた。それを聞いて、降谷さんは深いため息をつく。

「まぁ、いい。何もないなら、もう行く」

 えっもう? その言葉を押し込んで私は頷いた。忙しいもんね。あまり引き止めてしまうのも申し訳ない。それに、嫌いな人間と同じ空間に居続けるのも辛いだろうし。
 分かりました。そう言いかけて、冷蔵庫にしまってあるお弁当の事を思い出す。
忘れていた訳ではないけれど、話の流れ……と、いうか雰囲気的に渡しそびれてしまいそうだったから。本当に忘れていたわけではないのだ。信じて欲しい。

「あ、少し待ってもらえますか?」
「……何だ?」

 怪訝そうに顔を顰めながら首を傾げる降谷さんを横目に、キッチンへと足を運ぶ。そして、冷蔵庫からお弁当を取り出して、布で包み混んでから手提げに入れた。
 それを手に持って彼の元へと戻り、手渡す。その瞬間、何だこれは? と言う様にまた首を傾げた。

「これ、作ってみたので……よければ夜食にでも食べてください」

 見た目は自信ないんですけど。そう情けない顔で言えば、降谷さんは少し驚いた様に目を丸くする。

「君が、作ったのか?」
「あ、はい」

 じっと降谷さんは、私の手元と顔を交互に見つめていた。そんな彼に少し居た堪れなくなる。

「あの、ご迷惑でしたら……無理にとは……」

 無言で何かを考えている様子の降谷さん。別に毒とかは入っていませんよ。なんて言いそうになって止める。流石に、言ったら怪しまれるだろう。
 どうしよう。そう思っていれば、降谷さんは小さく「いや」と呟いてから私の手から、手提げを取っていく。

「貰う」
「えっ」

 思わずそんな声を漏らしてしまえば、少し不機嫌そうに「差し出してきたのは君だろう」と言うのだ。いいや、そういう事じゃない。受け取ってくれた事に驚いてしまったのだ。
 だって、本当に受け取ってくれるとは思っていなかった。受け取ってもらえたら嬉しいとは思っていたけれど。
え? 本当に? 夢ではないよね。そんな風に思わずにはいられなかった。
 呆然としている私を他所に、降谷さんは無言のまま手に手提げを持って玄関の方へと足を進めていった。少し遅れて私も、降谷さんを見送るためにその後を追う。
 玄関先で、降谷さんが靴を履いている姿を見つめた。直ぐに吐き終えた彼がドアノブへと手を掛けた時に、返してくれるかは分からないけれど、声をかける。

「ふる……零さん」

 その呼びかけに、こちらを振り返る事はなかったが、僅かにぴくりと反応を示した。無言だった事は特に気にならない。反応してくれたと言う事は、ちゃんと耳を傾けてくれている事が分かったから。
 そのまま私は続けた。

「あの、えっと……行ってらっしゃい! 忙しいと思いますが、お体には気をつけてくださいね」

 色々な意味で。
 体調面も勿論だが、怪我にはどうか気をつけて欲しい。危険のある仕事だから。常に命の危険と隣り合わせの様な仕事をしていると分かっているから。だから、少しの心配を滲ませて、私は降谷さんに様々な思いを込めて言った。
 私なんかに心配される筋合いはないと、思うかもしれない。しかし、それでもいい。これはただの自己満足なのだから。
降谷さんの身を案じているのは、推しだからなのか旦那だからなのか。きっと、どちらも。心配は心配なのだ。
 降谷さんは私の事を嫌っているとは思うから、そんな相手に心配されるのも嫌かもしれない。だから、伝わらなくてもいいのだ。そう、これはただの自己満足なのである。
 やはり何も返してくれないのだろうと思っていれば、不意に降谷さんの声が聞こえた。

「…………ってくる」
「……え?」

 何を言ったのか上手く聞き取れず、小さな疑問の声が漏れた。すると、降谷さんはもう一度、口を開く。

「……行ってくる」

 今度はちゃんと聞こえた。しっかりと私の耳に届いたのだ。しかし、聞こえはしたけれど、思わずまた「えっ」と言う言葉が漏れてしまった。
だって、降谷さんが返してくれるなんて思ってなかったから。
 開いた口が塞がらない。とはこういう事を言うのだろうか。呆然と立ちすくんでいる私を置いて、それ以上は何も言わずに、降谷さんはこちらを見ることもなく家を出て行ったのだ。
 パタンと音を立てて扉が閉まる。それを見つめたまま、暫くの間はその場から私は動く事が出来なかった。どうやら私は状況について行けず、置いてけぼりを食らってしまった様だ。

 えぇっと、今何が起きたのだろうか。ちょっと分からない。
 え、えー……?

 今、私は一体どんな顔をしているのだろうか……?

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