硝子が朝から珍しく血相変えて俺の方へ走って来た。
これ以上、何かが起きるのは本当に勘弁して欲しかった。つい一週間程前俺の親友が最悪な形で姿を消した、らしい。らしいというのは夜蛾センから聞いた話を未だに自分の中で咀嚼出来ずに居るからだ。俺よりも、ずっと正しくて俺よりも優しかった筈の傑が親にまで手をかけて、姿を消した。傑の部屋にアイツが消えてから無断で入っても俺が遊びに行った時のまんまで、俺が貸したゲームもそのまま置かれて居た。アイツがハマってたゲームもそのまんまで。着替えだってそのまま残って居た部屋を見て何が現実か分からなかった。
ただ、俺よりも正しかった筈のたった一人の親友が消えたという事。
まだ整わない息を乱したまま硝子は一度息を飲んで俺に言う。

「…五条、名前が消えた。」

「はぁ?」

名前が消えた?何言ってんだ、と思う前に真っ先に浮かんだのは傑だった。
真っ先に硝子も浮かんだだろう。傑と名前は付き合って居たからだ。
だけど、傑が消えた時、名前は『私は、ここに残るよ。』と消えそうな声で言ったのを覚えている。何で、時間が経った今居なくなったりするんだよ。
朝っぱらから冗談も大概にして欲しい。硝子はあいつとかなり仲良かったから珍しく狼狽えているけど、勘違いとかじゃないのか。
傑は、置いて行った筈だ。つられて心拍数が上がってパクパクと自分の心臓が音を立ててるのを感じる。冷や汗が伝う。

「…本当に、居ない。連絡も着かないんだ。」

「勘違いじゃねーの?」

「メール…夜中に届いてて。ありがと、さようならって。」

「マジ?」

「マジ。」

「夏油かなあ…やっぱり。」

「いや…名前は残るっつってただろ。それにアイツが居なくなっても普通に…」

「普通にしてたのがおかしいだろ、どう考えても。」

硝子がため息を吐いて俺を名前の部屋に誘導する。
そして名前の部屋で勝手に煙草に火を着けて煙を吐き出した。
親友の彼女だった名前の部屋のクローゼットを勝手に空けたら、傑の時と違って服が一個も入って居ない。「勝手に女子の部屋漁んなよ。」と言われたが硝子もどうせ確認済みだろう。高専の制服だけが綺麗にベッドの上に折りたたまれて居た。
そのベッドに硝子は座ってため息を吐いて寝転んで煙草をふかした。

「なー五条。いいの?」

「何がだよ…っつうか、どうすんだよこれ。」

「夏油に着いてってるとしたら、名前も処刑対象になるな。
はぁ…何で着いてっちゃうかな。」

「確定した訳じゃねえだろ。だってそうだろ、意味わかんねえよ。
名前は普通に任務もこなしてたし!一昨日だってお前と買い物とか行ってたし!
ありえねえって!」

「五条…落ち着けよ。頭痛い。で、どーすんの?」

「はあ?どうするって…連れ戻すしかねえだろ。今なら…」

「夏油が無理やり連れ去った訳でも無いのに、か?」

ぐわんと強い眩暈がする。気付いたら硝子の煙草の煙が部屋に充満している。
まだ、まだ今なら間に合うだろ。名前の呪力を辿って行けばどうにかならなくもない。それに傑ん所へ行ったって確定事項じゃねえだろ。
そう自分に言い聞かせようとするのに、硝子の言葉が腹の奥でずしんと鉛のように重く響く。無理やり連れ去った訳でもないのに、と。
気付いたら握り締めていた拳から力が抜けてだらりと主不在になった名前の部屋の壁にもたれかかった。

「呪術師嫌んなって逃げだしたとかじゃねえの?」

自分の口から洩れるのはあり得ない予測だった。

「あり得ないだろ。名前が夏油の事を相当好きだったのを知っているだろ五条も。」

「……」

そんな事は分かって居た。そもそも、俺が一番良く知って居た。
こんな事になるんだったら、名前に子供じみた悪態ついたりするんじゃなかった。なんて思って項垂れる。名前の親友であった硝子より俺が何で一番良く知ってたかって言うのは俺は今になって思えばアイツの事を特別視していたからだ。
傑の彼女だって分かってたし、そうなる前から俺は名前を硝子を見る目とは違う目で見ていた。向こうは知りもしないだろうけど。
別に、あの二人を邪魔をするつもりも無かった。そもそも俺は傑みたいに名前に好意を伝える勇気も無ければ大人にもなれなかった。

「なあ、五条。何で夏油居なくなってから名前を強引にでもお前のにしなかったんだ?」

「はぁ?何言ってんだよ。」

「分かりやすいじゃん。五条は。名前は何も気付いて無かったけどな。
夏油はどうだろ。知ってたんじゃないかな。」

「…俺の話はいいだろ。」

「ホント、五条って報われないな。」

その通りだよな、なんて言いそうになってため息を吐いて窓の方を見た。
硝子の言う通り、傑が居なくなってから俺が何か言う事も出来たし今後悔する位なら力づくでも引き止めるようにしてりゃ良かった。ただそれだけの話だ。
結局、俺が気付いた時には擦り抜けて手のひらから零れ落ちて行く。

「名前も何で犯罪者に着いてっちゃうかな。…馬鹿じゃん。」

一瞬硝子の声がくぐもった気がした。
何で、傑だったのか。しかも今の傑だったのか。
俺だって知りたいし聞きたい位だ。しんと静まった朝、また俺は人を失った。



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