「何を、してるんですか」
家に帰ってもいつものように迎えがないと思ったら、なまえさんはソファーに座って、手元に集中していた。後ろから声をかけると、びくりと震える肩。同時に、あ、という声がこぼれて、それからやっと、僕を見る。
「マニキュア、塗ってたの。お出迎えしなくてごめんね」
そう言うなまえさんの手にはたしかに小さなハケがあって、左手の爪の半分ほどが、すでにつやつやと光っていた。その中に一本だけ、指にはみ出しているのを見つけて、さっき彼女がこぼした呟きの理由に気がつく。
「いえ、気にしないでください。……僕がやりましょうか?」
なまえさんがあまり器用ではないことを僕は知っているし、僕に知られていることを彼女も知っているから、こういうとき、なまえさんは余計な意地をはらない。基本的に何でもひとりでできてしまうひとだから、たまに頼ってくれるとうれしいと思う。
「じゃあ、お願いしようかな」
今回もなまえさんは照れたように笑って、マニキュアの瓶を渡してくれた。まだ使いはじめらしく、ほとんど中身は減っていない。軽く揺らしてみると、ドロリと波うつ液体は、濃いピンク色をしている。なまえさんには似合わないな、と思っていると、それを察したかのように彼女は笑った。
「バーナビーっぽい色でしょ?つい買っちゃった」
目の前でひらひらと振られる左手、中途半端に塗られた爪、塗料の付いた白い指。その一言で、悪くはないと考えを改める僕は、大概単純な人間なのかもしれなかった。
一本ずつ丁寧に塗布すると、次第に彼女が僕の色に染め上げられていくような錯覚すらおぼえる。なまえさんには派手すぎると思ったその色は、乾いてみると、案外と彼女に似合っていた。