Eden


雨は好きじゃなかった、雨音は嫌いじゃなかった、傘は、嫌いだった。


カークランド氏と出会ったのはこの街に来て間もなくのことだった。紳士と呼ぶには些か影のある、明るいメインストリートよりはどちらかというと薄暗い裏道が似合いそうな男だ。少しばかりくすんだ色をした金髪と深緑の瞳を見るたびに、その考えが間違っていなかったと私は確信する。そんな彼も紳士を名乗る男のひとりではあったので、傘をさすことを好まなかった。ただ、雨の中にためらわず歩き出した私を見たときは、驚きにそのエメラルドの目を見開いて慌てて傘の用意をさせていたけれど。もちろん私はその傘を丁重にお断りして、さほど遠くはないホテルまで濡れながら帰った。後日届けられた薔薇の花束は気取った彼にぴったりで、つい笑ってしまったことは記憶に新しい。添えられたカードの文字は整っていて、意外だともそうでないとも言いがたい複雑な気分を味わった。


建物から出ようとすると、行きはどんよりとくすぶっていた雲から無数の雫が滴り落ちていた。雨が多いこの街では、よくあることだ。私はいつものように気にせず、一歩踏み出す。

「女の子がからだを冷やすのはよくないよ」

よかったら使って、とごく自然な動作で差し向けられた傘で当たるはずだった雨は遮られた。振り返ると、話したことこそないが、何度か見たことのある人が立っている。カークランド氏のやたら格式ばった姿とは違う、品のいい着崩され方をしたスーツ、ゆるやかに流れる金髪、晴れた日の空を思わせる澄んだ青色の瞳。名前は、知らない。さて、どうやって断ろうかと私は思案する。人の厚意を無下にするのは本意ではないけれど、それよりも、頭上で雨を遮っている布切れをどうにかしたくてしかたがなかった。そのとき、水溜まりを蹴散らす音がして、背後から派手なクラクションが聞こえた。レトロな外観の、その方面には疎い私でも知っているようなこの国の有名メーカーの車から降りてきたのはカークランド氏で、彼に手を引かれて傘から出る。湿りけを帯びていく髪や服を気にするよりも前に、手慣れたスムーズさで車に誘導された。スモークのかかった窓の向こうに立ったままの、傘をさしてくれた男に会釈すれば、苦笑とともにひらりと振られる手。この対応を見るに、カークランド氏と彼は旧知の間柄なのだろう。走りはじめた車の中で、そう考えた。

「これから、一緒にディナーにでも行かないか?」

運転をするカークランド氏が、三つ目の信号を通りすぎたときに口を開いた。こうして食事に誘われるのははじめてではないけれど、何度もあったことでもない。それもランチばかりで、ディナーはこれがはじめてだ。

「……フレンチなら」

いつもなら断っていた誘いを、受けたのは気まぐれからだろうか。カークランド氏はフレンチと聞いたとたん眉をひそめて、それから、破顔した。彼は若々しい青年の姿をしているというのに、ときおり老人のようで、ときおり少年のようだった。そして、いつだってその瞳の奥にギラギラとしたけものを飼っている。


しばらくして、車は赤信号に捕まった。運転席に座る彼と、助手席に座る私の視線が、ミラー越しに交わる。私は何かを言おうとしたが、自分でも何と言いたかったのかはわからない。声になる前に消えてしまったそれを、私や、カークランド氏が知ることはないだろう。重なった唇は、雨の味がした。
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