小説 | ナノ


「あつーい」
「……」
「ねえ、暑い」
「……」
「たかすぎー」
「なんだよ!」
「やっとしゃべった」

 高杉の家から飛び出してから、翌日わたしはまた高杉と会っていた。今日は家じゃなく、珍しく外でデートだ。
 デートに行こうと誘ってきたのはなんと高杉からだった。たぶん、あいつはあいつなりにわたしに気をつかってくれたのだろうけどそれさえバレバレでちょっと笑える。

「どっか入る?」
「数分前に店でアイス食ったばっかりだろ…」
「だって暑いんだもん」
「お前暑がりだもんな」
「ほらみて、汗」
「拭け」

 こめかみからつたう汗を見せると仕方ないと言わんばかりに、高杉がすこし歩いたところにあるショッピングセンターに入ることを承諾してくれた。
 自動ドアをくぐると涼しい風がわたしたちを迎える。夏休みだからか、店内は子供を連れた人で溢れている。

「……うるせえ」
「あはは、高杉子ども苦手だもんね」
「苦手じゃねえ、嫌いなだけだ」

 チッ、と小さく舌打ちをして不満げにぶらぶら歩いていく。

 まったく、なんでさっさと先に行っちゃうかな。すこしは彼女を思いやって同じ歩幅で歩くとか、「なにか見たい店あるか?」なんて紳士的に言ってくれないものか。
 そんなことを思っている間にも高杉はゆっくりわたしから遠ざかってしまう。

「たかす、「晋助!」

 ちょっと待ってと声をかけようと口を開いたその瞬間、だれかが高杉の名前を呼んだ。
 わたしでさえ呼ぶことを許されていない、高杉の名前を。

「晋助、でしょ?」
「…………おまえ、」

 わたしと高杉の前に現れたのは、まぎれもなく写真で見たあの子だった。
 年月が経ち、写真に写っている姿より一層きれいに大人びていてそれでもあの笑顔だけは変わらずそのままで。

 あの高杉がなにも言えずに固まっているその一瞬で、わたしにはふたりの未来が見えた。
 運命的な出会いを果たしたふたりは、連絡先を交換しあって二度目の再会を果たす。そうして数年経った今、また愛が生まれていく。

 わたしがいない世界で、ふたりは幸せになる。

「帰って、きてたのか」
「うん。」

 彼女と言葉を交わす高杉の背中を見つめながら、一歩ずつ後ずさる。
 頭の回転が遅いわたしが選んだのは、彼女にくってかかることでも高杉を連れて逃げることでもなく、わたし自身がこの場から消えることだった。
 どうか振り返ったりしないで。そのまま目の前の彼女だけを見ていて。
 もし。もし、万が一。高杉の気まぐれで紹介なんてされた日には恥ずかしくて死んでしまう。わたしは数年間あなたの代わりをしていた女です、なんてなけなしのプライドが悲鳴をあげる。本当は代わりにすら、なれていないのに。

 くるり、と背を向けてできるだけ足音を立てないよう、でも早足でその場から去る。人混みにまぎれてしまえば、わたしの姿は消えてあいつも追えなくなるだろう。

「………ふっ」

 追えなくなる、なんて考え自体間違ってるか。
 正しく言い直せば、高杉は追ってこない。それどころかわたしがいなくなったことにすら気づかないだろう。

「…ふふ、ははは」

 まったくわたしってばイケメンすぎる。彼氏の忘れられない女の登場に黙って身を引くだけじゃなく、二人きりにしてあげるなんて最高にかっこいいじゃないか。
 最高にかっこよくて、最高に惨めだ。

 好きだと、あんたが彼女を想ってるくらいにわたしだってあんたが一番大好きだと、そう伝えればすこしくらい高杉も揺らいでくれただろうか。
 数えきれないくらいの「もしも」が頭のなかに浮かんでは、変えられない現実に絶望する。



「てめえ!」

 ずぶずぶ沈んでいく心が掬い上げられるように、思いきり腕を引かれて我にかえる。

「な、に」
「何じゃねえよ!勝手にいなくなってんじゃねえ!!」

 息を切らせ額に汗をにじませている高杉が怒鳴る。
 どうして、ここにいるの。

「ったく、走らせやがって」
「……なに、してんの」
「ああ?」
「……あの人のとこ、なんで行かないの。ここにいちゃ、ダメでしょ」

 どこまでも嘘つきなこの口が、本音を覆い隠していく。そして裏腹に心はずっと待ち望んでいたあの子のことを置いてきぼりにしてわたしを選んでくれたのかと思い上がって醜い優越感が広がる。

「……俺もよく、わかんねえ」
「…………」
「なんで追いかけてんだろ」
「……なにそれ」

 期待していた答えでは決してないけれど、それでも充分だ。
 高杉があの子じゃなく、わたしのもとへ来てくれた。その感情が恋じゃなく、たとえ同情だとしても嬉しい。もう、高杉がここにいるならなんだっていい。それぐらいわたしはこの男に惚れてるんだから。

「…………帰るか」
「ほんとに、いいの?」

 掴まれた腕はぷらぷらと揺れる。いまにも離れてしまいそうなそれを不安げに見つめながら問う。
 このまま、あれだけ焦がれた彼女に背を向けてしまうことを選んでしまうのか。ここで頷かれたらそれこそわたしのぬか喜びで終わってしまうし、こんなこと聞かないほうが自分のためだってわかるけれどそう聞かずにはいられない。

 それでも高杉はなにも言わずに、驚くほど優しい力でわたしの腕を引いて行く。

 言うべきは、きっと今なんだろう。
 言わなければ伝わらない。ある程度生きてきて、そういう場面に何度も直面して現にいまだってわかってるのに。
 大好きだって、彼女のことを忘れられない高杉のことも大好きだって、どうして言えないんだろう。

「行くぞ」
「………うん」

 明日になれば、また高杉の気持ちは変わってしまうのかもしれない。優先させるべきは彼女のことだとわたしのことを追いかけた今日を後悔するのかもしれない。

 ほそいほそい糸の上でまた、道化のような愛を繰り返す。