――最近、やたら副長から良いかおりがする。こんな噂が屯所のなかをかけ巡っている。
ある者は廊下ですれ違った際にシトラスのようなにおいがしたとか、またある女中は洗濯に出された副長のシャツからオレンジやグレープフルーツのような柑橘系のにおいがしたとか。
副長の『良いかおり』とやらがどちらにしたって、この噂にかこつけて沖田隊長は泣く子も黙る鬼の副長サマから加齢臭がしみ出ており、それを隠すために香水をふりまいているということを真選組内に吹聴して回っている。
わたし個人としては、煙草臭いことを誰かに言われて香水でもつけ始めたんじゃないかなあとぼんやり思っている次第だ。
さて夏の大きな一斉摘発が終わったころ、打ち上げということで屯所内はお祭り騒ぎだった。
いつものように局長は全裸で踊り、隊士たちもやんややんやとさらにそれを盛り上げている。かくいうわたしもいつもより多めにお酒をあおり、すっかりできあがっていた。
「かなり飲んでるみてェだな」
どかりと隣に腰かけてきたのは、着流しを着た土方さんだ。そういう土方さんも頬がほんのり赤くなっているから、多少酔っているのだろう。
ほらよ、と差し出された水を受け取りながら気になっていたことを聞いてみる。
「土方さん、最近隊士の間で噂になってますよ」
「噂だァ?」
酒でよく回らない頭でなぜかそんなことを、ましてや副長自身にむかってしゃべっているなんて素面のわたしだったら絶対していない。できるはずもない。
だけど、なんていうか、その時のわたしはすこしばかり馬鹿だった。
「はい。なにやら良いかおりがするとかで」
空になったグラスにビールを注ぎながら言う。
そしてすこしの沈黙のあと、土方さんが口を開いた。
「あァ、あのことか」
「知ってたんですか?!」
「まあ…なんとなくだがな」
あれだけ沖田隊長が騒いでいたにもかかわらず、珍しくなにも言っていなかったからてっきり知らずにいるのだろうと思っていたのに。
ふうん、と相づちを打ちながらこの際もう一歩踏み込んでみる。
「どうして急に香水なんかつけたんですか?」
からかい成分100%でニヤニヤしながら聞いてみる。いつも頭が上がらない副長より優位に立てるチャンスだ。
…なんて思っていたのに、意外にもあっさりと答えは返ってきた。
「あれは香水じゃなくてシャンプーだ」
「へ?シャンプー?」
「最近変えたんだよ。まさかあんなににおいがするとは思ってなかったけどな。」
「へ、へェ………」
まさか悪人面の副長からそんな乙女チックな話が飛び出すとは思ってなくて、思わず顔がひきつる。
心なしか酔いもすこし覚めてきた。しかし土方さんは続けてさらに大きな
「お前が使ってるやつだよ」
「はい?」
「だから、シャンプー。お前がいま使ってるやつ」
まるでなんてことないように、さらりとそう言ってのけたがちょっと待て。
「え?わたし?え?」
「いつもお前のにおいに包まれてるみたいだろ」
ぞわっと肌が総毛立つ。なんでわたしの使ってるシャンプーの銘柄知ってるんだとか、わざわざ同じの探したのかとか。考えれば考えるだけ気持ちが悪い。
それに、話している土方さんの横顔が恍惚としていてそれがまたさらに気持ち悪さを助長させている。
…とりあえず土方さんの使ってるシャンプー捨てよう、と土方さんからゆっくり距離をとりながら固くそう誓った。