ごちゃごちゃ | ナノ
三歩先のあなた


いちご牛乳が好き、趣味は愛車である原チャリいじりとジャンプを読むこと。わたしがあの人について知っていることといったらそれくらいだ。そんな数少ないことだってもしかしたら全部が偽りかもしれない。

「坂田さん、聞いてくださいよー」
「なに、またあのひどい彼氏になんか言われたの」
「そうなんですよぉ」
「坂田さんあたしもー」

あの人が、一体なにを考えているのかわからない。

黙々とパソコン画面に向かうわたしの傍らで、坂田さんと彼にまとわりつくように女性が楽しそうに声をあげる。
一応、恋人がここにいるんだけど。ばれないようにじろりと睨む。彼氏が綺麗な女の人に囲まれておもしろくないと言えば素直にそうだとうなずくけど、それを悟られるのもまたおもしろくない。微妙なオトメゴコロを彼はきっとよーく心得ているはずだ。だって、そういう人だ。

「久しぶりに飲み行くか」
「えっ、ホントですかぁ?」
「あたしも行きたーい」
「どうせならみんな誘おうぜ」

いつの間にか部署を巻き込んだ飲み会にまで話が発展してしまっている。
面倒くさいから体調が悪いとか適当に理由つけて休もうと目論んでいると

「行くよな?」
「………はい」

普段仕事では見せないような爽やかな笑顔を送る坂田さんと、あの坂田さん直々にあんたのこと誘ってんだからまさか休むなんて言わないよな?という無言の女子の圧力に負けた。たぶん、それもこれも全部坂田さんの計算通りというところだろう。
あーあ、また手のひらの上で踊らされているかと思うと情けなくて悔しくて泣きそうになる。じんわりと熱を持つ目頭を覆ってひたすら耐える。




きゃぴきゃぴと騒ぐ同期の女の子を横目に軟骨の唐揚げを口に運ぶ。
これを注文したとき、おじさんみたーいと笑った彼女たちはチーズをふんだんにあしらったフライやら野菜ばかりのヘルシーな料理をいくつか頼んでいた。どこから違ったのか。遺伝子的には同じなのに、声の高さも嗜好も男に好かれる能力もわたしとは正反対だ。

若い子を中心に盛り上がった飲み会も終盤になり、二次会を計画するものや今日はこれでと消えていく人もいるなか坂田さんはやっぱり変わらなかった。美人で有名な秘書課の子が耳元でなにか囁いて、ふたりでくすくす笑っている。彼女の目元がほんのり赤く染まっていて、ほろ酔いであることがわかる。
空になったコップの氷をがりりと噛み切る。すっかり板についた見て見ぬフリをして、先に帰るという同僚に紛れて立ち上がる。

「なあ」

そんなわたしを見上げるようにして、右腕に絡みついている女性をそのままに坂田さんが口を開く。

「行かないでって言ってくんねーの」

試すようにきらりと赤い目が光った気がした。
きっとわたしがすがるように涙ぐんでそう言えば、彼は女性をするりと腕から引き剥がしてこちらに来てくれるだろう。もしかしたら、キスのひとつでもくれるかもしれない。

でも、もう疲れてしまった。
わたしをおじさんみたいだと笑った彼女たちの向こう側で、同じように笑うあなたを見るのも。女の子に抱きつかれながら視線を投げられるのも。なにもかももう、どうだっていい。

「どこにでも行ってください」

ため息とともに吐き出された言葉は、想像していたより疲労感の色が濃くて自分でもぎょっとした。
ちょっとだけ見開かれた目に、妙な開放感を覚えながら背を向ける。
…はやく、家に帰らなくちゃ。誰が待ってるわけじゃないけど、少なくともここよりは居心地は良いはずだ。





「…なあ」
「………」
「無視ですかー」
「………」
「いちおう俺上司なんだけど」
「………」

仕切りに肘をついてだるそうに声をかけられるもすべて無視。ついでに女性陣の痛いぐらい突き刺さる視線も無視。

あれから坂田さんから頻繁に来るメールも着信もすべてスルーしていたら、逃がすまいとついに社内で堂々と話しかける作戦に出たようだ。
あなたにはよりどりみどりの綺麗な人がたくさんいるのに、いざわたしが去ろうとすると名残惜しくなったのだろうか。

「これだけ呼んでも無視?」
「………」
「ふーん」

きらりといたずらに赤い目が光るのも、ひたすらパソコンを睨んでいたわたしが気づくはずもない。

「んっ、」

不意に視界に銀髪がわりこんできたかと思ったら、呼吸が思うようにできない。唇を、塞がれた。

「ちょ、っと!……ふ」

肩をぐいぐい押しても離すことなく、むしろ頭を固定されてキスが深くなる。背後で何人かの悲鳴が聞こえる。
そうだ、ここは職場。みんな見ているっていうのに。

「っ、離して!」
「は、やっとこっち見た」
「いいいい一体どういうつもりですか!!」
「あー、ここじゃ話できないか。行くぞ」
「坂田さん?!」

右手をつかまれて人気のない廊下まで連れて行かれる。
これ以上勝手なことをされまいと、つかまれた右手を振り払う。恥ずかしさと突然のキスで頭はぐちゃぐちゃだ。

「なんなんですか!みんなの前で、急に…キ……あんなことするなんて!!」
「だって無視すんだもん」
「だ、だからって」
「逃げんなよ」

壁際まで追い詰められて、頭のなかに準備していた文句のひとつも言えなくなってしまう。
それでも、窮鼠猫を噛む。掌の上で踊り続けるのはもうまっぴらごめんだ。馬鹿だとなめられているのも腹が立つ。

「坂田さんなんて大っ嫌いです!!」

ようやく出てきたのは、まるで小学生同士の喧嘩レベルの悪口だ。きっとこの人の心には刺さることない言葉だとわかっていても、言わずにはいられない。

「本当に?」
「ええ!もうまっぴらごめんです」
「…ふーん」
「……なんですか」
「俺は好きなのに」

一言甘い言葉を囁かれるだけで、ぐらりと揺らいでしまう自分が憎たらしい。自然と上がってしまいそうになる口角を見られないようにうつむくと、顔にかかった髪の毛をさらりと指ですくわれる。

「………ずるいです」
「そういう男だって知ってんだろ」

わたしの気持ちの揺らぎを見透かしているかのように、慰めのようなキスを頬に、そして唇にひとつずつ。

綺麗な女性と一緒にいる姿を見せてはこちらの反応をうかがっては面白がる。なんてタチの悪い人だ。
でも陰ですべての誘いを断っていることもまた、わたしは知っている。

「なーに、ニタニタしてんだよ」
「してませんよ」
「キスが嬉しかったのか?もっとしてやろうか」
「違います」
「へっ、つれねーの」

三歩先を歩くあなたには追いつけないけど、その背中はいつだってわたしの視界のなかにある。



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