戻れたらいいのに。ずっとずっとあの時が続いていたらいいのに。
グラウンドをジャージ姿で走る黒髪を見てそんなことを思った。
去年、土方と同じクラスで自惚れかもしれないけどそれなりに親しかった。気持ちが近づくのは至極ゆっくりなのに、離れていくのはきっとあっという間だ。それに気づいてチャンスを手にしていればあたしと土方の関係は少し変わっていたのだろうか。
土方に親しそうに話す女の子の姿が自分と重なって、また消えていった。
*
「…土方」
「おう」
自転車置き場で見知った背中に、ぽつりと名前を呼んだ。ぽかんと驚くあたしとは違って、土方は別段変わった風には見えない。
「ひさしぶり」
「隣のクラスなのにあんま会わねえよな」
「そう、だね」
土方とあたしの共通の話題なんて数えるほどしかなくて、それがまたあたし達の関係の希薄さを物語っているようで。
「………」
「………」
沈黙が、怖い。
逃げ出してしまいたくなるような静けさが胸を刺す。そんな空気をはやく終わらせたくて、ぎゅっと自転車のハンドルを握ってからからに乾いた口を開いた。
「じゃあ、また「一緒に帰ろうぜ」
わずかに見開いた目に、風になびくきれいな黒髪が広がる。
「どうせ方向帰る同じだろ」
…どうして、そんなこと。
去年同じクラスだっただけで、もうたいして話すようなこともないあたしにそんなこと言うの。土方のことだって知っていることといったらこれっぽっちしかないのに。
「……うん」
それでも、甘い誘いに心ひかれてしまうから素直にイエスと言ってしまう。
たった数十分でもいいから土方と二人きりでいれる時間が欲しい。貪欲なくせに臆病な自分がとても恥ずかしい生き物のように思えた。
カラカラとタイヤの回る音しかしない。一緒にいたいと思ったあたしは早速後悔し始めていた。
なんで、帰れるなんて言っちゃったんだろう。用事があるとかなんでもいいから断ればよかった。なにかしら甘い雰囲気を期待していたけど、実際はただ息苦しいだけだ。
「いまのクラスどうだ?」
「え、まあまあ楽しい、けど」
不意に投げかけられた問いに、意味を考える間もなく答えていた。突然すぎて驚いたけど土方からくれた話題にどうにかすがる。
そしてちょっとだけはやくなった鼓動を感じながら、消えかかった期待を感じずにはいられない。
「土方は?楽しい?」
「…まあ、な。剣道部のやつら集まってるし」
剣道部、と言われて近藤くんや沖田くんを思い浮かべる。騒がしそうだなあと想像して、去年のクラスをまた反芻してしまう。
土方とは違い、あたしのクラスには去年のメンバーはいない。それなりに楽しいけれど、ぽつんと一人どこか取り残されたような気がする。
もうどれだけ焦っても足掻いてみても、あたしの手からこぼれてしまったものはもう二度と戻らないのだと誰かが嘲笑っているようで。
「でも、お前がいないとつまんねえ」
カラカラ
車輪がまわる。
周りの音が全部聞こえなくなってそのなかで唯一聞こえるのは、うるさいくらいに騒ぐあたしの心臓の音。
……言うなら今なんだろう。
あたしの短い人生で学んできたもの達が、今しかないと叫んでいる。だけどどれだけ口を開いても一文字だって気持ちを代弁してくれるそれが出てこない。
「…なァ」
「…………なに?」
「俺の言いたいこと、わかるか?」
わかる、と言うかそうであってほしいという期待。そしてもし違っていたらという不安。
だけどもうここしかない。さっきのチャンスを無駄にしたあたしに、神様がくれた最後の希望なんだと思う。蜘蛛の糸のような細くていまにも切れてしまいそうなそれを、勇気をだして手繰り寄せてみる。その先にあるものが光であればいいと信じて。
「…土方」
「なんだよ」
「あたしの言いたいことも、わかる?」
「………なんとなく」
ぐっと奥歯を噛みしめて我慢する。言葉だけじゃないものを確かに感じた。
ねえ土方、あたし今泣きそうだよ。土方が言おうとしていることが、わかった。それが自惚れじゃないと真実だと気づいてしまう。
「ひじかたぁ…」
「な、なんで声震えてんだよ!」
「……耳、真っ赤だよ」
「うるせ!!あんまこっち見んな」
風がゆるやかに吹くたび、真っ黒な髪からのぞく感情のかけらが胸をしめつける。
ホントは今すぐ自転車をぶん投げて、抱きつきたい。好きだって叫んであげてもいい。おなじ気持ちだってわかった瞬間こんなに大胆になるのはなんだかおかしいような気がするから今は我慢しておくけど。
「土方」
「あ?」
「明日は歩いて帰ろうね」
「……おう」
耳を真っ赤にした土方と、ほっぺたを赤くしたあたし。はたから見たらきっとおかしいだろうな。そんなことを思いながらふたりぶんの距離を帰った。