「順調ですね」
がちゃがちゃとカバンを漁りながら、医者が言う。にこりと柔らかな笑みをたずさえながら平気で嘘を吐くこの男をぼんやりと見つめる。
「それでは、薬をしっかり飲んでよく栄養をとってください」
お送りします、と頭を下げた近藤さんになぜだか無性に涙が出そうになった。申し訳ない、と謝ることさえ申し訳ない。
布団に入ったまま、上半身を起き上がらせて外を見る。いつの間にか、桜が咲いてる。この前まで雪がちらついていたというのに。時間の流れのはやさは箱みたいなこんな部屋にいたらわからない。
「総悟」
名前を呼ばれて、ゆるりと顔を向ける。どかりと座り込んだ土方さんの口には煙草がない
「煙草、どうしたんですかィ」
「ああ…切れちまった」
「相変わらずどんくさいですねェ、ニコチンバカは」
それを聞いてガミガミ怒り出す土方さんはもちろんスルーで。
…まったく、どいつもこいつも嘘が下手で困る。俺が病気になってから土方さんの吸う煙草の量は格段に減っている。見舞いのときはいつも吸っていない。そんなのバレバレでィ
「おう、トシ」
「近藤さん」
「お医者さんを送ってきた。総悟、そろそろ横になったらどうだ?体冷えるぞ」
「なに言ってんですか。今起きたばっかですよ」
病人扱いは止めてくれと何度も言ったのに、近藤さんは聞いてくれない。まだ心配そうにまゆを寄せる近藤さんを視界から追い出して、また外を見つめる。
「っげほ、ごほ」
「総悟ッ!」
「おい、しっかりしろ!!」
手のひらに温かいものが広がって、指の間からそれが滴り落ちた。白い布団に滲んだ赤を見て、ふたりの顔色が変わる。
「大丈夫、でィ」
頼むからそんな顔で見ないでくれ
頼むから、
「総悟、横になれ」
「だから平気…」
「いいから」
いつもより数倍眉間のしわの濃い土方さんにしぶしぶ従う。ぺろりとふざけたように舌をだすと、ようやく近藤さんが安心したように笑った。
「なにか欲しいものはあるか?」
「……べつに」
俺が今、バカみたいに高いもんをねだればきっとなにも言わずに与えてくれるだろう。欲しいのはそんな優しさなんかじゃない。あんた達と一緒に立てる強い体が、強い足が、欲しい
「・・・失礼します」
「どうした」
「局長、副長」
ひとりの隊士が入ってきてぼそぼそとふたりに耳打ちする。それを聞いた瞬間に土方さんが立ち上がり、近藤さんも続いて腰をあげた。
「…なにか、あったんですかィ」
「……お前は寝てろ」
「総悟、また来るからな」
パタリと閉じられた襖を睨みつける。
いつからだ、いつから追いつけなくなった。三人で立っていたじゃないか、同じ場所で同じところを目指していたはずなのにいつから俺は走れなくなった。
「ぐ、げほっ、…ごほっ」
苦しい、痛い、つらい、それでも生きたい
あの人を守ると誓ったのに、一緒に生きることさえできないなんて。ひりひり痛む喉のせいか、それとも自分の弱さのせいか視界がぐにゃりと歪んだ
『あまりよくない状態です…覚悟は必要だと思います』
厠へ向かうとき、たまたま聞いた医者が近藤さんに言っていた言葉を思い出す。それがどんな覚悟かなんてもう痛いぐらい自分でわかっていた
生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい
こんなにも強く願ったことなんてない、叶うならなんだってするから。
「う、くっ」
肩が震える。だれもいない部屋に嗚咽だけがいやに響く。
神様、僕のいのちひとつ救ってはくれないか
布団に染みた赤がやけに鮮やかでまた涙が落ちた