花薄 | ナノ



黒く焦げた木片が転がっているのを、視界の端にとらえた。遠くからバタバタ人が走る音とうめき声が聞こえる。
被害は相当のものだったことは見てわかる。むしろ、実際の怪我人の数を知るのが怖いくらい。かくいうわたしもその一人だ。

首と腕に巻かれた包帯のせいで、多少動きづらくもあるがすこし離れたところに座る。いまはすこし一人になりたい。
あのとき、運よく隊士の方に助けてもらいすぐに土方さんが駆けつけてくれた。二言三言しか話はできなかったけど心配してくれていた。それから顔がみえないからいまはたぶん、処理や上への報告で忙しいんだろう。

…十四郎さんに会いたいような、会いたくないようなそんな不思議な感覚。まあどっちにしろ今日は会うことはないだろう。
ふっと息を吐いて立ち上がる。いろいろあって体がすごく疲れてる。はやく横になりたくて自分の部屋へと足をはやめた。


布団に入るとすぐにとろとろと眠気がおそってくる。ふと空耳のような幻聴のようなものが頭のなかに響いてきた。

『お前だけがなにもかも忘れて幸せになれると思うな』

暗闇にぼうっと浮かび上がるのはちらちらと炎がゆらめく中でとぎらりと光る刃先と鋭い眼光。

『先生を捨ててお前だけが生きようとするな』

……ちがう、違うッ!

はっと目を開けると見慣れた天井が広がっている。気づけば息を切らして背中にうっすら汗をかいている。刃を向けられ、はっきりとした敵意がこめられた瞳が暗闇のなかに浮かび上がるように鮮明に思い出される。
先生を捨てたわけじゃないし、忘れたわけじゃない。大好き。それは変わらない。ホントの気持ちだ。でもそれは先生だけに抱いている想いじゃない。
あの人が…土方さんが好きなの。


「…………違うのに」


わたしは、ひとりだけ逃げているのだろうか。そうして甘い蜜を吸って幸せになろうとしているのだろうか。







目を覚ましたのはいつもよりはるかに遅い時間で、もうお昼に近い。不思議とお腹は減っていなくてとりあえず顔を洗おうともぞもぞと布団から這い出した。
屯所は昨日より落ち着いたものの、建物の復旧作業が始まっているため人の出入りが激しいようだ。

顔を洗い終わって着替えも終えて、なにもすることがなくなってしまった。
ぼうっとしているところに十四郎さんの声がした。


「…名前」

「……十四郎さん」


今大丈夫か、と問われ返事をする。ゆっくりふすまが開いて久しぶりに切れ長の目がわたしをとらえた。


「体は大丈夫か?」

「はい。怪我もたいして大きくはないので」

「…そうか」


そこでようやく十四郎さんの様子がおかしいことに気づいた。そしてその後ろに立っている近藤さんも。


「あの、」


なにかあったのかと口を開いたと同時にミシッと床がきしむ音と共に現れたのは、はるか昔に見たことのあるような顔。
……そうだ、思い出した。

『吉田松陽、我々と一緒に来てもらおう』

口元を歪めて笑うこの男は、あのとき先生を連れていった幕府の人間だ。
そう気づいたのと同時に見知らぬ男たちがわたしの周りを取り囲む。


「指名手配犯である高杉晋助の関係者として、貴様を連行する」


ひゅうと喉から意味もない空気がもれる。どういうことかとすがるように十四郎さんを見ても顔を歪めるだけで、近藤さんも泣きそうな顔で視線をそらすだけだ。


「連れていけ」


そう告げられたと同時に両脇に役人がついて肩を押されて無理やり歩かされる。なにもわからず、なにも言えないまま。
でも、わたしは、

先生を裏切った
高杉くんを傷つけた
……十四郎さんを裏切った

だからこれは、罰なのかもしれない。

騒がしい屯所を役人に連れられていきながら、なんとなくこれが十四郎さんに会う最後になるかもしれないと感じた。