いつものように洗濯物を運んでいると、急にばたばたと人が増えて慌ただしさを感じた。なにか事件でも起きたのかと様子を見てみると、沖田くんのような隊長格の隊士たちの姿も見えてきてただごとじゃないんだとごくりと唾をのんだ。 「…なにか、あったんですか?」 机にお茶の入った湯呑を置きながらそっと尋ねてみる。眉間にいつもより深いしわを作りながらゆっくり息を吐いた。 「名前にも伝えておこうと思ってたんだが」 「はい」 「最近攘夷浪士の活動が活発化しててな。そのせいで今ばたばたしてる」 「そうだったんですが…」 「できるだけ一人になるなよ。買い物行くときとか出かけるときはなるべく俺がついて行く」 「わかりました」 いつもの事件とは違うものを感じて、素直に頷く。あと何週間かはこのぴりぴりした空気が続くと思うと憂鬱だが、文句を言える立場でもないのでとりあえず自分に言われたことを守ろう。 まだまだ話したいことはあったけど十四朗さんの机の上に重なった紙の束を見て、また時間ができたらと部屋から出る。これからもっと忙しくなるから、顔を合わせることは少なくなるだろう。仕方ないと自分に言い聞かせながら、仕事に戻った。 「あ」 「どうしました?」 台所で作業していると、一人の女中さんが小さく声をもらした。何事かと思って聞いてみると、買い忘れたものがあると言う。 「どうしても今日の晩ごはんに必要なんですけど…」 そう言葉を濁している理由はなんとなくわかる。冬になれば日が落ちるのははやい。もう真っ暗になった道を歩くのは気が引ける。わたしだって十四朗さんから気をつけろ、と釘をさされたばかりだ。 「どうしよう」 泣きそうに眉を下げる女中さんを見ていると、もういてもたってもいられなくなってしまう。だから、ついわたしが行きましょうか?と言ってしまった。 「え、でも」 「大丈夫ですよ、すぐそこですから。走っていけば5分もかからないですし」 一度言ってしまえばもうあとには引けない。引き留めようとする女中さんを笑顔で交わして、財布を片手に屯所を出る。 十四朗さんにばれてしまう前に戻れば、大丈夫。子供が悪いことをしているようなそんな緊張を感じながら、はやくはやくと足を動かす。するとあまりに焦りすぎたせいか、片手に持っていた財布がころころと転がっていく。風にあおられるそれを拾おうと屈んだ瞬間、ジャリと草鞋が地面をこする音がした。そっと視線をあげると闇のなかから金色の蝶々が浮かび上がり、ひらりと舞う。冷えた風が煙管の煙をくゆらせて、わたしの鼻先をくすぐっていった。 「久しぶりだなァ、名前」 以前銀時くんに見せられた指名手配中のポスターと同じ表情。なにより、あの頃のような切れ長の瞳が目の前の人が高杉晋助本人だと証明している。 「高杉…くん」 「こんなとこで座り込む趣味なんてあったのか?」 「………元気そうだね」 「指名手配犯を前にしてそんな間抜けたこと言えたところをみると、お前ェも相変わらずみてえだな」 ククッと喉の奥を鳴らして笑う姿は、子供のころのそれとは違う。大人の色気も増して、他人のようにさえ思える。ゆっくりと立ち上がって、改めて対峙する。 「ずいぶん、やんちゃしてるみたいね」 「あァ」 コンクリートの壁にはられた指名手配の紙に視線をやると、合点がいったように笑った。世間では凶悪犯というレッテルが貼られた人が目の前にいても恐怖というものは感じなかった。久しぶりにかわいい弟にでも会ったようなそんな感覚。こんなこと言ったら呆れられるかまた笑われるかだけど。 「そういえばこの前、銀時くんに会ったよ」 「…そうか」 それ以上なにも言わずに煙管をふかしている。銀時くんもあまり多くは語らなかったけど、なにかあったのだろうか。 ゆっくりとうつむきかけた時、不意に名前を呼ばれた。 「名前」 「な、に?」 「……昔と同じだなんて思うな」 突き放されたようにそう言われて、くらりと眩暈がした。 わかってる、つもりだった。もう何年も経って、幼かったわたし達は成人して世の中が甘くないことも自分に都合よく生きる方法も知ってる。あの頃のまま大きくなったわけじゃないってこと、わかってた。 「そう、だね。昔とは違うもんね」 なにもかも違う。先生は死んで、わたしにはもう一人の大切な人がいるってこと。 「高杉くん、わたし結婚したの」 「へェ…たいそう物好きな野郎だな」 「……十四朗さん」 「あ?」 「真選組副長の土方十四朗さん」 バキッ、と音をたてて煙管が真っ二つに割れた。十四朗さんのものとは比べ物にならないほどの鋭い目で射抜かれる。だけどもう後戻りはできない。 「真選組だと…?」 真選組の仕事に関することはよく知らないけど、これだけはわかる。真選組が敵対している相手は討幕をたくらんでいる攘夷浪士たち。なかでも高杉くん率いる鬼兵隊は過激派として恐れられている。 そしてわたしの知っている高杉くんはあの3人なかでも一番先生を慕っていた。だからきっとわたしと十四朗さんのことをよく思わないだろう。でも、 「わかってほしい。高杉くんには認めてほしい」 だってどんなに年を重ねたって高杉くんは高杉くんだ。昔一緒に学んで、ごはんを食べて、枕を並べて眠ったことを忘れたことなんかない。だから、ねえ。 ぎゅっとこぶしを握って高杉くんを見つめると、ふっと口元をゆるめたあと睨まれる。 「……お前、それを先生の墓の前でもおなじことが言えんのか」 「ッ!」 先生が語った理想を崩して、先生の命さえも奪った幕府の狗。そんな相手を愛していると。わたしは言えるのだろうか。あんなに大好きだった人を裏切るようなことを、あの人の目の前でわたしは、 「先生を殺した相手にてめーは飯作ってやって着物洗ってやって、あげく結婚だと?」 「…やめて」 「そんな野郎を好きだと言って股開いてんのか」 「やめてよっ!」 頭を抱えたまま、その場にうずくまる。カタカタを震える指先にぎゅっと目を閉じた。 なにも見たくない、なにも知りたくない。 「…あの銀髪や先生が許しても、俺はお前を許さねェぞ」 「………」 「絶対に許さねえ」 低い声でそう言い残して、足音が遠ざかって消えた。だけどいつまでたっても立ち上がることができなくて雪がちらつき始めてもなお、わたしはうずくまったまま動けずにいた。 * 「晋助さま、お帰りなさいッス!」 「…全員集まるように伝えろ」 「晋助さま…?」 「明日、真選組を潰す」 |