やっぱり、絵画や芸術作品を見ているときの喜八郎が一番いい顔をしていると思う。喜八郎自身が絵を描いたりなんだりしているときでさえ、彼はこんなに目を輝かせたりはしない。今日連れてこられたのは現代美術館で、現代美術なんてわたしにはさっぱりわからないのだけど、じっくり見入っている喜八郎を見ているだけで満足している。

「それ、気に入ったの?」
「うん、すごくいいと思う。たぶんこれは…」

とある絵をひときわ熱心に見ていたものだから聞いてみたけど、喜八郎が喋っていることは全然わからない。わたしにはこの絵の何がすごいのかどこがいいのかさっぱりだし。美大生の感性はわからない、というより喜八郎の感性が特別に鋭くて独特なんだと思う。普段ほとんど喋らない喜八郎が饒舌になるのを見ているのは楽しいけど。

「ちょっと、聞いてる?」
「聞いてない」
「だと思った」
「だってわかんないもん」
「そんなことだろうとは思ったけど…ねえこの人の画集買って帰ろうと思うんだけどどう」
「そんなに気に入ったの?」
「うん、だってこの人君みたいな絵を描くでしょう」

わたしみたい?
この絵はどう見ても人を描いたものじゃないんだけど。どう見ても抽象画で、わたしには何をイメージしたものなのかさえさっぱりだ。首をひねってもう一度絵を眺めてみた。これのどこがわたし?うんうん唸っていると喜八郎がすっと顔を寄せて耳元で言った。
君みたいに柔らかくて、君みたいにかわいいんだ、わからない?

「わ、わかんないよ…」
「そう?残念」

喜八郎は真っ赤になったわたしをおいてすたすた他の作品を見に行ってしまった。急いで追いかける。今度はまたわけのわからないオブジェの前で止まっていた。なんだこれ?でもこんなわけのわからないものでも喜八郎の琴線に触れたのだろう、またじっと見つめている。

作品を見るというより、ずっと喜八郎を追いかけていた形になったけど今日は楽しかった。喜八郎が楽しそうだったからだろう。普段より饒舌な喜八郎を見るのは気分がいい。だから帰り際にこんな質問をされたのには少し驚いた。

「ねえつまらなかった?」
「えっ、なんで」
「あまり見ていなかったでしょう」
「喜八郎が楽しそうだったから、わたしも楽しかったよ」
「本当?」
「うん」
「帰ったら絵を描くよ。モデルはきみ」

喜八郎が少し笑った。美術館で言われたあの言葉がまた頭に蘇って、頬が熱くなる。