思い返せば小さいことだし、怒ることでもない些細なことだった。ずうっと前からの約束が、部活でなしになっただけ。月本くんは当然謝ったし、一ヶ月半先延ばしになっただけでパァになったわけじゃない。でもなんだかムカムカしちゃって、ずっと楽しみにしてたのになんてどうにもならないことを言っちゃったりして、結局カンカンに怒ってしまった。やりすぎたなとは思うけどもう引き下がれないし、一ヶ月半先だなんて寒くなっちゃうじゃん。この日のために用意してたのに、それこそパァになっちゃった。月本くんと水族館なんて初めてだからバッチリ考えてたし、奮発したのに。もうなんでよ。やっぱりなんだかイライラしてきた。バーカバーカ。

「みょうじさん」

見てやらない。ていうか月本くんの顔を見たら許しちゃう気がする。ただでさえわたしは月本くんの声に弱い。ついでにも月本くんの目にも弱い。

「怒らないで」
「知らない」

すたすたと先を急ぐ。わたしは精一杯大股で月本くんを振り切ろうと歩くのに、月本くんは余裕で後ろを追いかける。なんでそんな余裕なの。もうなんだかイライラしてきちゃう。嫌な女なのはわかってるけど。

「ねえ、みょうじさん」
「謝って」
「さっきから謝ってるよ」

その通りだ。でもあたしがどれだけ楽しみにしてたか知ってる?夏服が出始めた頃にはもうデートのために洋服買ったんだよ?グロスだって買い換えたし、サンダルも買ったの。どんな髪型していこうかなって昨日も雑誌見ながら練習したのに。

「みょうじさん、こっち向いて」
「嫌!」

一ヶ月半も先なんてもう秋だよ。アウター買わなきゃ、ブーツも、それにわたし一ヶ月半も待てないよ。ずっと待ってたんだもん。別に会えないわけじゃないし、いつもの家デートもできるから月本くんは平気かもしれないけど、わたしは違うんだよ。バーカ!

「じゃあ別れる?」

足が止まる。
バカバカバカと連呼していた頭が一瞬で静かになった。思わぬ一言、頭が真っ白になりそうな一言。ちゃんと理解する前に目頭がじんと熱くなった。ねえ月本くん、今なんて?絶対に振り向くまいと思っていたのに体が先に動いた。

「ちょっと、月本くん今…んっ」

唇に違和感。月本くんが意地悪そうに、してやったりといったような、でもそうやっていい気分なのがわたしバレないように、唇を少しきつめに結んでかすかに笑っている。ぎゅう、と唇になにかを押し込まれた。なんだか甘い。キャラメル?

「冗談だよ」

わたしの口の中にキャラメルを押しこんだ月本くんの指が、下唇をちょいちょいっといじくった。泣きそうなわたしが面白いんだろう、笑いをかみ殺すような月本くんの表情。

「な、なんなの」

キャラメルを咀嚼するのと一緒に涙がこぼれそうだった。ぐっちゃぐっちゃと奥歯にキャラメルがこびりつく。なんでそんなこと言ったのよ、でも冗談でよかった、苛立ちと安堵がないまぜになった涙をセーラー服の袖で拭って鼻水を啜る。

「みょうじさんが前やった、仕返し」

そういえば昔月本くんにそんな冗談を言った。月本くんは本気で不機嫌になった。わたしはちょっとうれしくて、でも反省したんだった。なんなの月本くんもうなんなの。口の中が甘くてそんなこと言う気にもなれない。月本くんに意地悪を仕掛けた昔の自分を呪った。キャラメル、おいしい。もう。

「ばか。なんでこんなの持ってるの。ばか」
「僕のじゃないよ。ペコにもらったんだ」
「どうでもいいよ」

ぐずぐず泣く。わけわかんなくなってきた。セーラー服の袖がぐじょぐじょだ。この間クリーニングに出したばっかりなのに。思いっきり鼻を吸った。ブサイクな音がした。

「みょうじさん、ごめんね」

月本くんがわたしの頭を撫でる。すこしぎこちない。ああもう好き。思わず一歩前に出た。そしたら月本くんはわたしの頭をわしゃわしゃわしゃ。髪崩れちゃうよ。

「泣かせちゃったね」
「ばかあ」
「うん」
「ねえ別れない?怒ってない?」
「うん。みょうじさんのこと好きなんだ…ちょっとわがままなところも」
「ほんとばか」

ぎゅうと抱きついたわたしの背中をまるで子どもをあやすように月本くんは叩く。月本くんのワイシャツにはわたしの涙と鼻水がべっとりついているかもしれないけど、月本くんは気にしない(前そうだった)。そういうところも好き。そんなことより、水族館に着ていく洋服、今から考えないと。雑誌を買って帰ろう。