XX

ツンツン優太×ツンツン彼女

「あ、来た来た! 主子ー!」
 歩きながらスマホの鏡で前髪を直していた主子は、間延びした声に呼ばれてそのアプリを閉じた。廊下の一番奥で、C奈が両手を大きく振っている。
 朝から元気でよろしい。
「ちょっと大変なのー! はやくきてよーっ!」
「はいはい、今行くー」
 スクールバッグにつけたキーホルダーがカチャカチャと音を鳴らす。
 朝っぱらから走りたくなかった。けれどもなんとなく他の生徒から向けられている視線がいやで、主子は上履きの踵を踏みながら生徒達の波をかき分けて教室の前へとたどり着いた。
「あのね主子、落ち着いてね。冷静に、だよ」
 いや、落ち着いてるけど。息を整えながらうなずくと、上目使いのC奈が主子の顔色を伺いながら、ゆっくりと教室の扉を引いた。
 何でそんなにビクついちゃってんの?
 そう思いながら一歩踏み出したときには、悲鳴にも似た主子の叫び声が教室中に響き渡った。
 一瞬にして身体の力が抜けてしまった主子は真後ろに倒れ込みそうになり、しかし間一髪のところでB子の二の腕に抱き留められていた。
「ちょっと主子、大丈夫?」
 顔面蒼白になった主子の顔を覗き込んで、B子は言う。
「だ、だいじょうぶなわけ、ない……」
 B子の華奢な身体を支えにして立っていることがやっとだった。B子はそんな主子の肩を、子を守る母のように自らの胸元に引き寄せる。
「あたしたちが来たらもうこの状態だった。ひどいよね、こういうことするやつ。ほんと許せない」
 主子は心ここに非ずといった感じで、うなずく。自身の机の上に、焦点を合わせたまま何度もうなずく。
 なんでこんなことになってんの?
 わたし、いじめられてる?
 主子は過去の自分に問いかける。
 誰かの恨みを買った覚えは……ある。
 でもなんで、なんで、なんで。
 なんでアレがわたしの机の上に置いてあるわけ? よりにもよってアレが!
「この犯行は、身内の可能性大ね」
 どこから調達してきたのか、牛乳瓶の底を2つ並べたような眼鏡をかけたA美が、そのブリッジをくいっとあげた。
 主子は泣きそうになる。
 黄色い悪魔。通称バナナ。
 主子が知りうる食べ物の中で一番苦手とする果実。
 もうひとつおまけでバナナアレルギーである主子は、やっぱりもう見ていられないと、その場にへたり込んで顔を覆った。
「もう最悪だよ、朝からなんなのこの仕打ち……」
「バナナを見るだけで半泣きになる主子の特性を知っている輩の犯行でしょうね。まったく、たちが悪い!」
 警察の現場検証さながら、腕を組んだA美が例のブツを四方八方から観察しながら言う。
「しかしよく考えたもんだわ。犯人の思惑通り、主子の心をズタズタに出来たものね。食べたら身体もズタズタになっちゃうけど」
 A美は斑点の少ないブツをつつく。「まだ食べごろじゃないわね」
「てかさぁ、お前その口調そろそろウザイからやめてくんない?」
 うなだれた主子の背中をさすりながらB子はA美に訴える。けれどもグループの中で一番に我が道を行く彼女は口を閉じることを知らない。
「あたしたちはもちろん白だから、あとそうね……主子のバナナ嫌いを知っているヤツといえば――」
 そのとき、覚えのある声が廊下から聞こえた。その後ろをC奈の慌てた声が追う。
「あー、ダメダメ! いまは入っちゃ――」
 廊下側最前列の席にたむろする主子達は、勢いよく開いた扉を振り返った。
 朝の陽ざしを身体の淵にまとわりつけて、呑気に教室に入り込んでくる優太とその他2名。
「何やってんだお前ら」
「み、みつけた」とA美の呟きを皮切りに主子は勢いよく立ちあがり、C奈は優太たちの後ろでアチャーと目を覆った。
「優太、あんたの仕業でしょ!」
 瞳を潤ませる主子は優太にこれでもかと人差し指を向けた。
「んだよいきなり」
 優太の隣左右にいた雷市と一真は、ドタドタと歩み寄ってきた主子に恐れをなしてその場を離れる。巻き込まれるのはいやだった。
 主子は優太の襟元を掴むと、いまだ状況を把握しきれていないその顔を引き寄せた。
「こんな陰気なことするなんてサイテー」
「ハァ?」と優太の顔が歪む。
「しらばっくれても無駄なんだから」
 主子が突き放すように優太の身体を離したので、彼は後ろの踏み台に足を引っかけた。そのまま尻餅をつくと、見下げた主子が優太の傍らに片足を踏みしめた。壁ドンならぬ床ドン。何処にも逃げられそうにない。
「わたしのこと弄んどいて、何も知らないで通すつもり? アレのせいでわたしの身体になんかあったらどう責任とってくれんの? 一生養ってくれんの? ねぇ!」
「お前バカかっ! 誤解されるような言い方してんじゃねぇ!!」
 言わずもがな、主子のこの発言で教室にいる大体の生徒たちが、このときから二人の関係について取り違えはじめる。
「つーか、一回落ち着け! 落ち着いてから話せ!!」
「あのときも優太だったよね、わたしの鞄の中にバナナ入れたの!」「何の話だよ!」「そうやって小学生のときも、とぼけてた!」「んな昔のこといちいち覚えてねぇ!!」
 そんなハチャメチャな言い合いをしているふたりの後ろ、あるじ無き学習机を囲む5人のもとで、事件は解決の一途をたどろうとしていた。
「じゃあコレ、あんたが置いたわけ? 主子が補習プリントを持ってきてくれたお礼に?」
 普段喋る事のない女子3人の視線にドギマギしながら、雷市はうなずいた。
 口で伝えろよ、紛らわしい。
 そう思いながら3人は、口角をひくつかせる。
 後ろ髪を所在な下げにまさぐりながらカハハハと照れ笑いを見せる雷市の後ろで、例のふたりは依然として争うのをやめない。
 一真は一人、頭を抱えた。

「わたし、優太のそういうとこ嫌いなんだけど!」
「俺だって主子にだけは好かれたくねぇ!!」
「あ、今すっごいヒドい事言った! だからいつまでたっても彼女出来ないの。自覚あんの?」
「るせぇ! 俺は野球一筋で生きてんだ! 彼女なんか作ってるヒマなんてあっかよ!!」
「それ負け犬の遠吠えー!」「つーかお前、パンツ見えてっぞ」「え、えぇ!?」「うそに決まってんだろバーカ!!」「ちょっと一真ぁ! こいついっぺんさぁ――」

2014/06/23