こちらのお話の7〜8年後くらい。
 子供の名前は固定されています。


(雷人。お前そういうところ父親にそっくりだよな)
(うしろ姿もそうだけどよ、俺たちが初めて雷市と出会ったときの姿と、今は瓜二つだもんな。ちょっとこっちきて父ちゃんの隣にすわってみろ。――うわ、つむじの位置も向きも同じじゃねぇか)
(おぉ、ほんとうだ。すげぇな)
(主子さんに似てる部分なんてあんのかよ。お前、勉強好きか?)
(……きらい)


 月に一度遊びに来る父さんの友達に、ついこのあいだ言われたことを、ぼくは思い出していた。
 ぼくは父さん似らしい。
 ぼくを一目見れば、誰だってそう言う。
 息子は母に似るっていうけれど、母さんからうけついだ部分がぼくのなかには見えてこない。それがちょっぴりさびしい。バッターボックスの上でバットを振るう父さんのことはもちろん好きだけど、キッチンでフライパンを振るう母さんのことも好きだ。ぼくだって母さんと同じものが欲しい。
 そんな小さな悩みがあったぼくに、じいちゃんはこう言ってくれたことがある。
 見た目は父さんそっくりだけど、こころは母さんのすべてを受け継いでるって。
 そのときはそう、学校から帰ってきて、グローブを2つ抱えたぼくが、じいちゃんと肩を並べて玄関のあがり口で、靴をはいていたときだった。でも、じいちゃんは腰を痛めていたらしく、なかなかあがり口から立ち上がることが出来ないでいた。
「いてててて。雷人、ちょっと待ってろな」
 俺も若くねぇからよぉ。と言って悲しく笑ったじいちゃんの顔には、しわがいっぱい出来た。ぼくは、なんだか急に年を取ってしまったようなじいちゃんを見て、胸がそわそわとしてしまった。
 だから考えるよりもさきに運動靴をぬいで、二階へ登って行った。ちなみに、身体が先に動いてしまうのは父さん似だと思う。
 それから寝室に行くとグローブを脇に置いて、カラーボックスの一番下から目当てのものを見つけ出して、また玄関口に戻った。
 じいちゃんはぼくを見るなり、目を丸くした。
 胸元に抱えていた2つのグローブが、輪ゴムで留められたぎん色にかがやく袋の束に変わっていたからだ。
「お前、何もって来てんだ? グローブはどうした、グローブ。やんねぇのか、キャッチボール」
「じいちゃん、今日はキャッチボールやめようよ。腰痛いんでしょ。待ってて、ぼくが貼ってあげるからね、シップ」
 ぼくはシップが入っている袋を開けてそう言った。スースーしたにおいがのどを通って、胸にたまっていく。たまに母さんがじいちゃんに貼ってあげていたのを見ていたから、きっとじいちゃんにとっては良いものに違いないんだ。そう思いながら、シップについているザラザラしたビニールをはがしていった。
「やっぱりお前は主子さんから出てきた子だよなぁ」
 目を細めたじいちゃんが、しみじみと言った。
「ったく、誰かさんとは大違いだぜ」
「でもみんなはぼくのこと、父さんに似てるって言うよ。じいちゃんは思わないの?」
「俺は思わねぇなぁ。ま、見てくれだけは雷市に似てっけどよ」
 玄関扉の四角いスリガラスから、オレンジ色の夕日が差し込んできていて、じいちゃんの身体を縁どっていた。
 ぼくはよろよろのTシャツをたくしあげたじいちゃんの背中に抱きついて、ほっぺたをよせた。目が覚めるようなシップのにおいの奥に、なんだか父さんのにおいがまじっているみたいだった。
「いてててて。お前、いつのまにこんな重くなっちまったんだ」
 おっかねぇなぁ、全く。と、でも言葉とは反対に、じいちゃんは楽しそうに笑った。
 そのとき、しわがたくさんできた目じりに、小さな光のつぶが見えたのは、ぼくの見間違えじゃないと嬉しい。

 ぼくはじいちゃんの腰にシップを貼り終えると、大きな運動靴の隣に並ぶ、小さい靴のほうに足を入れた。
「ひとりでやるのか」 
 靴ひもを結びながらうなずく。なんだか急に体を動かしたくなっていた。ぼくの中の何かが、やってやろうぜ! って叫んでる。
「無理すんじゃねぇぞ」
 もう一度うなずいて、すっと立ち上がる。立てかけてあるマスコットバットを担ぐと、肩越しに振り返った。
「行ってくるね」
「暗くなったらちゃんとな――」
「わかってるって。ぼくももう小学生なんだから」
 じいちゃんは眩しそうに手びざしをして、ぼくを見送ってくれた。
 表情はよく見えなかったけれど、悲しいようなさびしいような姿が心の中にじんわりとしみ入ってきて、なんだか不思議な気分だった。
 道路に出ると、夕日がぼくの影を長く引いていた。
 影はもう大人のじゅんびを整えている。そうだ。あとはぼくが、その姿に追いつくだけだ。

改稿(2015/03/29) 初稿(2014/07/20)
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