ただでさえ気の滅入るような梅雨が続いている。

 目覚めるように顔を上げると、洋一は友人からビンタを一発くらった。その拍子にガクンと腰が抜けて、足元の水たまりに尻から入った。
 悪夢だった。
 タイル貼りの路面には鮮血が飛散し、商店街のマークを模るマンホールの上で、一人の人間が、まるで殺虫スプレーをかけられた芋虫のごとく転がっていた。
 悪夢だった。
 ふと、ぬるい風になぶられた洋一の口いっぱいに鉄の味が蘇ってきた。
「呑気に座ってる場合じゃねぇんだよ。はやく立ておら」
 友人は水たまりの水面を乱して洋一の腕をとった。洋一は打ちすえられた犬のように、おずおずと立ち上がる。泥と血と汗まみれのボンタンから、雨水が滴った。
理由ワケは後でいい。こんなとこにいたらパクってくださいって言ってるようなもんだ。こいつの為に年少に入るなんざまっぴらごめんだろ」
 憔悴しきる洋一の肩を抱いた友人がなるべく一目のつかないように路地へ進むと、吐しゃ物の匂いが二人の鼻をついた。ポリバケツが等間隔に並ぶ飲み屋街の裏路地は、紺色の夜空の下で静まり返っている。
「吸うか? ちっとは落ち着く」
 彼はポケットから出したタバコを洋一に差し出す。もちろん、洋一が受け取るはずがないと承知のうえだった。
「んなもんいらねぇよ」
「んなもんって……。ははっ。わざわざ来てやったのにバカみてぇ」
「頼んでねぇんだよ、誰も」
 しゃがみ込んだ友人が舌打ちをする。一瞬殴りかかろうとして、洋一の拳が震えたのを彼は見逃さなかった。
「まぁいい。お前ははやいとこ頭冷やせ。見たところ、あいつどっかの暴走族ゾク、だろ?」
 咥えタバコでそう言う彼はエアコンの室外機に背を凭れながら、洋一を見上げた。手を添えてライターを灯す。
「隊長格だったらお前殺されんぞ、マジで」
「訳ねぇよ」
 光を無くした三白眼が友人を刺した。
「はぁ……。お前さ、自分のことは全然わかってねぇのな。指の骨も何本か逝ってんだろ?」
 煙たそうに目をしょぼつかせて彼は続ける。
「昨日の今日でまた警察沙汰って、はたから見てっと結構痛々しいかんな。いい加減大人になれっての」
「いちいちいちいち、てめぇは何様なんだよっ!!」
 洋一が腹いっぱいに叫んで、片腕を引いた。
 なまくらに振り下ろされた拳を友人は片手で受け止める。そのまま空いた腹に一発肘を入れると、洋一は背中を丸めて油汚れの地べたにうずくまった。彼にとって疲弊する洋一をあしらうのは、人差し指の腹で蟻をつぶすぐらいに容易だった。
「いい加減目ぇ覚ませよ、ガキくせぇ」
 彼は立ち上がる。指先で弾いたタバコをローファーのつま先ですりつぶすと、その耳に十字架のサイレンを聞いた。
 もうすぐ、夜は明ける。

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