その一言で教室中の視線が俊平に集まった。
 窓際の一番後ろの席に座る当の本人は、いきなり自身の名を呼ばれたことに目を丸くしている。
「え、俺?」
 自分の顔を指さして言うと、教壇に立つ文化祭実行委員が愛想の良い顔をさらに崩して頷いた。
「そ。受けてくれないかな。ミキサー持ってるの真田くんしかいないし。オッケーしてくれたら、もう決まりなんだけど……」
 ふと実行委員の背後の黒板に視線を移す。クラスメイトが考えてきた文化祭の出し物リストが乱雑に書かれていて、その中に紛れ込む”クラブ”の文字にピンクのチョークで何重にも○がつけられていた。ここで首を横に振れば初めから決め直しになるのは目に見えている。クラスメイトの爛々とした眼差しが痛い。
 そんなこと言われたら断れねーじゃん。
「最近いじってねぇから下手くそかもしんねーけど――」
「じゃあ決定!」と真田が言い終わらぬうちに実行委員が教卓を叩いた。
「期待してっからな!」とどこからか声が上がって、しんと静まっていた教室内に拍手が沸き起こった。
 まぁそこからあらよあらよと、早かった。 
「ワンドリンク制にしてさ、ドリンクもカクテルっぽい感じに作ってみたらいいんじゃない?」
「ソーダの中にカットした果物とか入れればそれっぽくなるよね」
「名前もさ、お洒落にカクテルっぽくしちゃおうよ。女子ってそういうの好きだし!」
 教室では狭く、防音設備が整っている視聴覚室を借りられるかどうかが一番のネックとなっていたけれど、それも担任が足早に解決してくれた。自分のクラスの愛すべき生徒の為に、校長に直談判してくれたらしい。
「さすが、体育教師の女は気が強くて頼りになるよなぁ」
「たまにうざいとこ除けば俺惚れてたかも」
「はぁ? お前ババ専か!」
 そうして迎えた文化祭当日。
 その日はいつになく眩しくきらびやかな太陽が、校庭を照らしていた。



▼ ▲ ▼ ▲ ▼



 わっ、と予想外の大音響に襲われた。眩しくてたまらず手びざしをする。
 暗闇に弾けるネオンの鮮やかさに目が慣れてくると、驚きのあまり停止していた体がワンテンポ遅れてついてきた。
レッド、ピンク、ブルー、グリーン。
 全ての窓から自然光を遮断した室内前方に吊り下がる大型のスクリーンから、カメラのシャッターのような閃光がリズミカルに打ち出されている。室内の真ん中に視線を移せば、何十人もの人が身を寄せ合い揺らめいていた。肩と肩とをぶつからせてお互いに身体全体をくねらせている者もいれば、2拍目と4拍目のクラップ音に合わせて頭上で手を打ち鳴らしている者と様々だ。
 私立高校って案外ルーズなんだな。
 優太はそう思いながらも、自身の身体が我知らずにリズムを刻んでいたことに気づいた。
 重みだけのリズムに臓物までもが勝手に振動する。曲名もアーティスト名も知らなかったが、聞き覚えはあった。身体の奥深くに押し付けられるようなビート。まぁ、悪くない気分だ。
 スクリーンに曲名とアーティスト名が映し出されたかと思えば、知らぬうちに流れていた曲が変わっていた。先ほどとは違い軽い感じで響く低音に心をくすぐられる。これもどこかで聞いたことがある。なんだか暑い。カッターシャツの2番目のボタンも外して仰ぐ。
 そのとに隣にいた一真が不意に顔を近づけてきた。何か言ったようだったが聞こえない。耳に手を当てて聞こえないぞと示す。
「すげぇな、ここ!」
 声を張り上げて一真は言う。そうしないと会話が出来ないらしい。
 優太はカラフルな光に照らされている一真の顔を見て頷いた。彼もこの雰囲気を気に入っているようだった。首から上を小刻みに振ってリズムを受け入れている。
「なぁ、あれ。下の方」と一真がスクリーンのほうを指さした。再び激しい照明器具に変わったスクリーンの下方には、上半身のシルエットが被さっていた。グッと目を凝らす。まるで電話を挟んでいるような感じでヘッドホンを耳に当てているのは、まさしく野球部のエースピッチャー――真田俊平の姿だった。
「みんな行くよー!」
 その時突然、視聴覚室の真ん中からハスキーがかった女子生徒の声があがった。スクリーンに”Shots”の英文字が映し出される。大きな塊から数十人の手が一斉に上に伸びて、瞬く間に場が湧き立った。もはや聞き取れぬ英単語が息つく間もなく何度も叫ばれる。
前方を見れば先ほどの姿勢を保ったままの真田も、左の拳を突き上げていた。どこにいてもこの人は輪の中心にいるのだろうか。
 ふと女子生徒がふらつきながら塊の中をかき分けて出てきた。近くにいたバーテンのような恰好をした男子生徒が酔いどれの彼女を抱きとめる。
 すごい、ここは大人の世界だ。
「おい、優太」
 一真の焦った声が左側から聞こえた。
「あぁ?」
「いなくなった!」
「誰が」と返すまでもなくおいおいと優太は辺りを見回したが、それらしき姿が見受けられない。あいつのことだ、もしかしたらこの雰囲気にビビって外に這い出たかもしれない。と斜め後ろのドアを見遣る。そのあいだにも生徒たちがひっきりなしに押し寄せてきていた。
「出たんじゃねーのか?」
「いや」と一真が首を振る。「今さっき聞いてきたけど見てないって」
 出入り口は1つしかないから、まだこの中にいるということか。
「やばい、ちょー可愛い!!」「なに? もしかして照れてるのぉ?」
 甲高い笑い声が聞こえて、優太と一真がその声に顔を向けたのは同時だった。
 空いた口がふさがらないとはこのことだ。どちらかともなくふたりは顔を見合わせていた。ウソだろ、一真の人の好い顔がそう言っている。ふたりは再び彼女たちに目を向ける。バーカウンターの代わりなのか、教卓を3つ並べているその手前。背の低い2人の女子生徒に行く手を阻まれている雷市がドリンクを片手に、身体を石のように硬直させていた。スクリーンからの光が雷市の顔の右半分に当たって、表情がよく伺える。目の下を真っ赤にして、スイカの種みたいな瞳を床に彷徨わせている。
 なにやってんだ、あいつは。
「仕方ねぇから助けに行くぞ」
 と振り向くと、そこには先ほどまでいたはずの一真の姿がなかった。
「わ、わりぃ! 優太っ!」
 声がする方を見れば、一真が女子に腕をとられて踊り狂う生徒の波に引き込まれるところだった。女子の握力だったら簡単に引き外せるはずなのに、相手の意思を尊重する一真はそれをしない。だから彼が密かにモテていることを高校に入ってから知った。
 クソッ! 別に羨ましかねーよッ!
 右の拳をグッと握りしめて、雷市がいる方へ詰め寄る。
 気づけば流れている曲も変わっていた。なめらかなサックスのメロディーと色っぽい女性ボーカルの声帯が優太の脳内を揺さぶる。パープルの光線が妖しく視界を交差する。
「一人で来たの? それとも彼女と一緒?」「てか、名前教えてよぉ」
 彼女たちがなんだか大人っぽく見えてしまうのはこの曲のせいかもしれない。
 優太のローファーが目に入ったのか、雷市が顔を上げた。2人がつられて顔を向ける。
「もしかして」利発そうな顔をした女子生徒が優太を見上げて言う。「きみ、この可愛い子のお友達?」
「そうっスけど」
「1年生?」
 頷いて見せる。
「1こ下だ」「若いっていいよねー」
 1年ぐらい変わらねぇだろ、と胸の内でツッコむ。
「行くぞ」と雷市の腕を掴むと
「駄目だよ、帰るなんて」
 自分よりひと回りも小さい手が上に重ねられた。
 その腕を辿って視線を上げる。膨らんで横に突っ張ったシャツが目に留まる。ぶわっと耳の後ろが熱くなって、思わず雷市の腕ごと払いのけた。4拍子を刻むベースと同じように心臓の鼓動が鳴る。生徒たちから立ち上る行き場のない熱気に、頭がくらくらとする。
「私と一緒に楽しもーよ」
 ね? と上目づかいに顔を覗かれて腕を絡め取られた。母親以外の女性に触れられたことのない自分の理性がぐらぐらと揺れる。それは今にも崩れ落ちそうで、堪えるように下唇を噛みしめた。


 彼女の濡れた唇から白い歯が零れたときには、すでに優太も生徒の渦の中に身を投じていた。彼女がステップを踏めば短いスカートも踊り、隠れていた太ももが露わになる。両手を掲げて身体をくねらせればシャツの下に窮屈に収まる胸元が存在感を増す。優太の胸元に当てらていた彼女のしなやかな手が、ときよりに彼のシャツを掴む。身体と身体が触れ合う。リリックを口ずさんでいた彼女の口が「たのしいね、ゆうた」と動いた。
 最高にいい気分だ!


(2014/05/10)
- ナノ -