1 「純は何年ぶり?」 「小六の冬に野郎同士で行ったきりだから、五年ぶりぐらいか。しっかし変わんねぇなぁ、ここも」 「なにその感想。まるで地元みたい」 ゲートをくぐって、オールウェザーカバーのついたワールドマーケットの目ぬきを歩く。ラグタイムのBGMを懐かしみながら、連なるショップを見渡す純の腕を、主子が子供のように絡め取った。 「カチューシャ買おうよ、カチューシャ! お揃いでもいい?」 「おうよ。ただし、リボンのほうはお前がつけろよ」 「……うん」 「んだよ、その間は」 「……だ、だって。リボンをつけた純を想像したら、おかしくって……。あぁ! 今こっち見ないでっ!!」 両手で顔を覆った主子は、しごくおかしいというふうにスニーカーの底で地を踏み鳴らす。 付き合って初めて気付いたことがある。歳のわりに落ち着いて見える主子の顔つきと、子供じみた性格は相反していた。しかしそういう女の子が、純の目にはたまらなく可愛くうつる。 「いいから、ちゃっちゃと買いに行くぞ。こんなとこで時間くってたら、乗れるもんも乗れねぇ」 「そうだった。パスもとらなきゃいけないもんね」 舞浜駅のホームに降り立ったとき、妙に胸がときめいた。初めてのデートが夢の国だなんて、正直、出来すぎなのかもしれない。けれど、二年間も待たせてしまった罪滅ぼしはこれから嫌と言う程していこうと思う。もう3度きりの夏は終わった。ちょっとぐらいは高校生活の贅沢ってやつを楽しんでもいい気がする。 「けっこー、可愛いじゃねぇか」 丸い耳に赤い水玉リボンをつけたカチューシャは、主子にかわいらしい魔法をかけてくれた。 「純もけっこー、可愛くなったよ。あとで写真撮ろうね」 「おう」 十字路をそのまままっすぐに進む。雲一つない晴天の中にそびえ立つ城がまぶしい。 「私も久しぶりだから、すっごいドキドキしてきた」 純は、肩を並べて歩く主子の手を掴んだ。 「嫌だったら離してくれてかまわねぇからよ」 「ううん。嬉しい」 主子がリボン付きの耳を振って笑う。 二年ぶりに触れ合った感覚は、二人の全身をビリビリとしびれさせた。 2 汗を舐めて、土を噛む。 やっとの思いで掴んだ背番号は、今まで純が手にしてきたモノの中で何より重かった。 何度も何度も押しつぶされそうになって、自分で自分を怒鳴りつけてきた。この俺が認められないはずがない。自惚れや自尊心を取っ払うのに苦労した。 野球部が、野球以外に時間を割く余裕は無い。十五歳で上京した純だって、並みの高校生活を過ごしたいなど、これっぽっちも思ってはいなかった。そして、彼らと共に生活を送る生徒達は、そんな彼らを敬服し、活躍することを願っている。 「なんつうか、こう、いまは野球のことだけで、頭ん中がいっぱいいっぱいで……」 「うん……。私の話、聞いてくれてありがとう。明日の試合も応援してるね」 「おう。まかせとけ」 青道高校の、青空に一番近い場所で、主子のプリーツスカートが秋風に揺れている。開花したばかりの金木犀の匂いが、向き合う二人の胸をついた。 主子は赤錆びれた手すりに組んだ腕を乗せて、しかし、思いついたように両手を口元にかざして叫んだ。胸を痛めた彼女にとって、それが精一杯の強がりだった。 「フレー! フレー! いーさーしーきー!!」 涙が零れ落ちぬように空を仰ぎ、悲しみを悟られぬように声を張る。生まれて初めての告白は、少女漫画のようにそうそう上手くはいかないらしい。 「がんばれ、がんばれ、いーさーしーきー!!」 偶然に机を並べた彼は、声も態度も何かとうるさかった。と思うと、授業中だけしじまになる。机上に腕枕をして眠る彼の傍にいると、梅雨には汗と生乾きのにおいがして、夏休み前には土と汗と石鹸のにおいがした。主子にとってそれは、両方とも嗅ぎなれぬ男のにおいだった。真っ白な斜光カーテンにくすぐられる髪は、陽射しに痛むことを物ともせず、羽毛のように柔らかそうに見えた。そんな彼を、目で、そして鼻で感じるうちにいつのまにか好きになっていた。青春時代の不可抗力はすさまじい。 「真昼間からうるせぇー!」 真下の運動場から飛んできた野次に励まされる。 セーターの袖で目元を押さえているうちに、主子は、わっと泣き出していた。もともと涙線は緩く出来ている。感情的になると押さえられなくなるのは生まれた頃から変わらない。それでもこれは、悲劇の涙ではなかった。 「待っててくんねぇか」 寄り添うように主子と並んだ純が、彼女の右手をしっかりと掴んでいた。今まで感じたことのない温かさが、冬を迎える十五歳の身体に染みた。 「自分でもワガママだってことは、わかってんだ。だけど二年間、待っててくれっと嬉しい」 一か月や、半年ならまだわかる。二年。土手に囲まれた二つの野球グラウンドを眺めながら、主子はそれを途方もない年月だと思った。 「キザだね」 「うるせー。これが俺の生き様ってやつだ」 待ってみようと思う。彼に惚れた弱みはきっと二年じゃ消えない。 涙が笑いに変わる。と同時に憂いが希望になった。 昼休み終了のチャイムが鳴り、二人は友人のまま、屋上を後にした。 ――二年。変わらないはずがない。 主子の身体の所々は曲線を描くようになり、純には顎鬚が生えた。 二年後。二人はそれぞれに大人の風貌を身に着けて、ふたたび向き合うことが出来た。 3 パークに夕闇が迫る。 人々が行きかうペーブメントにも街灯が灯りはじめた。 最近、日の沈みが目に見えて早くなった。高校生活もあとわずかしか残っていないのに、学習プリントだけはたんとある。 「帰ったらまた勉強漬けかぁ。あー、帰りたくねぇ」 「夢の国でそういうこと言わないでよ。純って意外と愚痴っぽい?」 「ぽいな」 琺瑯のイスの背に凭れた純の口元に、主子は一口大に切ったワッフルを差し出した。プラスチックのフォークに、ちょうど耳の部分が刺してある。 「これでも食べて、明日からも頑張ってくださいね。純さん」 「しょうがねぇなぁ、食ってやっか」 最初のうち、間接キスでさえ戸惑ってしまったのは、主子が初めて出来た彼女だったからだと思う。 昼前、異なる味のチュロスを買って味比べをしようと持ちかけたのは純のほうだった。食べかけのチュロスの反対側を指で千切ろうとしていたら、主子が上からかじり付いてきた。 (うん。チョコもいいけど、シナモンもおいしい) 唇にくっついた甘い結晶を舐めとる舌づかいに、目を奪われた。子供のような無邪気な仕草に、純の性は図らずも刺激を受けた。カントリー調のリズミカルなBGMが耳から遠いていき、今からでもキスと、もちろんそれ以上のこともしてみたいと、赤い唇に骨抜きにされながら考えた。 (ちょっと、純!) 肩同士がぶつかる。知らぬうちに、主子の腕をとって引き寄せていた。自分の失態に気づくと、慌てて彼女の手に握られていたチュロスにかぶりついた。ざらざらしていて、甘い。本当はチュロスなんてどうでもよかった。主子とキスがしたかった。 「ごちそうさまでしたっと」 皿を空にした彼女が胸元で手を合わせる。 「よく食うよぁ、お前は。ってついてんぞ、ココ」 モザイク画のテーブルに肘をついたまま、純は自分の口元を指さす。にも関わらず、主子は見当違いの場所に紙ナフキンをあてて首を傾げては、いっこうにイチゴソースをふき取れないでいる。ワザとであるのならとんだ策士だ。 「え、どこ?」 「ちげぇよ、右じゃなくて、左。あぁ、もう」 顔に似合わず、節介焼きだとよく言われる。考えよりも身体が先に反応することもある。それはスポーツマンの悲しい性だと思う。つまり、キスをする言い訳はなんだってよかった。 顔を離すと、青白くライトアップされた城が主子の肩越しに塔を覗かせていた。 まだ夢は終わっていない。 (Happy Birthday, Jun!! : 2014/09/01) |