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静かな室内に、音は何一つとして存在しない。
卓上に灯された照明だけが頼りの視界の乏しい其処で、国王はもう大分長い事、一人じっと椅子に腰掛けていた。
部屋には重厚な家具と、それに見合った見事な調度品の数々。
中央には革張りのソファが一式、彫りの美しいテーブルを囲んで配置されている。
部屋は主を亡くしても未だ尚、威厳を持って城に在り続ける。
アルタリア王国95代国王、此処は前国王の部屋だ。
「父上……何という、愚かな事を…………」
薄暗い室内に、呟きは静かに溶けていった。
国王は掌で顔を覆い、そうして仰向いた。
仰向けに見上げた天井は高く、それは何処までも高みにあるように思える。
「あの子がロベルトではないだなど……あの子は私の愛する息子だ」
卓上照明を灯した机の上、国王の手元には一通の封書がある。
元は白かっただろう封筒は、長い年月を経て薄茶けていた。
だが、厳重に保管されていた事を物語るように、封の四つ端は綺麗に角を保っている。
封筒を閉じていたのは、歴代の王のみが所有してきた刻印。
封書がアルタリア国王から直々に宛てられた物であるという事を、その刻印は残酷なまでに証明していた。
「あんまりではないですか、父上………」
城を後にする去り際、ベラルーシは国王に一通の封書を手渡していた。
それは、彼が前国王から託されていたという、国王に向けて書かれた手紙だった。
「時が来たら渡して欲しい」との前国王からの言伝と共に、ベラルーシは封書を国王に手渡すと、アルタリア城を後にして行った。
「私にとっては、あの子がロベルトだ。この26年間……ルイーザの亡き後も彼女の分までと、ずっと愛し続けてきた私の子だ。それを……」
手紙には、
ベラルーシが語った内容が事実に間違いないと、前国王自ら証明する内容が長く綴られていた。
嬰児交換という倫理に反する行いに対しての懺悔や葛藤、苦悩。
そして、一国を統べる王としての決意とが、実に7枚にも及ぶ長さで綴られていた。
「私の子ではないと、貴方がそれを言うのか、父上………!」
……―――その7枚、
全てが前国王の直筆で記されていた。
Beautiful―――.4
――――――Roberto Button
澄み渡る青空に、点々と列を連ねる鱗雲。
色付き始めた銀杏の木は黄色く映えて、開け放した窓から入り込む秋風は心地好くカーテンを揺らしている。
清々しく、穏やかに。
アルタリア王国は本日も天気良好、晴天なり。
「ロベルト様!全く貴方という方は、毎回毎回……何度何度何度何度同じ事を言えば、お分かりになるのです?!」
「え?いや、だからそれは、ほら……ね?」
「だまらっしゃい!言い訳ならば結構!今日という今日は容赦致しませんよ……そこにお座りなさい!」
「ええ?!すみません……」
「すみませんじゃすみません!」
……―――「天気良好」?
「あらあら、まぁまぁ。ロベルト様ったら、また今日もアルベルトさんにお捕まりになられて……」
「なぁに、また護衛を付けずに街に出たそうだ。ま、そんな自由な所がロベルト様らしくて俺は好きだけどね」
「おいおい。そんな話をアルベルトさんにでも聞かれたら、お前まで叱られるぞ?」
「あら、あんた達なら遅かれ早かれアルベルトさんに叱られるでしょ。毎度ロベルト様の脱走の手助けをしてるんだから」
「ははっ!違いない」
「何はともあれ、アルベルトさんの怒鳴り声が聞こえるって事は、今日もこの城が平和な証拠だよ」
「天気良好」。
そんなアルタリアで、今日もロベルトだけに限定されて落とされる局地的な落雷は凄まじく、茉莉は耳をつんざくアルベルトの雷鳴に苦笑しか出来ないでいた。
(うーん、助けてあげたいのは山々だけど、こればっかりは……)
仮に、避雷針を頭のてっぺんに装備していたとしても、アルベルトの落雷を避ける事は不可能だろう。
ロベルトは百万ボルトはあろう雷に打たれるがまま、大人しくダイニングの隅にちょこんと正座している。
「茉莉様、おはようございます。すみません、直ぐに朝食を御用意致しますので」
「あ…、私なら大丈夫です。後でロベルトと一緒に頂きますから」
「ですが、この分ですとロベルト様が朝食をお摂りになられるまでには、あと数時間はお時間が掛かるかと……」
「……ですよね」
「ええ。恐らく」
確かに、そう納得する茉莉に、メイドはクスクスと楽し気な笑みを溢して見せた。
彼女だけに限らず、廊下を行き交う使用人達も挙って穏やかに微笑んでいる。
理由は、このアルベルトの説教タイムにあるのだろう。
王子を叱り飛ばす執事という構図は、この城では度々繰り広げられており、それは今日という日も城が平和である事を意味していた。
ただ、当の本人はそれ所では無いようだが。
「茉莉様も御一緒の時は特に要心が必要だと、あれ程強く申し上げたと言うのに何です?!護衛も付けずに街に行かれるとは……私の話の一体何処を聞いていらしたのですか!」
「はぁい……」
「いいですか、耳をかっぽじって良くお聞きなさい!大体、ロベルト様はですね……!」
ダイニングに響き渡るアルベルトの声は、やはり当分鎮まる気配は無さそうだ。
説教の途中途中で掠れて引っくり返る声からも、彼のお怒りが相当なものであると察する事が出来る。
(あの時、私がもっと強くロベルトに注意していれば良かったんだろうな……。ロベルトともっと一緒に居たいからって、つい私も雰囲気に流されちゃったのがいけないんだよね。私も反省しないと……)
昨日のロベルトととのデートを振り返り、茉莉は自身の行動を内心で深く反省をした。
ロベルトだけが叱られている現状に居た堪れなくなるも、茉莉は廊下からそっとダイニングの様子を覗った。
すると、その時。
不意に背後から穏やかな声に話し掛けられた。
「おや、ロベルトはまたアルベルトに説教をされているのかな?」
「国王様……!おはようございます」
振り返ったなら、そこに居たのは国王だ。
国王は扉の隙間からダイニングの様子を覗き込み、「相変わらずだな」と柔らかな笑みを溢している。
「うちの愚息のせいで朝からすまないね。茉莉さんまで食事を延ばす必要は無いだろう。朝食ならば別の部屋に運ばせるから、そこでゆっくり摂るといい」
「御気遣いありがとうございます。……でも、昨日ロベルトがSPの方を振り切った場には私も一緒に居たので、本当なら私も連帯責任で叱られるべきなんですが……」
「いや、茉莉さんに非は無いだろう。この場合は明らかにロベルトの自覚の無さに問題があるのだから」
「はぁ……」
ガミガミ、ガミガミとダイニングに木霊するアルベルトの怒号。
国王は特別ロベルトに助け船を出す訳でもなく、和やかにその場を去って行った。
一か国の王子が正座姿で説教をされているという状況を、こうも城中の全員が微笑ましいと頷くのも珍しいのだろう。
(……う〜ん。ロベルトには申し訳無いけど、確かに皆が言うように、それだけ今日も1日、このお城が平和な証拠……って事になるのかな?)
そう勝手に結論付けてしまった事に対しても、ロベルトに申し訳無く思ってしまう茉莉は律儀だ。
結局、茉莉が朝食を摂ったのは、それから2時間後。
みっちりきっちり、ぎっちりとアルベルトに説教をされたロベルトと一緒に、大分遅めの朝食を摂ったのだった。
「はぁ、朝から疲れた……。何も朝一番にあんなに怒らなくてもいいと思わない?くっそー、アルの奴……」
「まぁまぁ。アルベルトさんとの約束を破ったのは確かなんだし、仕方無いよ。でも、ロベルトだけが怒られちゃったね……」
「茉莉はいいんだよ。気にしなーいの。それより、アルってば朝からあれじゃ、絶対血糖値上がるよね?」
「ふふっ!上げてるのはロベルトでしょ?」
2時間にも及ぶ説教から解放されたロベルトは、余程清々しいのか、「ん〜!」と目一杯の伸びをしている。
慣れない正座を強制された彼は、訪れる足の痺れに我慢の限界を越えたらしく、茉莉の顔を見るなり助けを求めた。
結果、茉莉が間に立った事でアルベルトから早い内に解放された訳だが、言い替えれば茉莉が現れなかったなら、あと小一時間は説教をされていたという事だろう。
「アルってば、怒鳴り過ぎて途中で声が引っくり返ってたもんなー。最後の方なんてむせてたし」
「うん、相変わらず凄い剣幕ではあったけど……。でも、もうアルベルトさんに心配掛けさせないように、これからは外出の時にはちゃんとSPの人と一緒に居ないとね」
「次にまたSPを撒いたら、今度は外出無期禁止令を出すだって。無期だよ?本当にやりそうで怖いよね……」
「う、うーん……。アルベルトさんなら、やりそうではあるけど……」
足の痺れを言い訳に、「おんぶして」と甘えるロベルトを、茉莉がよいしょよいしょと執務室まで担いできた。
おんぶと言っても、単に茉莉といちゃつきたかったが為のロベルトのおねだりな訳だが。
そうして今は二人、執務室で書類の山と向き合っている。
今回の件に関して、アルベルトから出された「罰」がこれだ。
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