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一見して本人かと見違えた理由は、弛くふわんと跳ねた青年の髪型が特にロベルトと似ているからかもしれない。
そうして、茉莉が裏門の前まで辿り着き、門番の衛兵に軽く会釈をした時だった。
青年もまた茉莉の存在に気付いたようだ。
「……あ」
「あ……えっと、こんにちは……?」
今日和、だなんて咄嗟に挨拶をしてしまう茉莉は、やはりまだ庶民の感覚が抜け切れていない。
相手が城を目当てに訪れた観光客かも分からないのに、自分が王子の婚約者であるとはすっかり忘れて、茉莉は普通に青年に会釈を返した。
だが確かに、この青年に警戒心は抱きようが無いように思う。
「お城に何か御用ですか?」
「いや、御用って程では。ただ、どの角度から見ても立派な外観だなぁって。君は、あの丸い所がどうなってるか知ってる?」
「丸い所?」
「そう、屋根のあそこ。俺、あの中はプラネタリウムになってるんじゃないかと思うんだよね……。違うかな?」
「う、う〜ん。流石にプラネタリウムではないと思いますけど……」
カメラも無い、マイクも無い青年は、到底パパラッチには見えない。
況してやロベルトに似た容姿を持つ青年に、直ぐ様警戒心は抱きようがない。
他愛の無い会話からも彼にミーハーな浮つきは見られない上に、そもそも青年は茉莉の正体に気付いてもいないようだ。
(間近でじっくり見ると、そこまでロベルトには似てないかな。でも、雰囲気は凄く似てるよね。……この人、誰なんだろう?)
青年の顔を無意識な内にジッと見詰めてしまう茉莉に対して、彼も同じようにジッと視線を送ってくる。
青年は茉莉の顔を見詰めながら、「う〜ん?」と何かを考えているようだ。
「ねぇ?俺達、何処かで会った事あるかな」
「え?」
「んー…。君と何処かで会った事があるような気がするんだけど……あ、誤解しないでね。ナンパとか、そんなんじゃないから」
「それは……」
「レストランで擦れ違った時の事を言っているのかな?」と、茉莉が内心に思っていると、青年は答えに辿り着いたのか、拳で掌をポンッと一度叩いて見せた。
「……あ、そっか!君、王子の婚約者だ!」
「え?あ……」
「道理で何処かで見た事があると思った!や〜、テレビで見てる人をいざ目の前にすると案外気付かないもんだなー。わかってスッキリしたよ」
「えっと……」
「ん?どうかした?」
「ええ?いえ……」
本当にスッキリしたようで、青年は機嫌良さ気に「♪」と鼻歌を奏でている。
だが、茉莉は初めて対面するパターンに思わず戸惑ってしまった。
今やロベルトと茉莉の婚約は、毎日のようにテレビで取り沙汰されている。
その婚約者本人を前にして、こうも平然とする人に茉莉は今まで会った事が無い。
(不思議な人だな……。お城を見に来てるくらいだから、ロベルトの婚約者だってわかった時点で、てっきり騒がれるかと思ったけど……)
青年は茉莉には全く興味が無いようで、向かい合っていた身体を外方に向けると、再び城の外観を眺め始めた。
思いの外、青年との会話があっさりと途切れた事には不思議に思うが、それまでだ。
青年が城に対して、これといった特別な用件が無い以上、茉莉が足を止める必要も無い。
「茉莉様、お帰りなさいませ」
「ただいま戻りました」
衛兵の出迎えを受けながら、茉莉が裏門を通ろうとした時。
青年が思い出したように茉莉を呼び止めた。
「あ、ねぇ。一つ聞いてもいい?」
「?……はい」
「その紙袋、カヴァリだよね?俺もそこの焼き菓子が好きなんだ。君も好きなの?」
青年からの突然の問い掛けに、茉莉は首を傾げながら自分が手にする紙袋を見遣った。
彼が言うように、紙袋の中には焼き菓子が入っている。
今しがた市街地の菓子店で購入してきた物だ。
「はい。私も好きなんですけど、これはロベルトへの差し入れで……」
「コホン。茉莉様」
「……あ」
茉莉の素直な切り返しに釘を刺すように、衛兵が短い咳払いをする。
世間がロベルトとの婚約について過剰な盛り上がりを見せている今、どんな些細な事であっても茉莉からの発信は控えた方がいい。
衛兵の咳払いは、そんな意味だろう。
だが、そんな話をした所で、やはりこの青年からはミーハー的な浮わつきは見られない。
「へぇ。王子も好きなんだ?」
「……あ、はい」
「ふーん。ねぇ、さっきは一つ聞いてもいい?なんて言っちゃったけど、訂正。質問ついでに、もう一個聞いてもいいかな」
「はい……あの?」
「ロベルトは元気?」
「え?」
にこっと微笑む青年に、茉莉は益々首を斜めに傾げた。
「はい。元気ですけど……」
「そっか。聞きたかったのはそれだけなんだ。ごめんね、引き留めちゃって。じゃあ、またね」
「あ、はい。……え?」
そう簡潔に、一方的に会話を終わらせて、青年は裏門を後に去って行く。
その場に残る茉莉は、ただただポカンとしてしまう。
(ロベルトの事を呼び捨てにした?しかも、またねって言ってたよね……。あれだけ雰囲気が似てるって事は、もしかしてロベルトの親戚とかなのかな……?)
青年の存在を不思議に思うも、茉莉はそれ以上の気は留めなかった。
(……そんな訳ないか。王族に縁のある人が、わざわざお城を見学しに来る筈ないもんね)
王家の親類縁者とは既に殆ど顔を合わせている。
分厚い帳簿を片手に、ロベルトの協力の元で王家の縁者達を丸暗記した例の奮闘も、つい最近の事だ。
その中に青年の姿は無かったのだから、やはり彼はただの「そっくりさん」なのだろう。
レストランの時と同様、
茉莉の中で青年がその域を出る事は無かった。
……―――数日後。
秋もまだ浅い10月の半ば。
紅く色付き始めた程度の葉は落ちるにはまだ早く、日中は穏やかな陽気が続いていた。
だが、早朝ともなれば冷え込みは一段と厳しさを増す。
「うー…寒い、寒い!今日はまた一段と冷えるな……」
アルタリア城、早朝。
使用人の男性が一人、肌寒さを訴えながら裏門へと向かう。
アルタリア国内で発行される新聞の、各社全ての朝刊を一度に受け取る事が彼の毎朝の日課だ。
「早いとこアルベルトさんに持って行かないと……」
受け取った新聞は王家にも使用人達にも届けられるが、執事であるアルベルトの手に真っ先に渡る。
そして、今朝もまた日課を熟す為に新聞を取りに向かった使用人は驚いた。
新聞各社の配達員が、何やら裏門に集まっているからだ。
「おはよう。どうしたんだい?皆して……」
「ああ、来た!おいおい、何だか、とんでもない事になってるぞ?!」
「一体何の話だ?それより、こんな所で時間を潰していていいのか?他の配達が遅れるだろう」
「それ所じゃねぇだろう!あんたも見てみろよ、新聞の一面!こりゃあ、えらい事になったぞ……」
「新聞の一面?」
配達員がそれぞれに自社の新聞を挙って差し出してくる。
彼等の異様な雰囲気に圧倒された使用人は、言われるがままに新聞に目を通した。
広げた新聞、その一面に踊る文字に―――……。
「こんな……そんな馬鹿な……」
新聞を受け取った使用人は、直ぐ様アルベルトの元へと向かって駆け出した。
「アルベルトさん!大変です、これを……!」
バンッ!と、ノックも無しにドアを開けて使用人が慌ただしく部屋に飛び込んでくる。
アルベルトはキッと眉を吊り上げると、タイを結びながら彼に睨みを返した。
「何です?騒々しい。王家に仕える者が、そんな事では……」
「すみません!ですが、今はそれ所じゃなかったもので……」
「それ所とは何です、それ所とは。日常の起居動作こそ我々使用人が最も気遣う面でしょう。それを……」
「その話はまた今度……!それより、とにかく新聞を……!」
城内の使用人達がまだ起床すらしていない時間に、アルベルトは既に身支度を済ませている。
彼の朝は早い。
目覚めに自室で淹れたコーヒーを飲みながら、誰よりも逸早く新聞の朝刊に目を通し、国内の動向を把握する。
使用人の男性に日課があるのと同じく、アルベルトにとっての日課がそれだ。
「新聞?何か大きな問題でもあったのか?」
全力で走って来たのか、使用人は肩で息を吐いていた。
彼の慌てた様子に余程の何かが起きたのかと、アルベルトは新聞の一つを受け取ると、一面に綴られた大きな見出しに視線を落とした。
「これは……」
「ア、アルベルトさん……。この記事は本当に……」
「……切れ」
「え?」
「今すぐロベルト様と茉莉様の部屋に繋がるテレビの回線を切りなさい。リビングもダイニングも、お二人の目に留まる部屋の全ての回線もです」
「ですが、あの……」
「いいから、早くしなさい!」
「は……はい!」
アルベルトの気迫に使用人は背筋を正すと、部屋を急いで飛び出した。
バタバタと廊下を駆けて行く彼の足音を耳にしながら、アルベルトは受け取った新聞の全てを机に広げた。
国営新聞からゴシップ紙に至るまで、それら全ての新聞に同じ見出しが踊っている。
「小癪な……誰がこんな余計な真似を……!」
アルベルトは新聞の一つを手に取ると、急いで国王の寝室へと向かった。
慌ただしさから一変、部屋の主が居なくなった室内には、ただ早朝の静かな空気だけが流れていた。
淹れたばかりのコーヒーは一度も口を付けられないまま、机の上で静かに湯気を白く宙に昇らせている。
コーヒーの香りが仄かに漂う机に、無造作に広げられたままの新聞。
……―――そこには、
「ロベルト王子の真実」との大きな見出しと共に、「嬰児交換」という文字が続いていた。
next――――.5
20141017
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