(3/5)








「……や、やっちゃった……」




中庭の片隅で、こじんまりと身体を丸めて身を潜めているのは茉莉。
噴水の陰に隠れてしゃがみ込む彼女は、ぶつぶつと懺悔の言葉を繰り返し漏らしている。




「私ったら、とんでもない事をしちゃったんじゃ……。ううん、しちゃったんだよね……」




大広間を飛び出してから、一分一秒経つ毎に、仕出かしてしまった事の大きさを自覚する。
レオナルドのパートナーとして訪れたパーティーで、自分は個人の問題では済まされない、大きな揉め事を引き起こしてしまったのだ。




「……どうしよう。これが原因で、もしレオナルド様が何か言われたりでもしたら……」




大後悔と大反省とが交互に頭を駆け巡る。
頻りに自分の行動を咎めようとはするも、あの時はどうしても衝動を抑え切れなかった。
頭で考えるより先に、心が身体を突き動かしていた。




「だって、あんなの酷いよ……。レオナルド様の事をあんな風に言うなんて……酷いじゃない……っ」




グスッと鼻を啜る茉莉は、反省しているのか、今だ怒りに煮えているのか。
「どうしよう」と戸惑いを呟く合間にも、広間での男性を思い出しては文句をぶつぶつと垂れている。
すると、その時。
茉莉の背後で、かつんと革靴がヒール音を立てた。




「何処に行ったのかと思えば……こんな所にいたのか」

「レオナルド様……!」




茉莉が背後を振り返ったなら、其処に居たのはレオナルドだった。
彼の姿に、茉莉は慌てて泣き顔を隠す。




「そう、躍起になって芝をむしるなよ。城を管理してるゼンに怒られるぞ?」

「……あ。これは、その……」




笑みを溢してレオナルドが指摘したのは、茉莉の手元。
抑え切れない感情の捌け口として引き抜いたのだろう。
彼女の手には芝生が数本、残念な姿となって握られていた。




「八つ当たりとは、まるで子供だな」

「……すみません」




そう言って、レオナルドはしゃがみ込む茉莉の傍らに立つと、噴水の縁に静かに腰掛けた。
直ぐ隣にレオナルドが居るのに、茉莉は罰が悪くて顔を上げられない。
ただ、沈黙だけが二人の間をゆるりと流れて行く。

ザァ―――……。
巡回しては噴き出す、噴水の水飛沫。
暫しの沈黙の後、先に口を開いたのは茉莉だった。




「……さっきの大広間での事ですけど、本当にすみません。私ってば取り返しのつかない事をしてしまって……。私のせいでレオナルド様が悪く言われたりでもしたら、私……」




言いながら、足元の芝生が滲んで歪んでいくのがわかる。
とんでもないトラブルを起こしてしまった事への重責もそうだが、何よりもレオナルドに迷惑を掛けてしまうのだと思うと、それが一番に申し訳無くて、情けない。




「……ごめんなさい」




情けなくて、
恥ずかしくて、
膝を追ってしゃがみ込む、その立てた膝に口元を埋めて話すのが精一杯だった。
この状況で自分が泣くのは筋違いだ。
茉莉は今にも泣き出してしまいそうな目元を誤魔化すように強く瞑ると、膝をぎゅっと抱えて背中を丸めた。
そんな茉莉の頭上に、ふわりと―――……。




「……レオナルド様……」




ふわりと落とされたのは、レオナルドの優しい掌。
それは、ジョシュアにならば何度かされた事があるが、彼にされるのは初めてかもしれない。
茉莉の頭を温かく、大きなレオナルドの掌が優しく撫でる。




「言わなかったか?俺はどうでもいい女をミッシェル城に連れて来る程、馬鹿な男じゃないと」

「え……?」

「最高の女だとは思っていたが……ははっ、まさかここまでだったとはね」

「え……ええ?」




我慢ならないと笑い出したレオナルドに、茉莉は涙目をぱちりと瞬かせた。
怒られるに違いない。
寧ろ、冷たく見放されるかもしれないとまで思い詰めていただけに、可笑しそうに笑い声を上げるレオナルドの姿には、ぽかんと呆気に取られて絶句してしまう。




「レオナルド様?あの……?」




クックッと肩を震わせて笑うレオナルドに、茉莉が小首を傾げていたなら、
……―――グイッと、




「きゃあ?!」




突然、レオナルドに腕を引かれて、しゃがみ込んでいた身体を強引に引っ張り上げられた。
腕を引かれた反動で勢い付いた身体は、彼の胸へと体重を預けるようにして倒れ込んでしまう。
無論、
そうとくれば結果は当然―――……。

バシャーーン!




「ちょ…!レオナルド様、何して…っ…!」




茉莉がレオナルドの身体を押し倒すような格好で、二人諸共、仲良く揃って噴水へとダイブしてしまった。




「レオナルド様、早く水から上がって下さい!風邪を引いちゃいますから……!」

「冷たいな。びしょびしょだ」

「何を呑気に……当たり前ですよ!レオナルド様、離してください!ほら、早く上がって……」

「嫌だね」

「ええ?!」




深さの無い噴水の中、レオナルドは全身水浸しになりながらも、濡れた事など構わないと茉莉を抱き締める。
抱き締めて離さない。
強く、強い腕の力のそれで。




「レ、レオナルド様、あの……?」




レオナルドを下敷きにする体勢な事もあってか、茉莉は彼の顔が水に浸からないようにと背中を目一杯に反らした。
だが、そんな配慮すら余計だと言わんばかりに強く抱き締められて、茉莉は困惑してしまう。




「一体どうしたんですか?何だかテンションが上がってませんか……」

「ああ。そうかもしれないな。こんなに最高な気分は初めてだ」

「え?」




寒空の下、二人を照らすのは温かな橙色の明かりを放つ外灯と、城内から中庭に向かって漏れ落ちる照明と。
それから、夜空に浮かぶ乳白色の月の光とに照らし出されて、二人の姿は噴水の水飛沫と共にきらきらと光る。
きらきらと、
目の前にある彼の蜂蜜色の綺麗な髪も、飴色の瞳も、それら幾つもの光を浴びて光っていて―――……。




「……レオナルド様?」




真っ直ぐに見詰めてくるレオナルドの眼差しに、茉莉も応えるように彼の瞳を見詰め返した。
抱き締められていた腕の内、ゆっくりと一方が解かれる。
その手は茉莉の濡れた頬へと、そっと伸ばされた。




「広間での事なら謝らなくていい。寧ろ礼を言わせてくれ」

「え……?」

「最初からこうなる事は解っていた。影でも、表立っても皮肉や中傷を言われるだろう事はね。だから、俺としては想定内だと聞き流していたんだが……正直、堪えないと言ったら嘘になる」

「レオナルド様……」

「そこへ君のあの騒ぎだ。……こんなに傑作な事はない」




レオナルドは茉莉を胸に抱き寄せたまま、噴水の縁に手を着くと上体をグッと起こした。
ぱしゃんっと撥ね上がる水飛沫が月明かりを浴びて目映く光る。
彼の顎や髪の先から、ぽつと垂れ落ちる水滴。
その一粒、一粒が月明かりに輝いて見せる。




「あの…っ…」

「今は思っている事を全て口にさせてくれ。君に聞いて貰いたいんだ」




噴水に浸かる中、茉莉は今、初めてレオナルドの温もりを感じている気がした。
彼とは幾度となく肌を重ねてはきたが、今までとは何処か違う。
もっと温かい、
もっと柔らかい、
触れたなら溶けてしまう程に儚くて優しい、レオナルドの胸の温もり。




「俺やネルヴァンの事を、君が自分の事のように怒ってくれたのが嬉しかった。泣きじゃくりそうな顔をしている癖に、それでも俺の事を想って啖呵を切ってくれたんだと思うと、余計に……」

「レオナルド様……」

「不思議な話だ。最悪な気分だと思ったら、あっという間に君が最高の気分にしてくれた」




いつも一を返せば十を言われるような、そんな会話ばかりだ。
意地悪だって、嫌味だって、
からかわれたり、小馬鹿にされたりと散々だ。
それが、今は真っ直ぐに。
真っ直ぐに、彼が本心から自分に向けて言葉を紡いでくれているのだと解る。




「今夜の君を誰が何と評価したって構わない。俺からすれば……最高得点だ」




今、目の前にいる彼こそが本当の彼なのだろう。
饒舌な話術や、辛口なジョーク等の誤魔化しを一切挟まずに話す彼は、本心を語ってくれている。
そう思える。




「……レオナルド様……」




やっと見れた気がする、心から笑う彼の笑顔を。
やっと聞けた気がする、本当の心の声を。




「茉莉……君がいるから俺は今夜、この城に来れたんだ。それだけじゃない。他にも沢山……途方も無い壁に向き合うだけの力を、いつだって君は俺に与えてくれている」

「……もしかして私、今褒められてるんですか?」

「ああ。それもべた褒めにね」




……―――本当は、こんな顔をして笑うんだと。
屈託の無い彼の笑顔を初めて見た気がした。
嫌味も無く、尖りも無い。
年相応に無邪気に笑う彼の笑顔を。




「好きだ……君を愛してる。この気持ち、一体どうしてくれる?」




乳白色の優しい月明かりが噴水の水面をきらきら、きらきらと目映く照らしている。
月明かりは彼の髪も、瞳も、星の瞬きのように輝かせるから―――……。




「全部……レオナルド様のその気持ち、私に全部下さい」







眩しさに瞳を閉じると、
そのまま、彼に口付けた。














「ここだけの話ですが、実は内心、ガッツポーズしてしまいました」




そう言って、清々しい笑顔を見せるジャンに、茉莉は着替えを預けながら首を傾げた。




「ガッツポーズ……ですか?」

「はい。茉莉様がジョゼフ氏にシャンパンをお掛けになった時です」

「あ……。あの、それに関しては本当にすみませんでした。後でジョシュア様にも謝らないと……」

「ご心配には及びません。ジョゼフ氏が権威あるミッシェル城のパーティーの出席者という事で、茉莉様は彼に大層な身分が有るかと思われているのでしょうが、彼はジョシュア様のご親戚の、それまた遠縁の遠縁の遠縁の遠縁にあたる……」

「あの、ジョゼフ様とは、どういったお方なんですか?」

「つまり、ただの部外者です」

「ええ?!」




呆気に取られて絶句する茉莉に対し、ジャンはにっこりと笑顔を返す。




「調べてみて解った事ですが、どうやら招待状を偽造してパーティーに忍び込んだ、記者の一人らしいです。彼は反ネルヴァンを訴える過激派にも属していたようです。今回、彼の正体を割り出せたのも茉莉様のお陰ですよ。お手柄です」




唐突にお手柄だと言われても、予想外の事実に驚きを隠せず、頭を整理するのに一杯になってしまう。
だが、それは一先ずと後回しにして、茉莉は真新しい衣服を用意してくれたジャンに、改めて頭を下げた。






[*prev] [next#]



home


.


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -