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ジョシュアの優しい眼差しの奥を探ろうとした、その時だった。
一人の男性の声が、突如として広間内に響き渡った。




「ふんっ!ネルヴァンの王子が聖城に顔を出すなど……汚らわしい!」




……―――ざわっ、
一瞬にして広間内の雰囲気が一変する。
男性の発した言葉に、ジョシュアの眉間がピクリと吊り上がった。
男性の声は茉莉も、その場に居合わせる他の王子達も当然拾っている。
声の主を探して広間を見渡したなら、窓際に寄り掛かる中年男性が一人。
先程の発言は、どうやら彼のようだ。




「まさか、我らがジョシュア様と易々肩を並べるつもりでいるのかねぇ。ハッ!大人しく落ちぶれていれば良いものを、協定を結んだ途端に図々しくも、よくもまぁ……。ネルヴァンなど、誰が心許すか!」




荒々しく語気を強め、頻りにネルヴァン王国を批判するその男性は、余程酔っているのか、真っ赤に顔を歪ませている。
男性は千鳥足で給仕を「おい!」と呼び止めると、グラスを奪い取り、勢い良く酒を呷っていた。




(な……何なの、この人?幾らドレスヴァンとの間にわだかまりが根強いとは言っても、こんなに沢山の人の前で……レオナルド様を汚らわしいって言った?)




男性の罵声は尚も続けられ、広間内は瞬く間に不穏な空気に包まれた。
これには出席者達もざわめき立ち、最早当初のパーティーの楽しさは微塵も無い。
だが、当人は雰囲気を台無しにしている等とは露にも気付いていない様子で、更に酒を呷っていた。




「全く、此れ見よがしにパーティーなんぞに顔を出して……やはりネルヴァンですなぁ!マスコミを掻き集めて、早速話題作りとは!ジョシュア様と同じ土俵に上がったつもりかね!ハッハッ、レオナルド王子も随分と汚い真似をなさるもんだ!」




ヒックとしゃくり上げながら続けられる男性の中傷に、茉莉の傍らに立つジョシュアの表情からは、とっくに笑みが消え去っていた。
ジョシュアは険しく眉間を歪めると、低く怒りの籠った声で男性に詰め寄る。




「……おい、貴様」




ジョシュアの気迫に、男性の周囲に居合わせていた出席者達が、そそくさとその場を退散して行く。
だが、酒に酔った男性はと言えば、ジョシュアが自分に向かって歩いて来ている事など更々気付いてもいないようだ。




「協定といっても同じ土俵には上がれんのだよ!ネルヴァンは所詮、我がドレスヴァンの影だ、影!ネルヴァンの王子がミッシェル城に来たからか、途端に酒が不味くなって仕方無いわ!汚らわしいったらない!」




男性のその発言に、ジョシュアのこめかみでプツッと一本の糸が切れた。




「貴様、口を慎め……!」




怒りを露に、そうジョシュアが男性に詰め寄った、その時。




「……茉莉?!」




それは、ジョシュアが動くのが先か、後だったか。
淡いピンク色のドレスの裾が、ジョシュアの視界の端でひらりと揺れて動いた。
……―――次の瞬間、

パシャン!




「わっぷ?!つ、冷てぇ……!誰だ!」




男性の顔面に突然掛けられたシャンパン。
その光景にジョシュアも、同じく各国の王子達も、一様にポカンと目を真ん丸に見開いた。
そう、男性の顔面にシャンパンを浴びせたのは他の誰でもない。
茉莉だ。




「それ以上レオナルド様の事を……侮辱なさらないで下さい!」




「自分の評価がレオナルドの評価に繋がるのでは」と、怖じ気付いていた自分は何処に行ったのだろう。
彼の隣で失敗は許されないと、そう危惧していた癖に、この有り様だ。




「謝って下さい!レオナルド様を侮辱した事……今直ぐ謝って!」




でも、抑え切れない。
身体中、隈無く埋め尽くす怒りに、今にも爆発してしまいそうだった。
彼の事を、
彼の迷いや、弱さや、
弱さを全て受け入れた上で、前へと踏み出そうとしている彼の強さを―――……、




「レオナルド様がどれだけ頑張っているかも知らないで、勝手な事を言わないで!」




何も知らない。
誰も知らない。
だから、仕方が無いのかもしれない。
でも、それでも自分は知っているから。
皮肉ばかり口にする饒舌な口振りの下に、傲慢な態度の下に、上手に隠された本当の彼の姿を知っているから。




「レオナルド様の事を何も知らないのに……馬鹿にしないで下さい!」




だから―――……、




「……、っ!」




込み上げてくる怒りを更に上回り、込み上げてくるのは彼への愛しさ。
感情のセーブの仕方を一瞬にして忘れた心が、途端に視界を涙で滲ませる。




「すみません、失礼します……!」




そう言って一礼をした茉莉は、高ぶる感情に押されるように、くるっと踵を返すと広間を駆け出した。
直ぐ真後ろに立つジョシュアの顔さえも見ないまま、茉莉はドレスの裾を翻して駆ける。
その頬には大粒の悔し涙が零れていた。




「お……おい、茉莉!」




ジョシュアがその名を呼ぶも、茉莉は振り返る事なく広間を立ち去ってしまった。




「な……何なんだ、あの女は!おいっ、お前!あの女は何処の者だ!今すぐ捕まえてこい!スーツの弁償代だけでは済まさんぞ!」




男性は怒りに顔を真っ赤にさせて、近くの給仕に八つ当たりを始めている。
一瞬にして騒然となった広間に、ロベルトの大きな溜め息が「は〜」と漏れた。




「全く、やってくれたなぁ〜茉莉ちゃん」

「ええ、見事にやってくれましたね」




ロベルトとエドワードの声に、ここで漸く男性は自分の周囲に王子達が居る事を気付いたようで、今しがたまでの表情を一変させて笑顔を見せた。




「おお…!これはこれはジョシュア様!それにロベルト様にエドワード様、ウィル様と皆様お揃いで……!いやぁ〜、お恥ずかしい所をお見せしてしまいましたな」




途端に態度を改めた男性は、千鳥足で不安定ながらもぴしりと背筋を正した。
男性の母国、ドレスヴァンが王子であるジョシュアを前に、彼はまるで別人のようにへこへこと頭を垂れている。




「いやいや。しかし、茉莉ちゃんってば本当にやってくれちゃったよねぇ、ジョシュア君?」

「……ああ、そのようだな」




ロベルトとジョシュアの会話に、男性はパッと顔を上げて勢い着いた。




「そうでございましょう?!あの女ときたら、この私にシャンパンを掛けてきたのですぞ!しかも、いきなり……!」

「だからね〜。それが勿体無いかなって。だって君、レオナルド王子がいるせいで、お酒が不味いって言ってたよね?」

「……はい?」




ニコッと微笑むロベルトに、男性が「?」と目線を上げた時、再び男性の頭上からパシャンっと冷たい物が浴びせられた。
それは、ジョシュアが給仕から受け取ったミネラルウォーターだ。




「わっぷ?!冷た……ジョシュア様、何を……?!」

「酒が不味いと言ったな。貴様が今飲んでいるワインは、今年の品評会にも出した我が国のワインだ。舌も頭も馬鹿な男が、酒に酔って随分と場の雰囲気を害してくれたもんだな」

「お酒が不味いだなんて言ってる相手にシャンパン掛けちゃうんだもん。勿体無いよねぇ?やっぱ、酔い醒ましにはお水が一番でしょ」

「正解。シャワーでも浴びたと思えばいいんじゃない?」

「ウィル様までそのような事……!あ、あの、ジョシュア様……!」




王子達と自分との多大な温度差を漸く察したのか、男性は見る見る間に血の気を引かせていく。
ガタガタと震え出す男性に、ジョシュアはぎろりと睨みを利かせると、一際低い声で言い放った。




「貴様のような奴がこの場にいる事の方が汚らわしい。いいか、酔いが醒めたお前に待っているのは地獄だと思え。……ジャン!」

「はい」

「こいつを摘まみ出せ!」

「かしこまりました」

「ひいっ?!あ、あの!ジョシュア様……?!」




弁解の余地など無いだろう。
王子達の怒りに触れた男性は、ジャンに連れ出されてあっという間にミッシェル城から退去させられた。
一連の騒ぎに出席者達がざわめいていると、程無くしてパンパンッと乾いた拍手が広間に響いた。
ゼンだ。




「皆様、ノーブル様からのご挨拶がございます。静粛に願います」




それは、事態を把握済みであるゼンによる機転だ。
程無くして登場したノーブルにより、騒動は元のパーティーのそれへと無事に収拾した。




「ジョシュア君、茉莉ちゃんに先越されちゃったね」

「全くだ。あいつときたら……まさか、あそこでシャンパンを浴びせるとは思わなかった。流石に俺も驚いた」

「別に、いいんじゃない?いざという時に格好いい女性も。……男前で」

「成る程、男前ですか。ウィル王子も上手い事を仰有いますね。普段は妖精のように儚くも美しい彼女が、時として我々よりも男前な一面を見せるとは……。ロベルト王子、これでは彼女をパートナーにと申し出たい我々にとっては、益々苦戦を強いられてしまいますね」

「本当だよね〜。ライバルが増えちゃうじゃんねぇ?」

「嫁にはやらんぞ?」

「え?ジョシュア君ってば、茉莉ちゃんのお父さんなんだ?」




やいのやいのと賑わう各国の王子達。
彼等から離れた其処に、レオナルドの姿はあった。
彼は「はぁ…」と溜め息を吐くと、前髪をくしゃりと掻き上げる。




「……やれやれ」




困ったように、呆れたように。
でも、何処か柔らかな微笑を口元に浮かべた彼は、誰に何を告げるでもなく、広間を一人後にするのだった。







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