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「すみません。何から何までご用意して頂いて……。ありがとうございます、ジャンさん」
「いえいえ。茉莉様がお召しになられている衣服の一式はゼンさんに用意して頂いた物ですから、私は何も」
……―――あの後、
中庭を離れた茉莉とレオナルドが廊下で遭遇したのがジャンだった。
彼は二人のびしょ濡れの姿に驚いた様子だったが、直ぐ様新しい着替えと温かな紅茶を用意してくれた。
今は、ゼンに宛がわれた部屋で一息吐いている所だ。
「あのままではお二人揃って風邪を引かれてしまう所でしたからね。それに、私への気遣いも無用です。どうぞ、ドレスヴァン城に滞在されていた時と同じように、何かありましたら遠慮なく私にお申し付けください」
「……はい、ありがとうございます」
「それから……」
「え?」
そう会話を区切ったジャンは、改まって茉莉に姿勢を正した。
彼は溢れんばかりの感情を噛み締めるように一度、軽く宙を仰ぎ見た後で、茉莉を見詰めて瞳を細める。
「レオナルド様を……宜しくお願い致します」
ジャンの優しい眼差しの奥に、かつての主従関係を垣間見た気がした。
今でこそジョシュアに仕える彼だが、胸の内ではレオナルドを今も尚敬い、大切に想っているのだろう。
「ジャンさん……」
ふと、その時。
部屋の扉がコンッと一度、軽くノックされた。
ノックの主に当たりを付けたらしきジャンは、にこりと微笑むと茉莉との会話を切り上げた。
程無くして扉の向こうから現れたのは、着替えを済ませたレオナルドだった。
「支度は済んだ?」
「はい。終わりました」
「では行くとしよう。ジャン、裏口は手薄か?」
「はい。パーティーもまだ中盤ですし、報道陣は正門前に集中したままです。裏門には規制を敷いてありますから、帰城するなら今の内かと」
「好都合だ。では、姫。さっさとネルヴァンに戻るとしよう」
「え?ネルヴァンに戻るって……レオナルド様、お帰りになられるんですか?」
水浸しになってしまった正装を脱ぎ、着替えを済ませたレオナルドの格好は至ってラフな普段着だ。
その姿からも、彼にパーティーに戻る気が無い事は容易に見て取れる。
レオナルドに手を引かれるまま廊下を歩く茉莉は、内心の戸惑いを素直に彼に浴びせた。
「レオナルド様、本当にパーティーを最後までお出にならなくてもいいのですか?私はともかく、レオナルド様だけでも……」
「いや、十分楽しませて貰いましたよ。寧ろ、こんなに楽しいパーティーは初めてだった。誰かさんのお陰でね」
「……もう、また笑うんですから」
「ははっ、これは失礼」
レオナルドと共に裏口へと向かうと、そこには既に車寄せで待機するネルヴァン王国のリムジンが見えた。
彼と二人で後部座席に乗り込むと、リムジンは一路、ネルヴァン王国へと向かってゆっくりと走り出す。
ミッシェル城を後にする際も、車内で一息を吐いている今も、茉莉の手はレオナルドに固く繋がれたままだ。
(気のせいかもしれないけど、噴水に落ちてからのレオナルド様、顔が少し柔らかくなったような……)
隣に座るレオナルドの横顔を見詰めて、茉莉はとくんと甘く音を立てる自身の鼓動を耳にしていた。
パーティーに行く前の彼と今の彼とでは、何と無く雰囲気が変わったように思う。
尖りが抜けて、円く柔和になった。
そんな印象を受ける。
(それに、レオナルド様が手を繋いだまま離さないなんて、珍しいよね……。嬉しいかも……なんて)
掌一杯に感じる、彼の体温。
絡まる指と指は一向に解かれる気配は無い。
だが、茉莉の胸がとくとくと鼓動を速める理由は、もう一つ他にあった。
(……顔がまだ熱いよ……)
彼の口から「好きだ」と、
まともに言って貰えたのは、今夜が初めてだった。
ミッシェル城を後にした二人は、報道陣やパパラッチ達から追随される事も無く、無事に帰路に着いていた。
今夜の主役として過剰に取り沙汰されていたレオナルドが、まさかパーティーもそこそこに中盤で切り上げるとは誰も予想していなかったようだ。
今は二人、ネルヴァン城のバルコニーから街の夜景を望んでいる。
「噴水に落ちて、シャワーを浴びて、それで今度は夜風に当たって……。今に風邪でも引くんじゃないか?」
くすりと微笑混じりに背後から掛けられる、優しい声。
次いで、頭上にコツンとカップが置かれた。
茉莉は後ろを振り返ると、レオナルドに笑みを返しながらカップを受け取った。
「ありがとうございます。いただきます」
「ホットミルク。芝生に八つ当たりするような、お子様にはピッタリだろ?」
「ふふっ、ホットミルク好きですよ。なんせお子様ですから」
受け取ったカップを両手でそっと包み込み、湯気を「はぁ〜」と吹き払う。
温かな湯気が夜空に白く立ち登って行く様を眺めながら、ミルクを一口、こくんと喉に流し入れた。
「少しは温まるだろ。それ飲んだら部屋に入ったら?今夜は冷え込みが強い」
「私は平気です。それより、レオナルド様の方こそ風邪を引かれてしまうんじゃないですか?頭から水に浸ってましたもんね」
「俺はそんなに柔じゃないが……そうだな」
「わ……」
「こうしていれば温かい」
そう言って、レオナルドが茉莉の腰をやんわりと自身に向けて引き寄せる。
背後から彼に抱き締められて、茉莉の身体はすっぽりと彼の両腕の中に納まった。
「……ふっ、子供体温」
「絶対言うと思いました。仕方無いじゃないですか、私は平熱が高いんです」
「いや、ぬくぬくしてて良いんじゃない?君で暖が取れるなら、抱き締める言い訳が出来て俺としても都合が良いし」
「そんな、人を湯タンポみたいな言い方して……」
「酷いな。今朝ベッドで俺を湯タンポ扱いしたのは君だろう?もう忘れてるのか」
「……そうでした」
背中一杯に感じるレオナルドの体温。
きっと、どんなショールを羽織るよりも、この温もりには敵わないだろう。
彼の腕に腰を包まれ、彼の胸に頭を預ける体勢は温かく、夜の冷え込みをすっかり忘れさせた。
頭頂部にこつんと乗せられた彼の顎の重みに、茉莉は細やかな幸せを感じて頬を綻ばせる。
「今夜は一段と綺麗な三日月ですね。ほら、シャキーンって先っぽまで尖ってますよ」
「……もっと他に幾らでも表現があるんじゃないの?」
「シャキーンが不満なんですか?」
「君にはムードも何も無いな……」
そんな他愛の無い茉莉の一言に、相変わらず可笑しな事を言うなとレオナルドが微笑う。
「でも、月が綺麗な次の日は絶対に晴れるんですよ?明日はきっと良いお天気になりますよね」
他愛の無い言葉に、
無邪気な笑顔に、
相変わらず惹かれてしまう自分がいる。
「……ああ、そうだな」
茉莉の笑顔に、レオナルドは眩し気に瞳を細めた。
この腕に小さく納まる彼女に、心はいつだって惹かれて止まない。
「本当に……君は不思議だな」
この気持ちを何と呼ぼう。
言葉では言い表せない感情が、胸の内側を温める。
「何がですか?」
「君と初めて出会った頃……あのジョシュア王子やジャンですら、何故君にそこまで執着するのか、最初は解らなかった」
……―――最初は、
最初は、興味本意で近付いた。
ジョシュアお抱えの女にしては面白いと、彼女から何か探れる物があるかもしれないからと、最初でこそ興味本意に近付いたに過ぎなかった。
その程度のものだった。
「面倒臭い女性は嫌いでね。気の強い女性は嫌いじゃないけど、煩いのは嫌いなんだ。泣けば許されると思ってるタイプの奴も嫌いだし、愛想良くしていれば済むと思っている女性も嫌いで……」
「……それだと、世の女性の大半はお嫌いって事になりますよ?」
「そうかもしれない。現に、俺の周りにはその手のタイプしかいなかったからな。でも、君は何故か最初から平気だったんだ」
「私ですか?」
「ああ。面倒臭いし、気は強いし、口煩く歯向かって来る割りには直ぐ泣くし……その癖、次にはころっと笑ってる」
「ご、ごめんなさい……」
「でも、君は嫌いなタイプのカテゴリには入らなかった。今だから白状するよ。最初から惹かれていた」
だが、彼女と会う内に感情は色付いていった。
一つ言葉を交わしたなら次も、二つ笑顔を返されたなら次もと、知らず知らずの内に彼女を求めてしまう自分がいた。
次第に芽生えた名も無き想いは、直ぐに胸の内側に拡がって見せた。
「不思議な女性だと……そう思った」
面白いとからかえば不貞腐れて、身分の壁を物ともせずに100の力で突っ掛かってくる。
悄気て怒って泣き出して、目まぐるしく変わる彼女の表情は飽きなくて。
不貞腐れていたとしても、その数秒後には笑っていたりする、そんな―――……。
「この俺に対して真正面から向き合ってくる女性は初めてだった。いつだって小細工無しで君は体当たりしてくるだろ。媚びる事も、機嫌取りにお世辞を言ったりするでも無く、真っ直ぐに……」
そんな彼女の傍に、叶うならずっといたいと思った。
そんな風に、最後には全て許して微笑んでくれる彼女を、心から傍に欲しいと思った。
振り向いたなら其処に、此処に、
隣に、傍に、
彼女の笑顔が在って欲しい。
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