雨が降るから 03


 大丈夫なわけないやろと自分で突っ込みながら、焦ったら所詮こんなもんかと苦笑が浮かぶ。貧血を起こしただけのようですぐに気付いたその子どもは、

「すいません……」

と呟いた。

「無理すんな」

 少しびっくりしたように俺を見上げたその子どもは力なく、だけど極上の微笑みを返してくれた。

「病気か?」

 パジャマは着てへんかったけど、ここは病院や。入院患者かと疑った俺に、

「違います」

とはっきりと言い俯いた。

「わけありか?」

「……」

「俺は煙草吸ってるだけや。聞き流して欲しいことあるんやったら吸ってる間だけ付き合ってやる」

 なんの気紛れだかそんなことを言ってみた俺の顔を、泣くのを我慢しているような少し歪めた顔で見た少年は、一呼吸深く息を吐いた。

「……俺、めちゃくちゃなことしてしまって……」

 何かに怯えるように辺りを見回してから、少年はぽつぽつと話し始める。

「……昨日……、その人、なんもなかったらいいけど……、でも絶対何もないってことないと思う……、あの雨やし……」

 支離滅裂な話し方が、俺にこいつはその『とんでもないこと』を後悔してんのやな、と思わす。

「聞いてもええか?」

 何もかもを流して聞くつもりやったから一応断りを入れ、少年が微かにうなづくのを見て俺は一番の疑問を口にする。

「何か、ってなにしたんや?」

 少年は一層顔を歪ませてから、ポツリと、

「人、刺した……」

と、その真面目な風貌からは想像できないようなことを言う。俺が何も言わずにただ煙草をぷかりと浮かしているのを見て焦ったかのように

「俺っ、その時なんも考えんで逃げてしまったけど……、気になってまた戻ったんや。そしたらその人もうおらんくて……、それで警察行ったら、昨日そんな事件何も起きてへんってっ。でも俺……」

 俺はあまりの奇遇さに言葉を失った。はっきりわからないがどこかで確信を持っていた。黙りこくった俺に一抹の不安を感じたのか、少年が俺の顔を覗き込む。

「おまえ、名前は?」

「えっ? あっ……慮来……」

 唐突な質問に不思議な表情を浮かべて答える。

「りょく?」

「うん。思慮の慮に来る」

「慮来、か……」

「うん。オジサンは?」

 オジサンときたか、オジサンと…… 俺はがっくり肩を落としながら

「古賀や。古賀龍惺」

とあえてフルネームを名乗る。

「龍惺さんはなんで入院してんの?」

 いきなり下の名前ときたか…… そんなに人当たりのいい顔はしてへんはずやけどなと苦笑を浮かべながら、

「怪我や」

と答える。怪我ってなんか語弊あるような気もせんではないけど、まぁ嘘ってことでもないやろ。

「怪我?」

「せや」

「どこ?」

 慮来は必死に聞いて来る。俺が慮来に刺されたと思っているわけじゃないやろうけど、自分の罪の重さに耐えきれずに、俺を心配している部分もあるやろう。そんな慮来を見ていたらいったいどんな風に答えたらいいのかと密かに悩む。

 何故か憎めない。恨む気持ちもさらさらない。

 ただ、この思い詰められた顔に笑顔を浮かべさせてやりたい、そう思っただけや。

 ……気紛れ、かな。

 人を刺した慮来の行動は褒められたもんじゃないし、罪は罪やろう。だけど、所詮ヤクザや。いつどこでどうなるかわからんと大昔に腹を据えとる。それが情けない理由やったとしてもそれはそれで、ただの運や。

「ねぇ龍惺さん、どこ怪我してんの? いつ怪我したの?」

 黙り込んでしまった俺に不安を抱いたのか、慮来は立て続けに質問を繰り返す。俺は慮来の頭になんとなく手を伸ばして、ぐしゃぐしゃとかき撫でた。

 あるがままに答えてやろう。ただ、そう思った。

「脇、や」

「っ! 脇……」

「……いつっ! なんで?」

 俺を見る慮来の目が涙目になっとった。

「……」

 黙ってしまった俺にかわり、いつのまにか近くに来ていた壱善が

「昨日、刺されたんです」

と、慮来を責めるように見る。慮来は顔を更に真っ青にして俺を見る。その瞳が、本当かと問うていた。



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