雨が降るから 01


 自分は結婚する気もなかったから、まさかこんな子供と同居するなんて考えもせんかった。隣りで無邪気に眠る慮来を起こさんように注意しながら上体を起こし、暗闇の中で煙草を手探りで探す。

 窓に打ち付ける雨の音が優しい。

 シュポと独特の音と匂いを辺りに撒いてジッポを点す。

 大きく吸い込んで目を細めて吐き出すと、俺の気配に目が覚めたんか、か細い声で慮来が

「……龍、惺……?」

と俺を呼ぶ。布団の上から宥めるようにぽんぽんと軽く叩くと、慮来は安心したようにすっと眠りに戻って行く。

 俺はまた煙草を咥えて雨の音を聞き、横で眠る慮来を眺めながら出会った頃へと思いを馳せる。





 あれは、2年前。出会いは最悪やった。あまりに最悪やったから未だに鮮明に覚えている。

 滝のような激しい土砂降りの雨が降っていた。風もきつく、雨は『降る』というよりは『纏わり付く』と言う言葉がぴったりで、傘なんかなんの意味をも為さんそんな夜やった。

 人一人、猫一匹いないようなただ雨と風の音だけが響く闇の中を、俺はずぶ濡れになることもお構いなしで路地裏を走る。こんな日は早く家に帰って籠ろうなんて考えたのが間違いなのか、若い衆から飲み屋の喧嘩を治め損なったと携帯に連絡が入ったのはそろそろ寝ようかと思っていた頃。呼び出されたら深夜であろうと早朝であろうと、それこそ土砂降りであろうと行かなあかん職業が時々哀しい。

 それもこの道に足を突っ込んで20年にもなると息をするくらいに当たり前に感じて、特別苦にもならないから不思議なもんや。目も開けれんくらいの土砂降りやから、電話口で若いもんが

「車まわします」

と言ってはくれたが、それを無視して飛び出した。後で文句の一つくらいは言われるやろうけど、毎日毎日誰かが必ず着いて来る生活をしてるとこんな日くらい一人でも大丈夫やろ思う。いや、思いたかったのかもしれない。願望であり、切望。確かにこんな夜はそういう意味では俺にとって物騒ではなかった。

 だから、がさっと雨音に紛れて微かに物音がしたような気がした時も雨宿りし損ねた猫かなんかやと思った。

 つくづく油断してたと思う。

 そのあと腹辺りに熱い物を感じとっさに手加減なしで『それ』を殴り倒したんは、多分性分やろ。

 もんどり打って倒れこんだそれを更に蹴って身動きできんようにしてはじめてそれが少年やということに気付いた。呻きながら蹲る少年に俺は全く見覚えもなく、呑気に

『最近物騒やからな』

と腹を押さえた。濡れているのは雨か血かわからない。

「っ。おいっ、大丈夫か?」

 一応手加減なしっていうことに気が引けて声を掛けると、少年はナイフを持った手をガタガタと震わせて弾けるように立ち上がり走りだした。

「マジかよっ。勘弁してくれよ」

 苦笑混じりの俺の声は当然届くはずもなく、俺は思わず盛大に溜め息吐いた。

 それが慮来やった。

 もっともその時は誰かなんてことは全く分かれへんかったけど。傷は命に関わるほどではなかったが、浅いわけでもない。いつまでもこの雨の中しゃがんでる訳にもいかず、俺は

(どうせやったらナイフ刺したままにしといてくれたらよかったのに)

なんて物騒なことを考え、早くヤブ医者へ行くかと思いながらも雨に血が洗われていくせいか視界がボヤッとしていく。ここで意識を手放せば雨に体温と血が奪われてしまうことは目に見えてる。ああこれで携帯もおシャカかなと思いながら、若いもんの中でも一番口が堅いだろうと思われる壱善に電話をかける。

 コールが鳴る間もなく奴は出た。間髪入れずに、開口一番で

「どこおるんですか。桂也から泣きの電話入りましたよ」

と俺を責める。桂也は俺に車を回すと言った若い衆である。青褪めて電話したのであろう桂也の顔を思い浮かべると自然と苦笑が洩れるが、今はそれどころやないことを思い出す。携帯もいつまでもつかわからない。

「壱善、詳しい話はあとや。悪いけど一人で車回してくれ」

 俺の言葉に緊急性を感じ取ったか、壱善はすぐに

「どこまわしたらいいんすか?」

と尋ねる。



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