秘密の食卓 新米調理人の戯言
新しい世界に一歩足を踏み出す時、俺はいつだって夢を持っていたつもりや。ちょっとばかり血の気は多いが、れっきとした料理人で、いつか自分の店を持つことがささやかな夢やった。それは自分の損な性分で、ご破算となってしまった藻屑となって消えた夢やけど、それでも料理人っていう自分は捨てられへんかった。
俺は酒に溺れて夢を失い、そしてここに来た。
前科一犯。罪状、傷害。半殺しにした相手はヤクザやった。
執行猶予は残念ながらつかへんかったけど、相手がヤクザやったおかげで一年未満で仮釈がついて、ツテを頼りに頼ってここに落ち着いた。
ヤクザから逃げる為に……
まさか、前科もんが養護施設で調理人として働くなんて想像もつかんやろ。
***
聖和の家。
少人数制でいろいろな精神的ケアができるように作られた数少ないタイプの施設。その調理室が、今日から俺の職場となった。
なにかしら心に傷がある子がいるなら、せめておいしい料理を食べて一瞬だけでも癒されたら。俺のその時の純粋な夢やった。
まさか、そこが悪の巣窟になってるやなんて、想像もしてへんかったんや。
一緒に働くことになったおばちゃん連中が、
「見ざる聞かざる、そして言わざるや」
って言っていたことは、その日の夕食時にわかってしまった。その日の夕食には、7人、そこで生活する男の子が席に着いて、それと今日当直の府島っちゅう随分若い先生が一人入って来た。わいわいとお茶碗にご飯をよそう様は、まだまだ子どもでかわいい。その中で異様に浮いている子がいて、俺はその子をまるで観察するように見ていた。
みんながよそってしまってもよそいに行かず、見れば目の前のおかずも他の子に取られている。取られている間もじっと俯いて顔を上げようともしない。
見れば見るほど腹立たしい。
「なあなあ、おばちゃん」
俺は早速仲良くなった一緒に遅番してるおばちゃんに声を掛ける。
「あの線のほっそい子、あの子苛められてんの?」
おばちゃんはちらっと食卓の方を見、溜め息とともに声を潜めて言う。
「あぁ、在有くんやね」
「ありあ?」
「そう。存在の在に有るの有」
空間に字を書いて見せるおばちゃんの顔は、これでもかってくらい曇ってた。在有がここに来た訳を聞き、俺は一瞬眉を顰めた。更に、多分ここでも虐待を受けてることに吐き気すらした。
精神的ケア? そんな理想的な世界はここにはなかった。
「誰も助けちゃらんの?」
俺の問いに、おばちゃんは罰の悪そうな顔をして
「……こんなんバレたら、多分ここ閉鎖やから」
と呟いた。
職を無くすって訳か……それは、確かに俺にとっても痛いな。そやけど、食事も満足に取れやんで苛められてる子をほっとくわけにもいかんやろ……
食事がすんだ者から、その子を小突きながら出て行く。よく見れば手をギュッと握って耐えようとしている姿がなんとも痛ましい。
やがて最後の一人が出て行くと、ようやく残った物に箸を付け始めた在有を見て、それが決まりごとになっているのだと唖然とした。府島は何も言わんかったし、何もせんかった。それどころかさっさと出て行ってしまった。
「じゃ、あと頼むね」
おばちゃんの声にふと我に返った俺は、おかわり用の余ったおかずを数種類皿に盛り、在有に近付いた。
在有は俺が横に立っただけで異常なくらい怯える。
「今日から厨房で仕事することなった、千条迦夏や。たいそな名前やろ? かなちゃんでええで?」
俺がお茶目にそう言うと、在有はびっくりしたように顔をあげ慌てて俯いた。
「名前教えてや? そしたらこのお近付きの印、ぜ〜んぶ、食べてもらうから」
ニヤッと俺が笑うと、在有は皿と俺を見比べて悩んだ顔をする。
食べたなかったら名乗らんかったらいいらしい。でも……
なんだか在有のそんな葛藤の言葉が聞こえて来るようやった。
「……あ、りあ……」
恐る恐る、少し上目遣いで俺を様子見ながらようやく口にした在有に、俺はにこっとしてお皿を在有の前に置いた。いろいろな種類のおかずに目を輝かせて、だけどどこか不安げに俺の顔を見上げ、
「……い、いの? ……食、べて……」
と呟く。
「食べな、好きなだけ」
俺は在有の前の椅子を引きながらいい、在有の食事に付き合おうと座り込む。ちょこんと行儀よく座っている在有とは比べ物にならんくらい、俺の行儀は悪く、片足をあげ、膝に手と顎をのせるようにして在有が食べているところを観察する。
食は細いが美味しそうに食べてくれる。
ずっと苛められてたんやろか? あんまり食べてなかったんやろか?
在有を見てたら、まるで小学生でも通るんとちゃうかって思ってくる。俺がここで働き続ける限りは、『食』だけは守っちゃる。誰になんて言われようと……
「……ごちそうさま、でした……すっごく、美味しかった、です」
在有は丁寧に頭まで下げてくれる。少し寂しそうな顔が気になる。
「在有、明日も明後日も、毎日二人で秘密の食卓しよな」
俺がそう声を掛けると、ぱあっとほんまに嬉しそうな顔をしてくれた。
それから毎日毎日、俺は在有の為におかずを作って、その『秘密の食卓』を楽しみにするようになった。
終
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