シンフォニック 02


 時々奏見がいれば、と決して口にはできないことを辰二は何度も考えたが。

「えっと……、待って、お兄ちゃん……」

 部屋の中で僅かにバタバタと慌ただしい音が聞こえて、かちゃりとドアが開けられ、ひょこっと顔を覗かせた在有は

「おかえり、なさい……」

と呟くように言って俯く。いつもなら部屋に入れてくれるのに、今日はどうしたことか軍嗣を部屋に通そうともしない。

「在有、入ってもいいか?」

と尋ねればますます下を向いて顔を上げようともしない。なんだか軍嗣は自分が意地悪をしているような気がして、思わず溜め息吐いた。耳敏くその溜め息を聞いた在有は、怒らしちゃった……とますます萎縮する。

 二人の間に不穏な空気が流れた時、不意に、にゃあ……と、場違いな鳴き声がした。

「? 猫?」

 軍嗣が呟けば途端におろおろし始める在有。

「猫、おんのか?」

 アーともウーともわからないうなり声をあげる在有の代わりとばかりにもう一度、にゃあと一鳴き。軍嗣は思わずクスッと笑い、その笑顔に在有は一瞬見惚れて、次の瞬間我に返ったようにドアを開けた。

「あのね、……猫……」

 在有はそっと黒い子猫を抱き上げ、軍嗣から庇うように胸に抱きしめる。

「ん」

「公園で、鳴いてたん……」

「そっか。 ミルクやったか?」

「ミ、ルク……?」

「腹減ってんのちゃうか? 下行ってミルクもらってき?」

 在有は軍嗣に頭を一撫でしてもらうと、慌てたようにバタバタと部屋を出る。軍嗣は一つ大きく溜め息吐いた。きっと怒られると思ってたんやろと当たりをつけ、少し情けなくなる。

 それから子猫はミルクをたくさん飲み、体を洗ってもらい、気持ち良さそうにくうくうと寝てしまった。子猫の汚れて灰色がかった毛並みは見る見る間に艶やかな黒色になり、ふわふわした子猫らしい姿に変身した。

 在有は目をキラキラとさせ、子猫を大事そうにずっと抱きしめにこにこ笑顔を振りまき、久し振りに事務所の殺伐とした空気が消え去っていた。

 やがて在有も何度も欠伸を繰り返し始める。

「在有、眠いんやろ?」

「う、ん……」

「ほらもう遅いから寝ろ」

「お兄、 ちゃん……、明日も……この仔、いる……?」

 寝たら消えてなくなると思っているのか、眠さに幼い口調になって尋ねる在有に苦笑し、

「心配やったらベッドで一緒に寝たらどうや?」

と提案すると在有は嬉しそうに頷く。軍嗣は在有の頭を軽くぽんぽんとし、

「おやすみ」

と言うと、照れたように笑った在有も消え入りそうな声で、

「おやすみ」

と返した。





 それから数日、在有は毎日毎日子猫の世話に明け暮れた。在有と同じように突然の‘手’には脅えて背中の毛をふうふうと逆立てて怒ってみせるものの、普段は子猫の愛くるしさを振りまき、たちまち事務所の人気者になっていた。

 まだまだ子猫だからか悪戯好きで家中を走り回り、その後を在有も走り回るものだからヤクザの組事務所である表の方も普段とは違い騒然としていたが、それでも在有が笑顔であるならそれもいいかと、軍嗣も辰二もやれやれと言ったように肩を竦めるのみであった。

 しかし、不思議なことに誰も気付かないものだ。

「猫」

と呼ぶ 、在有に。何かが変だ、と気付くのに少しばかり時間がかかった。



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