ひとひら 07


 ふと目を醒ました夏芽は、端正には変わりないがいつもの冷たさが見えず、どこかあどけない表情を晒して眠る壱善の顔がアップにあることに一瞬ぽかんとする。もう少し離れてよく見ようとして、自分が壱善の腕に抱き締められている事に気付き顔を赤くした。

 体はまだ少し怠さを残してはいるが、心はほわほわと軽くまるで宙に浮くようである。夏芽が体を動かした事で壱善も目を覚ましたのか、夏芽を抱き直し、

「目、醒めたか?」

と聞く。

 おもむろに額に手をあて

「ああ、熱は下がったな」

と安心したように笑った。

「あのっ、壱善さ……」

「夏芽、俺おまえに鍵渡したよな?」

「……うん……」

「ほな、なんで公園のブランコで倒れてんねん」

「あ、……えっ……と」

「どうせいらんことごちゃごちゃ考えてたんやろぉけど」

 壱善の言葉に夏芽はしゅんとなる。心が萎んで行くような気すらする。俯いてしまった夏芽の顎を軽く指先であげさせ、壱善はそっと小鳥のさえずりのように軽くキスをする。

 とたんに夏芽の顔は真っ赤になり、頭は真っ白になったのか、わたわたとしだす。壱善はそのあまりにわかりやすい仕草にクスッと笑って、

「おまえ、ここにいろ」

と何ごともない風に言うもんだから、夏芽は慌ててしまう。

「いいん?」

「ああ」

「ほんまに?」

「……ああ」

「でもっ……」

「嫌ならええわ」

「ちゃうっ! 嫌なんかじゃ、全然ないっ。でも俺……」

「なんや」

「……俺、なんもしてへんし……壱善さん、好きやし……」

 どんどん声が小さくなっていく夏芽に、壱善は苦笑し

「俺の事が好きなんやったらなんも問題ないやろ。俺はなんかしてるおまえ知らんし?」

「うっ……」

「誰もおまえに極道なれ言わんから心配すんな」

「俺でもなれる?」

「は? 何に?」

「……ヤクザ」

 壱善はしみじみと夏芽をみつめ、一言

「ムリ」

と切り捨てた。
 夏芽はぷぅーと頬を膨らませ、何か口の中でごにょごにょ言っていたが、壱善は気にも留めず、

「おまえは、おまえが一番やりたい思うことやったらええねん」

と頭を軽く撫でる。

「一番やりたいこと?」

「そや」

「やりたいことかぁ……」

 急ににこにことしだした夏芽に、

「あんまり可愛い顔してたら……喰うぞ?」

と耳元で囁くと、みるみる間に真っ赤になり、壱善の首に腕を回し顔をうづめて隠した。

「いじわる……」

 壱善が笑ったのを感じたのか、夏芽はぼそっと呟く。壱善はそんな夏芽の顔を上げて、静かに、だけど情熱的に口付けた。





 ひらひらと舞い降りてくる雪が桜に変わる頃、夏芽は相変わらず公園にいた。

 あの時と違うのは、夏芽が生き生きと踊っていること。

 夏芽が壱善と暮らしはじめて一番にしたことは、あの時出会った踊り集団・婆娑羅に入ることだった。疾風達は狂喜乱舞で夏芽を歓迎してくれ、どきどきしていた夏芽もほっとした。それからは春祭りに向け猛特訓中である。

 今日も、暗くなり月灯りを頼りに踊る。

 楽しくて、自然に笑みが浮かぶ。その楽しそうに踊る夏芽をしばらく眺めて、珍しく早く帰ってきた壱善は先程角の自販機で買った缶コーヒーを弄びながら

「夏芽」

と声をかけ、振り向いた夏芽に向けてそれを投げやると、夏芽はキャッチしながら満面に笑みを浮かべた。




 幸せ。

 ひとひらの花びらのような願いで祈りだった。

 桜の花びらが、どこからか風にのって舞い降りる。



終 




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