ひとひら 06


 随分と長引いてしまったために壱善もまた今までになく不安を抱えていた。

『家でおとなしくしとるやろか……』

 いそいそと帰り支度をする様を、まだいた古賀に笑われるのを横柄な態度で蹴散らし出て行く。若い衆が目を丸くしてそんな壱善を見、古賀の様子を伺い更に

『芳野の兄貴、どないしたんやろ』

と心配していることなど知る由もなく……

 急いで家に帰った壱善を迎えたのは明かり一つ付いていない寒々とした部屋。

「夏芽?」

 声を掛けてみても返事はなく、キッチンに夏芽が作った料理が鎮座しているだけで、どの部屋にもいなかった。

「……そらそうよな……」

 時計は既に日付変更線を越え、帰ると言っていた夕方から夏芽が出て行こうと考え付くのに十分な時間である。壱善はそっと小さく溜め息つき、夏芽の残して行った料理を摘んだ。

「……うま……あいつと一緒に食べてやりたかったな……」

 どうにも情けない口調で呟いて、

『一緒に住もうって言ってやればよかったな』

と後悔した。壱善は公園の見えるベランダへ出て煙草に火を点ける。

『あそこであいつを拾ったんやなあ……』

 ぷかりと消えて行く煙りを目で追いながら、つい昨日のことのように思い出す。何気なくブランコを見ていた壱善は、ふいにくたっとしたシルエットに気付いた。

『まさか……あのバカッ……』

 煙草を咥えたまま、思わず走り出した壱善は、履物もそこそこに公園のブランコに向かう。

 寂しくて冷たい公園の中で待っていた夏芽が可愛くて、やるせなくて、今度こそはきちんと伝えようと壱善は決心していた。

「な、つめ……?」

 案の定、ブランコに座っていたのは夏芽で、呼び掛けには応じなかったが、少し荒い息遣いが聞こえる。壱善は煙草を足下で消し、夏芽の頬にそっと手をやる。

 少し、熱い。

 半分意識を飛ばし、半分寝ているような夏芽をそっと抱き抱える。体は凍えているのに、熱い体……

「ごめんな、帰ろうな」

 聞こえていないであろう夏芽の耳元で壱善がそう囁くと、夏芽は微かに微笑んだ。安心しきったまだ幼さの残るその笑顔を見、壱善は

『なくさんでよかった……』

と、つられたように微笑む。





 熱くて重たくてどうにもならないくらいに動かなくなった自分の体を、優しい手で抱き上げられたことを感じた夏芽は、緊張と不安がすっと抜けて少し楽になったような気がした。ゆっくりと寝かされたベッドに夏芽の体が沈む時、僅かに節々の痛さに身動ぎし瞬くように目を開けたが、熱にうなされた瞳は潤んですぐに閉じられる。一瞬壱善は不謹慎にも魅入った。

 こんな時にどうにかしているかもしれないけれど、口にするのは恥ずかしくて無理かもしれないけれど、

『愛しい……ってこんな気持ちなんかな……』

と柄にもなく考え、微かに赤面した。

「……み、ず……」

 不意に夏芽が無意識のうちに呟き、眉間を寄せる。しばらくして夏芽は、自分の唇が温もりと優しさに包まれたように感じた。こくこくっと夏芽が嚥下する様を見て、壱善はもう一口水を含み、夏芽の唇にそっと口付けた。夏芽はもっと欲しいのか、自分の腕を壱善の首に回し、幼い子のように離れようとするとイヤイヤと首を小さく振ったが、やがてようやく満足したのか、夏芽はにこりと笑い眠りに墜ちて行った。

 しっかり壱善の服を握り締めたまま……



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