ひとひら 03


 壱善が出かけてしまうと、途端に部屋は静寂に包まれ夏芽は少し哀しくなる。このままいつまでここに居ていいのかもわからない。自分が何をしたいのかもわからない。

 夏芽はボロアパートに全く似つかわしくないレザーのいかにも高級そうなソファに一人膝を抱えて座りながら、その膝をぎゅっと抱き締め顎をのせて考え込む。

 家には帰れない。例え帰ったところで居場所はない。無条件に家に上げてくれた壱善が、夏芽には神様のように思えた。見た目の無表情で冷たいと印象を抱く壱善の顔も、日が経てば実は微妙によく変化していることがわかる。

 一緒に過ごした数日で、結構何ごとにも冷徹で人によっては怖いとか、冷たい、と言われることもあるが、夏芽には実は結構寂しがりで優しい人と映る。それは願望も入っているのかもしれない。

 だけど、夏芽は今まで無条件で自分を愛してもらったことがない。当然、全く知らない自分を心配してくれる人なんて今までいたはずもなく、気がつけば、一人部屋にいてると壱善のことばかりを考えていた。

『あぁ、もうっ……なんやねんこのうだうだした気持ちは……』

 夏芽はテーブルに置いたもらったばかりの合鍵をみつめ、

『ウゥーッ、明日壱善さん帰って来たら疲れてるやろし、食べに行くんもなんやし、お金あんまりないけど、ぷちお節でも作ろかなぁ……うんっ! そうしよ』

 自分の考えがすごいことのように思えた夏芽は、世間はすでに年越しの用意が済みつつある時間だというのに、スクッと立ち上がり、出かける用意を始めた。

 料理は嫌いではないけれど、そんなに対したものが作れるわけではないので、少し酒の肴になるようなものを何点か作ろうと想像する。

 なんだかそれだけで楽しくなってきた夏芽は走るように少し離れた大型ショッピングセンターに向かった。

 そのショッピングセンターは、早くも新年を祝おうという人で溢れていた。あまりにすごい熱気にタジタジとなりながらも、目当てのものを買い込んだ夏芽は、ふとイベント用に設置された舞台を見て立ち止まった。

 カウントダウンダンスショー

 目に飛び込んで来た文字に何気に興味を持った夏芽は、携帯で時間を確かめ、それがもうすぐ始まることを知る。

『ちょっと見て行こかなぁ……少し遅くなっても大丈夫よな、壱善さん帰ってくんの遅いし……』

 自分の料理の腕を考えない無謀さとも言えたが、夏芽は小さい子のように目を輝かせ、始まるまでプラプラして時間を潰すことにした。

 小学生の頃から

「リズム感いいね」

と言われた。中学の時はよく何人かで授業をサボって廊下で見よう見まねで踊ってみたりもして、先生に怒られたことを懐かしく思いだす。

 踊ることが嫌なことを忘れさせてくれて唯一自分らしい時間だった。それがいつの間にか暴走族に出入りするようになって、そんなことはすっかり忘れてしまっていた。

 プラプラするのもすっかり飽きて、喫煙室で一服してそこに戻るとまさにダンスショーは始まろうとしていた。

 プログラムを渡され、それがアマチュアの集まりで構成されていることを知る。HipHop、ジャズ、ストリート系、キッズとバラエティーに富んでいる。それだけで夏芽はワクワクして、もうすっかり料理のことなど頭から飛んでいた。

 始めは、

『壱善さんと一緒に来たかったなぁ……ちょっと寂しいや』

と思っていた夏芽も、何組か目に登場したチームの踊りが始まると、頭の中が真っ白になるほど興奮していた。

 振動する音楽。凄まじい熱気。激しい鼓動。器用に激しく動く全身。飛び散る汗。空高く飛ぶようなエアプレイ。その強烈な存在が何もかもを圧倒していた。

 忘れていた熱いものが、夏芽の中でふつふつとたぎる。そのリズムに自然なまま身をまかせ、小さく動く。

『結構動くやん、自分の体』

 一曲終わった瞬間、あちこちから

「婆娑羅〜」

「婆娑羅〜、サイコー!!」

と声が飛ぶ。

 踊り集団・婆娑羅

 プログラムに書いてあったのを、夏芽は思い出した。

 祝宴用なのか、派手な赤、橙、黄の幾層ものグラデーションの着物風の衣装。帯紐はそれぞれで、青系、緑系、紫系と多く、足下は白い地下足袋。

 水分補給を終えたメンバーが数人何かを喋っていて、何も見逃すまいと凝視していた夏芽は、その中のただ一人黒い地下足袋を履いた人と目が合った。

「そこの買い物袋下げた兄ちゃん、舞台上がって一緒にどうや?」

 合った瞬間そう誘われた夏芽は目を白黒させた。迷ってる間にあちこちから拍手がおこり、それはもう舞台に上がるしか仕方のない状態になってしまう。オロオロしていた夏芽に声を掛けてきた男が、

「あんま気にせんでええから、思う存分踊り暴れてや。それが、婆娑羅や」

 ニッと笑うその顔はまるでいたずら少年のようだった。



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