ひとひら 02
『なんか、この人メチャかっこいいかも……』
「来な。ラーメンくらい食べさせちゃる」
男はくるりと背中を見せ、夏芽が着いて来ることを確信しているかのようにすたすたと歩いて行く。夏芽が一瞬迷っている間に男は公園の前の道まで行ってしまっていたが、まるで後ろにも目があるかのように、
「早よせぇ、寒いやろ」
と夏芽を急かした。夏芽は頭からかけられたコートをギュッと握りしめ、男の後を小走りで追いかける。心にほわんと小さな温かい灯が燈ったような気がして、夏芽の頬は自然と緩んでいた。
あの夜から夏芽はオンボロアパートの一室に居候している。
あの時ラーメン屋に食べに行くのかと思えば男の部屋に通され、彼自らインスタントだけどラーメンを作り夏芽の前に置いてくれた。
もわっと立ち上ぼる湯気と暖かい匂いに不覚にも夏芽は涙をホロリと零した。
向かいに座った男は自分もラーメンを啜りながら、
「とりあえず食え」
と、そっと夏芽の頭を撫でる。黙ってうなづいて食べ始めたラーメンは、今までに食べたどの食べ物より美味しく思えた。
「おまえ、いつからあそこに座ってたんや?」
暖かい空気に曇った窓ガラス越しに公園を見、男は呆れた様に夏芽に聞いた。
「……夕方くらい?」
「今日はこの冬一番の寒さになる言ってたん知らんのか? そんな薄着で死にたいか?」
「……別にそんなわけやないけど……」
男は歯切れの悪い夏芽に小さく溜め息つき、
「家出か?」
と、尋ねた。
「違うけど……家はない」
「まぁええわ、こんな寒空に放り出すわけに行かんから今日は泊まって行け」
夏芽は少しはにかんで、だけどどことなくホッとした表情を見せながら、
「いいん?」
と、恐る恐る聞き返した。
「あぁ。ただしおまえがヤクザの俺と同じ部屋で大丈夫やったらな」
最後の言葉はほとんど夏芽に届いていなかった。ぱあっと音を立てる様に明るくなる表情にまだ幼さを感じ、男は苦笑した。
「で、おまえ名前は? 俺は芳野壱善や」
「夏芽。……有沢夏芽」
まるで坊さんのような名前だと、夏芽は想いながらペコリと頭を下げた。
壱善に偶然拾われた日を思い出しながら、夏芽は幸福感を感じていた。結局ずるずると四日ほど居座っているが、壱善は出て行けと言うようなこともなく、かと言って居ていいと言われることもなく、夏芽は一日の始まりにはびくびくしながら、それでも今までとは比べることができないくらい、穏やかに過ごしていた。
「夏芽、今日事務所当番やから帰ってこんけど、カウントダウンとか行くんやったらこれ鍵な」
手に落とされた無機質な小さい重み。夏芽は真新しいそれを見、壱善を見、嬉しくて囁くように呟く。
「……これ……」
「合鍵や。なかったら困るやろ?」
「俺、これもらっていん?」
「あかんかったら渡さんやろ? また公園で半凍死状態なられても困るしな」
微妙な言い方に少しガクッとしながらも、夏芽は嬉しくて鍵を握り締める。
「……ありがと」
夏芽の返答に満足したように壱善は薄く笑みを浮かべ、スーツを身に纏い始める。
「なぁ」
「ん?」
「明日、何時に帰ってくんの?」
「……そやなぁ、夕方くらいか? 新年の挨拶回りもあるしな」
「……むぅ……」
途端に不服そうに唸った夏芽に、壱善は笑って
「しゃあないやろ、ヤクザは年末年始有り得んくらい忙しいんや」
と、夏芽の頭をぐしゃぐしゃと音を鳴らすように掻き撫でる。
「……わかってるけど」
夏芽は少し寂しそうに呟いた。
「帰ったら、どっか初詣で行くか?」
壱善のその言葉に、夏芽はとたんにぱぁっと花が咲いたように明るい顔になった。わかりやすい夏芽の表情に
『かわいいやっちゃなぁ』
と、不意に思った壱善は、今までに考えたこともない自分の思考に思わず頭を 抱えそうになった。
『かわいい……? 俺がそんなこと思うわけ……有り得へん……』
壱善は苦悩を振り払うように軽く頭を振り、
「ほな、行って来るわ」
「……行ってらっしゃい、気ぃつけて」
今までの人間性のない無ちぜんは彩色な自分のの日常に鮮やかな色が着いたようで、壱善は自然と顔の筋肉が緩むのを感じた。
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