第5章 02
僕は無我夢中で走った。
走って走って、まるで永遠と続く闇の中を走っているような気がして何度も躓きかけて、それでもかなちゃんの言うとおり後ろを一切見ずにただひたすら前だけ向いて走った。
泣いたらあかん。
振り返ったらあかん。
怖くて怖くて、でも、あきらめたくなかってん。
かなちゃん、お父さん、そしてお兄ちゃんの顔が浮かんできて、僕は今の居場所を失いたくなかった。僕は弱いかもしれないけれど、何もできないかもしれないけれど、それでも立ち向かってこの場所を守らなきゃ……
あの時、お母さんが僕を守ってくれたように、自分の命を懸けて守ってくれたように今度は僕が僕自身を守らなきゃいけない。僕を助けるために立ち向かっていったかなちゃんを、今度は僕が守らなきゃいけない。
真っ暗な中から僕を引っ張り上げてくれたお父さんも、お兄ちゃんも僕が失いたくないものを全て、僕が守らなきゃいけない。
どこまでも続くと思っていた暗い暗いトンネルに、不意に光がさした。
異常なほど早くなった呼吸に、あと少しがんばれと声を掛ける。僕はもう戻らない。長い長いこの暗いトンネルから自分の足で抜け出す。振り返る時は、あの明るいトンネルの外からだけにする。こんなトンネルもあったって、あの光り輝くところから顧みたい。
「在有っ」
僕を呼ぶ声が聞こえて、そのトンネルいっぱいに光が満ちて霧散していく。音もなく光に飲み込まれるように消えていく暗い暗い闇を抜け出した時、僕の目の前には紛れもなく自分の家があった。
長く走ったように思ったけど、それはほんの僅かだったのかもしれない。
家の前に停められた車からお兄ちゃんが降りてくるのが見えた。
「っ……た、すけて……」
小さな小さな自分の声が、自分の中に消えていく。
こんなんじゃ何も守れない。お兄ちゃんだって気づかずに家の中に入ってしまう。僕は、もう何も失いたくない。
「助けてっ。 お兄ちゃん、かなちゃんを、助けてっ」
自分が出せるだけの声を振り絞る。叫ぶ。届いてほしい。
「かなちゃんを助けてッ」
絶叫。
くるりと振り返ったお兄ちゃんが
「在有っ」
と叫んで僕の方に走ってくるのが見えた。
「壱善、在有が来た方向行けッ」
その言葉に僕は安心した。
お兄ちゃんが僕の腕を掴んで抱き留めてくれたことにほっとして、僕の意識は虚ろになる。外の声が聞こえたのか、カメラから不穏な空気を察したのか、わらわらと家の中にいた人たちも出てきて急に慌ただしくなる気配を感じる。
「若」
「古賀、車の用意しておけ。 壱善が向かってる」
「わかりました」
僕の横を幾人も通り過ぎていく音が聞こえ
「在有、もう大丈夫や。 よう頑張ったな」
と、お兄ちゃんの声が聞こえて自分の体がふわりと浮いた。
ああ、もう大丈夫。
残っていた僅かな意識はそこで途切れた。
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