第4章 07


 それからお兄ちゃんが選んでくれた服に着替えて連れ立って家を出た。その時施設から持ってきた服なんかはどうなったんやろって些細なことが僕の頭を掠めたんやけれど、それも、あっと言う間にどこかへ飛んでいってしまった。

 太陽の日差しの暖かい匂いにぽかぽかした陽気と穏やかな空気がお兄ちゃんに手を引かれて歩く僕の気持ちを軽くしてくれる。昨日寝てしまったから分からなかったけど、家のまわりは比較的閑静な住宅地で、そもそもそこにそびえ立つ重々しい黒っぽいビル自体が異様な雰囲気を醸し出してて不釣り合い。ドアを出るとカメラが設置されていて、それもまたこの街並みには似つかわしく異質だった。そうして見ると改めてここはやくざの事務所なんやって実感する。お兄ちゃんが言うには事務所と母屋は続いていて、母屋の方は多少趣味を凝らして日本家屋に日本庭園らしいけど、もっぱら出入りは事務所の方で、母屋から出入りすることは少ないらしい。母屋にもカメラは設置されていて、一応の防犯はしてるらしい。

 もっとも僕にはあんまりよくわからなくて、やくざの家に防犯? って頭の中はハテナでいっぱいになったけど……

 家から出て少し歩くと緑の多い公園が有って緑地公園だと教えてくれた。わりに広いそこには入り口の一番人目に付くところにブランコとか滑り台の遊具があって、砂場は前に誰かが作ったのか小さな山が所々に残ってる。そこから奥に入ると遊歩道になっているのか、ここからは一体その先がどうなっているのかよく見えない。それが、なんだか僕の不安を煽って僕はお兄ちゃんの手をギュッと握る。握り返してくれるお兄ちゃんの手が力強くて僕は仄かに安堵した。公園から少し行ったところにレトロな小さな建物があり、申し訳程度に『かふぇ』と平仮名で書かれた店があってお兄ちゃんがドアを開ける。

 カランと乾いた音が小さく鳴る。

 静寂を破らないように年月とともに変化したような、そんな音で僕をノスタルジックな世界に誘った。

 こじんまりとしたモノトーンを基調とした店内もおしゃれで、なんだか僕を僕のままで受け入れてくれてるみたいな包み込んでくれるような空気もすごく気に入った。そうやってどんどん新しい世界が僕の目の前に広げられていくのかと思ったらすごくわくわくして、なんだかこの先にはいいことしかないような気がして嬉しい。生まれて初めて飲んだコーヒーは、なんだか苦くて僕にはまだ早いなんて思ったけど。

 そんな僕を見てにこやかに笑うお兄ちゃんも、コーヒーを美味しそうに飲むお兄ちゃんも、タバコを粋に吸うお兄ちゃんも、とにかくどのお兄ちゃんもかっこよくてそんなお兄ちゃんとこうやってのんびりした時間を過ごせてる僕はすっごく幸せやなぁって、自然とにこにこと笑顔が溢れてきた。お兄ちゃんにまたここに連れてきてもらうことを約束してもらって、僕は朝のことなんて忘れてちょっとうきうきした気持ちで事務所に戻った。





 もちろんその散歩の間中、組の若い人が護衛のためにこっそり付いてきてたことも知らなかったし、実はお兄ちゃんが今すごく忙しくてほんとは僕にかまってられへんくらいに落ち着かん日々を送ってることも知らなかったし、まさかこれから当分会えないなんて夢にも思わなかったから、この穏やかな時は永遠に続くんやと思ってた。

 お兄ちゃんと散歩に行ってから気が付けば一週間が経っていた。

 その間、僕はお兄ちゃんどころかお父さんにすら会うこともなく、まるで部屋に籠もるようにして過ごした。時々中庭でぼうっとただ時間が流れるままに過ごし、なんとか悪いことを考えへんようにしてたつもりやけど、頭の中で『なんも変わらんのや』って誰かが囁いていた。

 それに気付かないふりをしながら一生懸命『いいこと』を考えようとしてみたんやけど、僕の過去に経験したいいことなんてたかがしれてて、そのいいことすら今日は何も起こらへんかったとかなものだから、なんとも陳腐な話や。そんな当たり前のことが僕にとってのいいことやなんて。

 更に一週間。

 気の狂いそうな長い時間に感じた。

 事務所に詰めている僕の世話をしてくれていた芳野さんも忙しくなって、桂也さんが変わりに世話をしてくれるようになったけど、それが本当に申し訳なくてそしてやるせなかった。

 そんなに年も変わらないのに僕の世話をするハメになった桂也さん。文句言われたことも馬鹿にされたこともないけど、だからこそ余計に身に染みたのかもしれない。

 僕は、なにもできない。

 僕が役にたったのなんて結局玩具みたいに使われている時だけ。所詮、それだけの価値しかない。





 僕は僕自身を僕の手で追い詰める。




 役立たずになった僕をお兄ちゃんもお父さんもきっと持て余してるんだ、と。

 そう思うと僕はいたたまれへんようになって家を飛び出した。どこかに行く当てがあるわけじゃない。ただ、押しつぶされてしまいそうなそれから逃げたかっただけや。お兄ちゃんと散歩に来た公園のベンチの上で三角座りをして顔を埋める。心がきゅうきゅうと軋んでいた。



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