第4章 01


 僕はすごく緊張していた。聖和の家を出てから車に乗った時も、お父さんに話しかけられる時も、初めて入ったお店で服を選んでもらったり髪を切ってもらったりした時も、とにかく緊張していた。だけど今はそれ以上に緊張している。

 新しい服にさっぱりした髪型で車に乗ってから僕は知らない間に寝ちゃって。びっくりした。だっていつの間にかお父さんの肩に頭のせて寝てたんやもん。目が醒めたら途端に不安になってこんなことして怒ってないかなぁってそっと様子を伺ってみる。だけど怒ってるふうではない。一瞬目が合ってその優しそうな色にちょっと安心しながら、だけど僕は見てはいけないものを見ちゃった気分で思わず目を逸した。

 お父さんはそんな僕に気を悪くする事なく僕の頭を撫でてくれた。その上、

「もう言うてる間に着くからな」

と声を掛けてくれる。僕は僅かにうなづいてこの時間がいつまでも終わらんかったらいいのにって思っていた。





 やがて車が停まった場所は、住宅地の一角にある純和風のいかにも高級そうなお店。入り口の門は木造の重厚な趣きで僕は気後れする。門から見える小さいけれど風情ある庭と、赤い番傘に休憩用に設けられた席が別世界のよう。だけど店の入り口は見えなかった。不安になる僕を余所にお父さんは慣れたように入って行き、僕は足が竦んだみたいに動かれへんでいた。

「在有さん」

 古賀さんの落ち着いた渋い声に励まされてようやく僕は一歩踏み出す。今までに見たこともない世界。そして、僕は急に怖くなる。ここでまた何かされるんやろか、と……

 こじんまりとしたまるで個人の家のような玄関を入ると、お父さんと着物を着た女の人が待っていて僕は慌てて靴を脱ぐ。

「あらあら、そんなに慌てなくても大丈夫ですよ」

と、その女の人は柔らかく笑って僕を待ってくれる。その女の人がこの店の『女将』さんだってことを僕は後になって知ったけど、その時はただただ緊張してるだけだった。

 案内された和室は部屋に入る前からとにかく広いことがわかる。外からは想像もつかない。こんなに大きい部屋もあるんだと密かにびっくりしていると、お父さんが先に部屋に入る。途端に、

「お疲れ様ですっ」

と幾人もの声が重なり、僕はその声に部屋に入れなくなった。今までに経験したことのない雰囲気が部屋の外にまで漂って来て僕を不安にさせる。

 このまま帰りたい…… 帰れる場所なんて僕にはどこにもないけど。それでもどことなく怖い雰囲気に僕はすっかり飲まれちゃっておろおろするだけやった。

「在有さん、大丈夫ですよ」

 古賀さんの言葉に後押しされて僕は恐る恐るそこに足を踏み入れた。想像通り大きな部屋には怖そうな雰囲気を漂わせた男の人達が立って待っていた。そこにいるすべての人がみんな黒いスーツを着てその目は威圧的で、僕は思わず視線を落としてしまう。落とした視線の先にお父さんがどかりと座り、ただそれだけのことに僕は安心する。

「お帰り、在有」

 お父さんの右斜め前に立っていた人がすごく大切なモノのように僕に声を掛けてくれてそれを合図にしたように、

「お帰りなさい、在有さんっ」

と深々と一礼される。僕はそれを目の端に留め慌ててペコリと同じように一礼した。

「在有さん、ここに座って下さいね」

 古賀さんに促された席はお父さんの左斜め前のはじめにお帰りと言ってくれた人の前やった。その人はすごくかっこよくて僕が見惚れてるうちに腰を降ろしていた。僕も慌てて指示された席に着きそっと前を伺う。黒いスーツに濃いグレーにシルバーラメの極細の線の入ったネクタイが似合ってる。普通のサラリーマン風には決して見えないけど、どことなく優雅な雰囲気が漂っていて、僕にはどういう仕事の人なのか判断つかなかった。しかもこの部屋に集まっている人達、まるで制服のようにみんなが黒いスーツ姿やったことも僕には不思議で仕方なかった。僕が席につくのを見届けてからみんなが一斉に腰を降ろし、古賀さんと遅れて入って来た運転をしてくれていた芳野さんが自分の席につくと、さっき案内してくれた女の人が入り口付近に座り、

「宮の雪へようこそお越し下さいました。本日はおめでとうございます」

と深々頭を下げる。その時僕は初めてこの店が宮の雪ということを知り、そしてなんのお祝いなんやろうとこんな席は初めてやからわくわくした。女将さんがお酒からと言うのを合図に、樽が運ばれ蓋が打ち割られる。そしたらみんながまた一斉に

「おめでとうございます」

って言って僕は何がなんだか分からなくて目を白黒させて見る。みんなの前にはお酒、僕の前にはジュースが運ばれて、僕は何が何だかわからないまま、乾杯をする。



[ 27/42 ]

[*prev] [next#]
戻る
[しおりを挟む]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -