第3章 02


【車中】

 後部座席のドアを開けた古賀は在有に乗るように勧める。高級感漂う黒いプレジデントは口を開けて待つ悪魔のようで、在有は一瞬躊躇した。

 後部にはかなり濃いフィルムが貼られ、中は外からは見えないだろう。前にはフィルムが貼られていないが、その部分に乗ることなどよっぽどのことがなければないだろう。在有はちらりと後ろに立つ辰二を振り返り、意を決したかのように口元をキュッと結び乗り込んだ。

 初めて乗る高級セダンは、始めに感じた悪魔のような容貌とは裏腹に中は当然のように乗り心地がよく、優しい空間に包まれるような感じで在有は自然と、ホッと、息を吐いた。それを見て辰二はよほど緊張していたのかと小さく笑みを浮かべる。

 在有が奥の席に落ち着きスポーツバッグを抱き抱えたのと同時に辰二が続いて後部座席に滑り込み、それを見計らって古賀がドアを閉めた。重厚な音が在有を少し不安にさせたが、そんなことには誰も気付かず、古賀が助手席に乗り込むと車は静かに滑り出した。ハンドルを握る男は比較的若い男で、黒いスーツをさらりと着こなし少なくとも古賀よりはやくざに見えない。

 聖和の家の門を潜るのをただ黙って見ていた在有は、不意に深く息を吐き出す。いつまでも見ていたいような楽しい思い出があるわけではないが、それでもどんどんと遠ざかる無機質な建物をいつまでもいつまでも振り返って眺めていた。もう二度と戻らない場所だと思うとそれはちっぽけな檻に見えて来るから不思議である。絶対に逃げられないはずの要塞だった。それがいとも簡単に出てしまえることに、在有はどこかで愕然としていた。

「オヤジ、このまま事務所の方へ向っていいですか?」

 運転をしていた男がバックミラーで後ろを見ながら問う。

「……そうやな……いったんいつもの店に行ってくれ。在有の服見繕ってたらいい時間になるやろうから店に直接まわしてくれ」

 辰二が思い巡らすように口にすると、

「わかりました」

と男はすぐさま頭に道を描く。

 辰二は在有を思って随分と服を購入したが、実際目の前に立った在有は想像していたよりも華奢だった。今まで買い込んだ服が全く着れないなんてことはないだろうが、しかし決してぴったりというわけでもないだろうと瞬時に予定を変更した。在有は何がなんだかわからない会話をただ耳に入れながら、流れて行く景色を物珍しそうに眺めていた。

「在有」

 不意に名前を呼ばれて突然会話の中心に引き摺り込まれた在有は、一瞬体をびくっとさせ辰二を振り返る。今までに感じたことのない穏和な名前の呼ばれ方に、警戒心を解かない在有を少し哀しげに見て、辰二は

「運転してる奴が、芳野や」

と男を紹介する。芳野と呼ばれた男は、ちらりとバックミラーで在有に視線をやりながら、

「芳野です」

と軽く頭を下げた。在有はそれを見て慌てたようにペコリと頭を下げる。辰二はふわりと笑って在有の頭を撫でた。在有の頭に手が近付いた瞬間、在有が怯えたように辰二を見たことに、辰二も古賀もそして芳野も気が付いた。ただ、何も口にせず辰二は在有が怯えないようにそっと手を引いた。

「事務所に連絡入れときます」

 古賀が取り繕うように言い、車中の雰囲気が悪くなることもなく車が進んで行くことに在有は心底ホッとした。が、それも束の間で、古賀が電話に話かける言葉遣いにびっくりして古賀をまじまじと見るはめになる。

「……おぅ、古賀や。 坊ン、おるか?」

 あんまりびっくりした在有はなんとなくいたたまれなくなって、また視線を窓の外に戻した。スモークガラスが色濃くて窓から見える景色はどこまで行っても宵闇が続き、それはそれで物珍しく楽しかった。高速のゲートを潜り、在有はもうすでにそこがどこで、これからどこへ向かおうとしているのかわからなかった。辰二はそんな在有を見つめもっと早く迎えに来なかったことを後悔していた。



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