第3章 01


 その日もいつもと変わらない朝やった。

 僕は部屋の隅に敷いた布団にできるだけ小さく丸くなって眠るのがくせになっていて、今日も変わらずその状態で目が覚めた。膝をギュッと抱えて身を守るようにしてから、起きようって弾みをつける。

「おい」

 そう思った途端、庄能の後に同室になった府島先生の信望者に布団から引っ張り出されて髪を掴まれ上を向かされる。

「歯、立てんなよ」

 僕の意思なんて無視されていつも無理矢理使われるのに、なぜか今日に限って僕は弱々しい力で抵抗する。それが気に入らんのか突然怒り出したそいつに、僕は思いっきり殴られそしてなすがままに使われる。顔を殴られるんは久し振りで、きっと腫れてるんやろなぁってぼんやり考える。

 なんにも変わらない朝。

 ……もう、やだな。体の痛みより数倍心の痛みの方が大きい。もうすぐ、僕は壊れてしまう……





 昼過ぎになって、僕は突然園長先生に呼ばれた。ちょうど府島先生に使われて、のろのろと服を身に着けていた僕は、体内に残された物を洗い流すこともできずに職員室に連れて行かれた。府島先生は職員室のドアに手をかけた僕の肩を掴み、

「在有、よけいなこと言うなよ。おまえが望んだことや」

と、釘を刺される。そう…… 僕が望んだこと。救いの手やと思って差し延べられた手を僕自身が掴んで、それはなんにも変わらない選択だった、ただそれだけのこと…… 職員室に入って普段ほとんど会うことのない園長先生の前に立ち、園長先生の顰めた眉を見て僕は途端に不安になる。反射的に俯いた時に目の端に捉えたのは知らない男の人が三人。

 急に怖くなって、僕は思わず後退る。だって…… きっともっと酷いことがおこるんやって思ったんやもん。

 三人のうち、座っていた男の人で線の細い眼鏡をかけた人が僕を見て一瞬息を飲み、その隣りに座っていた少し怖い感じの人が立ち上がって

「在有」

って、なんだか悲しそうな声で僕を呼ぶ。

「鵜道くん」

 園長先生が逃げようとする僕の手を掴み、

「お父さんが迎えに来てくれたんや。 とにかくそこに座りなさい」

と僕を促した。

「お、父さん……?」

「そうや」

 どっちの人やろう…… そういえば本当のお父さんの顔なんて長い間思い出したことも考えたこともなかった。不意にそんな些細な事実に気付いて僕は呆然と立ち尽くした。

「これはどういうことですか、園長先生」

 僕が惚けて立ち尽くしていると突然怒声が耳に入って来て思わずビクッとなる。線の細い男の人が猛烈に怒っていて僕はだんだん怖くなる。園長先生がしどろもどろに何か言っていたけど僕の耳には入ってこん。何をそんなに怒ってんのかわからへん。隣りに座る僕のお父さんだと言う人も、すごく怖い顔をして園長先生を睨みつけている。僕、知らん間になんか怒らすようなことしてしまったんやろか…… 僕はいっつも人を怒らせちゃう。 怖い……

「……ご、ごめ、なさい……」

 俯いて服の裾をキュッて握り呟く。全ての視線が自分に集まっているような気がした。長い時間がたったような気がしたけど多分それは一瞬ことやったんやろ…… 不意にはっきりした意思の言葉が静寂を破り、僕の運命を大きく変えた。

「在有は俺の子や。今すぐ連れて帰る。あとのことはきっちり話しさせてもらう」

 すごく威圧感のある一言に、誰も口を開かない。俺の子って言ってもらえたことが僕にはすごく嬉しい。

「在有」

 今までの威圧感漂う言い方とは全然違いどこか優しげな声が僕にかけられる。

「用意してき」

 なんとなく嬉しいのにどうしたらいいんかわからんくておろおろする僕を見て、

「古賀、在有と一緒に行ってやってくれ」

と、後ろに立つ人に言う。

「はい。在有さん、行きましょうか」

 古賀さんは僕を促し、周りに有無を言わさず職員室から出る。ここから出れるんや… いつか夢見たことが突然真実になったことに僕は微かな希望を見出した。荷物という荷物はほとんどないけど、それでもスポーツバッグにギュウギュウって詰めて、だけどどこかでこれは夢ちゃうんやろかって…… どうせ覚めるならあんまり期待させんといてってどこかで祈りながら…… 僕が詰め込んだバッグを抱え込んだ時、僕について来た古賀さんが、

「持ちましょう」

と僕の荷物を持ってくれた。 ……覚めない、夢なんかな…… 僕と古賀さんが職員室に戻るとそこは険悪なムードに包まれていて、僕は思わず古賀さんの後ろに隠れる。園長先生の怒りとも不安とも取れるような真っ青な顔が厳しい目で府島先生を見、時々伺うようにお父さんと相談所員を交互に見ている。まるで挙動不審の怪しい人みたいに落ち着かない。沈黙の中、僕もどうしていいのかわからずおろおろとし、ただひたすら古賀さんの後ろに隠れていた。

「在有、用意できたか?」

 不意にお父さんに尋ねられ、僕は小さくうなづく。

「ほな、行こか」

 お父さんは僕に笑って言い、

「先生、後のことはうちの弁護士通して下さい」

と穏やかに園長先生と相談所員に言った。空気がぴりぴりと振動したみたいな緊張感の中、僕は府島先生を盗み見すると、先生は真っ青な顔で僕から目を逸した。職員室を出て自分の一足しかないくたびれたスニーカーと、お父さんと古賀さんのぴかぴかの黒い革靴を見比べて僕はなんだかちょっとだけ恥ずかしいような気がした。

 聖和の家から見える外の空がどこまでも水色で、空の色がこんなに綺麗やったことを思い出す。

 くしゃっ。不意にお父さんの大きな手が僕の頭を撫でて僕はようやく実感した。もうここには戻らなくていいんだと言うことを。



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