第2章 10


【鵜道組組事務所】

 その頃、鵜道組組事務所は異様な緊張感に包まれていた。

 奥の部屋では鵜道組組長の鵜道辰二と若頭の軍嗣、そして若頭補佐の古賀龍惺が籠って何やら朝から話し込んでいる。

 最近はなんて抗争も揉め事も起こっていないが、そこは極道の世界である。いついかなる時に何が起こるか分からないのが常である。しかしいくら血の気の多い者達の集まりとはいえ平和がいいに決まっている。事務所に詰めている若い衆達は幹部が首を揃えて話している奥が気になり、何事が始まるのかとどんどんと緊張が高まっているのである。

 その緊張が最高潮に達しようかと言う時、奥の部屋のドアが開き辰二が飄々とでてきた。往年の俳優のような優雅な立ち振る舞いと、お洒落な服装、その身にミスマッチな威圧感がなければ誰も辰二をヤクザだとは思わないだろう。そんな辰二の登場に若い衆は慌てて立ち上がり直立不動になる。

「私的なことで協力してもらわなあかんことになると思うけど、今、施設にいる在有を引き取るつもりでおる。組も落ち着いてきたしな」

 辰二は一旦言葉を切りそこに集まる若い衆をぐるりとみた。

「ここにおるもんは知らんと思うが、幹部連中、みんな承諾してくれてる。過去にいろいろあったから何かと難しいこともあると思うが、よろしく頼む」

 辰二がそのまま頭を下げたものだから皆が一瞬呆然となり、そして我に返った者から慌てて深々と礼をする。その時、若い衆達は猛烈に感動していた。辰二はいわば憧れの人である。この道に進んだ理由はそれぞれにあって、ただ何気に選んでしまった者もいたが、最終的には辰二の人柄に惚れこんだ者の集まりである。

 その辰二が頭を下げたのである。

 何があってもついて行こう、と一気に結束したのも無理のない話である。

 在有と面識はないが、古参の組員に飲みに連れて行ってもらうと必ずと言っていいほど一度は在有の話になった。もちろんそれはまだここにいた頃の幼い話ではあったが、だからかなんとなく全く知らないと言う気がしないのである。

 それは俄かに楽しみな話になって、事務所内にはさっきまでの殺伐とした雰囲気がなくなり、驚くほどの穏やかな空気が満ち溢れる。まるでそれを見計らったかのように、

「桂也」

といつの間にか辰二の後ろにいた古賀が、まだ幼さの残る、しかしどこかふてぶてしさを持ち合わせた少年を呼ぶ。桂也は不意に呼ばれた自分の名前に戸惑いながら、

「はい」

と古賀に向き直る。

「おまえ、確か施設上がりやったな」

「そうです」

「いろいろ話し聞きたいから時間取ってくれ」

「あ、はい。俺はいつでも」

「頼んだぞ」

「はい」

 自分にしかできない仕事をもらったかのように喜ぶ桂也の顔に、古賀は苦笑を漏らした。

 それからはとにかく慌ただしい日々だった。在有の今いるホームは、軍嗣が3年前の電話を明確に記憶していたことですぐにわかった。相談所員と辰二が何度も何度も話し合いを重ねる。やはりネックになるのは辰二の職業で、3年前に在有を迎えにこれなかった原因であった。

 それでも辰二は通い続けた。

 その熱意に負けた相談所員は、やはり最終的には親が在有を支えるだろうと決断付けた。虐待を受け、実の母親を目の前で殺された在有。少人数制できめ細かいケアが可能な聖和の家で少しでも元気になっていればいい。

 相談所員は、何も知らなかった。何も知らないからこそそう思っていた。

 聖和の家を訪れる日が決まると、鵜道組は大きい祭りの前のように静かな、だけどうねるような熱気に包まれていた。





 そんな中、桂也は一人お祭り気分とは程遠い、忙しさと緊張の連続を味わっていた。毎日のように古賀に施設の話を聞かれる。



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