第2章 08


「在有、おまえ賢いわ」

 まるで僕の考えが分かったかのように、府島先生が言う。同時に僕の足から抜いたズボンを、床に放り投げる。

 それは合図。

 また同じ日が始まる合図。抜けられない蟻地獄のように、巧妙に僕を取り巻きまるで僕を食い潰そうとする。僕は何も感じない人形になってしまいたい。どんなことが起こっても、何も感じないように……

 僕が考えに耽ってる間に、府島先生は僕の体中をまさぐり、まるで荷物を抱えるようにひょいっと裏返す。

「軽いなぁ」

 意外だったんか、想像通りだったんか、わからんような口調で言う。僕は息を飲み体を強張らせる。

「そんな硬くならんでええ」

『……そんなん言われたって……』

 嫌なもんは嫌なんやから仕方ない。僕はますます体を強張らせて、シーツが破れるんちゃうかってくらい、力いっぱい握り締める。

「在有、ちゃんと言うこと聞けやんのやったら庄能に渡すぞ」

 その一言に僕は軽いパニックを起こしながら、体の強張りを解こうと試みる。

 ゆるゆると僕自身をなぶられ、僕はギュッと目を瞑り、現実から逃げようとする。だけどそのたびに僕は府島先生の手で現実に連れ戻され、自分の声やと信じたない甘い吐息が浅い呼吸とともに漏れる。どんなに嫌やのにって心で拒絶しても、体は心とは別物みたいに快楽を追う。その追った快楽は大きすぎて、未熟でまだ幼い僕はひとたまりもなくて、心はどんどん置き去りになっていく。

「気持ちいんか? ん?」

 僕は必死で何かを振り払うかのように首を横に振る。気がつけば涙が零れていて、それを空いた方の大きな手で拭われた。

「泣くほどいいんか」

 府島先生の白々しい言葉に僕は為す術もなく更に激しく首を振る。途端に今までただ快楽だけを与えられていた僕自身をギュッと握られ、僕は思わず息を飲み込んだ。

 僕に許された言葉は一つだけ……

 それはどうしても僕が否定したい言葉だったから、僕は快楽と苦痛の狭間でどうしようもできへん。府島先生はそんなことはとうにお見通しやったみたいで、意地悪く一番聞きたくない言葉を紡ぐ。

「在有が素直になられへんのやったら部屋に帰すまでやな。やり方の知らん庄能にまた傷付けられて痛い思いすんのは在有や。どっちでもええで?」

 シーツを握る手に異様なくらい力が入る。

「気持ちいんやろ?」

 まるで甘美な誘惑のようやった。僕には選ぶ権利はない。ただ導かれる答えに翻弄されて、心はどんどん凍って行く。

 凍らさんと、壊れる……

 僕は力なく頷いた。うなづいてしまえばもう済し崩しやった。僕はただ快楽だけを追い、自分の心は深い深い場所へと追いやる。そうしないと簡単に壊れてしまう。僕はそう思ったけど、実際はもうとっくに壊れてしまったんかもしれへん。

 次から次へと零れ墜ちる涙は、心の欠片。それすら零れ無くなった時、僕の心も無くなってしまうんかもしれへん。どこか冷静に僕自身を見下ろし、僕はどうでもいいことを考える。どうやってここから抜け出すかなんてことは、まるっきり考えられへんかった。

 府島先生の声すら聞こえない。僕のまわりには、僕自身の聞きたくない喘ぎ声だけが広がり、他に何の物音すら聞こえない静寂の世界だけ。





 府島先生は言った通り、僕を傷つけることはなかった。だけど僕にとってどっちがよかったのか、わからへん。
府島先生が休みの時を除いて、それは毎日毎日、終わることなく一月続いた。僕は毎日いつ来るか分からない恐怖に怯えて、そしていつの間にか期待に待ち焦がれる。

 ただ少し、ほんの少しだけ我慢して、ち ゃんと府島先生の言うこと聞いて、一生懸命言われたことをすれば、殴られることもなく、安全な場所を確保することができる。

 それが僕にできること。

 たった一つ僕にできること……



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