第1章 05
僕が発見されたのは朝だった。微かに差し込んでくる朝の光がおびただしい赤い血をどす黒く見せ、お母さんの失われた体温を鮮明に感じさせた。唐突に、ガチャガチャとドアの鍵が外される音がして、神聖な光が僕の眼を射る。
「夜中、すごい叫び声と音がしたんですよ」
聞き慣れた声は多分隣りのおばさんやろう。
「大家さん、夜中電話しても全然でてくれへんし」
「すいません、昨日は救急病院の付き添いですわ、一階の……」
もう一つの男の人の声は、ほとんど挨拶しかしたことのない大家さんやろう。
「五条さん、五条さん入りますよぉ」
どこか間の抜けた声が張り上げられ、僕は返事することもなくその光を見ていた。自分が真っ赤に染まり、それでも鼓動していることに違和感を感じていた。
『お母さん、こんなに冷たなってんのに……』
もう動かないお母さんを想いながら、また涙が零れる。
「っひっ! 大家さん、け、警察っ、早く、警察電話してっ」
先に入って来たんやろうおばさんの金切声が空を裂き、大家さんが息を飲むんを微かに聞く。
「……在有くんっ! 在有くんどこ?」
おばさんが不意に僕の名前を叫んだ。僕は無意識に手を伸ばして光を掴もうとした。その光を掴めばすべてが元に戻るような、そんな気がした。 少ししておばさんが僕の手を見つけて、
「在有くんっ」
叫び声とともに駆け寄って僕の手を掴む。僕は光を掴めやんようになったけど、その温もりにおばさんの手をギュッと握った。おばさんは僕からお母さんを離そうとしたけど、お母さんはまるで僕を守るように、固く固く抱き締めていてピクリともせんかった。
「大家さんっ! 在有くんここにおんねん! 奏見さんの下で……早よきて手伝ってっ」
大家さんの慌てたような足音と、遠くに微かにパトカーと救急車のサイレンの音が聞こえた。
「……お母さん……お母さ、ん……」
「大丈夫、在有くん大丈夫、もう大丈夫やよ」
おばさんが更に僕の手を握りしめてくれた。やがてがやがやと騒々しい音と共に警察官が入って来て、しばらくするとお母さんは寝かされた。寝かされた、と言っても僕を抱いていた状態で体は硬直してしまっていたようで、そのままの形で横に寝かせられる様は僕の目から見ても異様で、その光景が目の裏側にまで焼き付いた。
支えを無くした僕は、自分で自身を支えることができへんくて静かに静かに体が傾いていった。ドンッと小さく音を立てて床に崩れ落ちた僕を見て、その場にいた大人の息を飲む声が聞こえた。
「……毛布ッ」
おばさんの悲痛な叫び声に、僕がどんな姿をしてお母さんに抱き締められていたのか思い出し、僕はまるで僕自身が汚いものになったような気がして
「っやぁぁぁ……」
と叫んでいた。
「在有くんっ」
毛布を手に走り寄って来たおばさんは、毛布で僕をしっかりくるんで抱き締め頭をそっと撫でてくれた。だけど僕は急に怖くなって、
「やだっ……やっ……」
叫びながらおばさんを突き放そうと試みた。おばさんはものともせず黙って他の目から僕を隠すようにしっかりと抱いてくれる。毛布に隠された僕の体は無数の痣に包まれ、下半身は不様に晒され、誰が見ても普通と言えるもんやない。
遅れて到着した救急隊員に毛布ごと引き渡された僕は、もうどうしても現実を見続けることが出来ずに、そっと意識を手放した。
「……お、母さん……助け、て……」
結局僕は数週間をしゃべることもできへんままに病院で過ごし、傷が癒えた頃、心に深い傷を残したまま、状況が状況やからと少人数でアットホームでケアに的してるだろうと、聖和の家と言う養護施設へと移された。
その時、僕は初めて鵜道在有と言う名前のままやと知った。そして、父親がヤクザやと言うことも……
僕はただ願ってた。ひたすらひたすら願ってた。
『どうか神様、僕を助けて……』
と。
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