第2章 08
楽しい時間はあっという間に過ぎる。
その言葉を知っていても、今までの黒守にはその経験がなかった。確かに両親ができ、高校に入り友達と呼べる存在も出来たが、どこかで必死になり、手探りでやってきたように思う。昔の仲間とただ珈琲を飲みながら話をし、昔話に爆笑をし、気がつけば外は暗くなっていた。そんなに長い事話をしていた感覚のない黒守に、雅海が
「楽しい時間はあっという間に過ぎるよなあ」
とぼやいたのがきっかけで、実感した。ふっと笑みを零した黒守に秀至は
「なになに、実感?」
とにやにやして聞いてきたので、黒守は苦笑を返した。当時はまさかこんな関係が気付けるようになるとは思わなかった。楽しいと感じることの自分もいなかった。何もかもが殺伐として、何もかもにそっぽ向いていたことが今では良くわかる。と同時に、いくらなんでもそろそろ心配してるだろう晴陽のことも容易く思い浮かんで、
「悪いけど、そろそろ行くわ」
と告げた。このまま終りと言う事も無いだろう。その反面このまま終りになったら寂しい。
「また、来いよ。 俺はほぼ一日中ここにおるし」
厚木の言葉が嬉しい。これで終わりではないと言う確証が黒守をホッとさせる。
「いや待て待て、取り合えず最後に、携帯」
雅海が焦ったように言い、自分の携帯を取り出す。
「お、そだな」
便乗して秀至が、ちょっと待てよ、と手を洗ってから厚木が。最後に黒守が大事そうに携帯を取り出すのを見て、4人はにやりと笑った。
「これで簡単に消えられないからな、黒守」
雅海の捨て台詞に
「俺かよ」
と言いながらも黒守の心は温かくなった。
「また来る」
「ああ、気をつけて帰れよ」
「黒守、送るよ」
「いや、いい。 親父がこの近くにいてるから連絡しろってメール来てた」
「そっか、じゃあ今度な。 あ、高校の友達連れて来いよ、元情報屋」
「ああ、言っとく」
後ろ髪惹かれるような寂しさを断ち切るようにしてドアを開ければ、からんと優しい音が鳴り、黒守は唐突に自分が幸せだと思った。振り返ることなく店を後にしたが、きっと優しい光に包まれていて、自分の一つの指標になるだろう。
煕一郎に連絡をしようと手にした電話を少し眺める。煕一郎と晴陽と翔の連絡先しか入ってなかった電話には、今は成久や雅海、秀至、厚木が追加されている。
真っ暗だった。一筋の光も届かない真っ暗な世界を闇雲に歩いていた。それが自分の世界だったことが嘘のようだ。今はあちこちから行く筋もの光が入ってくる。どの光を辿って行っても一つの所に光が集まっている。携帯を一度ぐっと握りしめ、煕一郎に連絡する。
心配した晴陽がきっと迎えに行って欲しいと泣きついたのだろう。近くに止めてあったのだろう煕一郎の車がすっと寄ってきた。黒塗りのいかにもな高級車だが、黒守は幸せの象徴のようだとすっと目を細めた。すぐに自分の思考回路に身悶えるほどの恥ずかしさを感じたが。
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