第2章 07
車を降り、黒守は大きく息を吸った。それを横目に笑うように表情を緩ませる雅海のことはこの際無視である。
「懐かしいか?」
「いや、ああ……」
何ともはっきりしない黒守を急かすことも責めることもせず雅海は店のドアを開けた。
あの頃と同じ空気のはずなのに、まるで違うような気もするし全く変わっていないような気もする。それは懐かしくもあり新鮮でもあり奇妙な体験だった
「先入っておこうか?」
「いや、行く」
雅海に続いて入ったそこは、思っていた以上に明るい雰囲気のカフェバーだった。窓が多いことも一つだが、内装が淡い色に纏められ、どちらかと言うと女性が好みそうな店で、黒守は落ち着かない。
「いらっしゃいませ……って雅海か」
「ご挨拶やな。 今日は珍しい客連れてきたって言うのに」
「珍しい客? ……ってお前、“レン”、か?」
オーナーと思わしき、これまたこの店に不釣り合いな厳つい顔をした大柄な男が、雅海の影に隠れるようになっていた黒守を見つけて、驚いたような懐かしい様なよくわからない変な顔をして尋ねた。
その顔を見た黒守は、ああ、こいつにも心配をかけていたんだと理解し、困ったような顔で
「……久しぶり」
と、先程雅海が言った言葉を呟いた。
「……久しぶり……じゃないだろうがよ、お前は。 俺らがどれだけッ」
「……悪かった」
黒守にはそうとしか言えなかった。何を言っても納得しないだろうし、心配をかけたことも事実である。今の黒守は他人の事を省みることのなかった当時とは違う。
「……謝られると、なんか拍子抜けるよな……」
カウンターに座っていたもう一人が苦笑しながら二人に告げ、雅海はけらけらと笑った。
あの時は煩わしいと思っていた空気と全く同じ空気がそこに漂っていたが、それがこんなにも心地いいものなのだと黒守は初めて知った。
変わらない。
何も変わらない。過ぎ去った時間を感じる間もなく、ただそこにはあの時の時間があった。一蓮托生。ふとその言葉が浮かび、黒守の心はじわじわと温かいものに包まれた。
「じゃあ、も一回改めて自己紹介しようか、黒守」
雅海の人の悪いおちょっ喰った顔に嫌そうな顔をしながらも、黒守は
「神薙黒守」
と名乗った。
「……お前、どこから“レン”て名乗ったわけ?」
雅海と同じセリフを、カウンターに座って優雅に珈琲を飲んでいた男が呆れたように言った。
「仕方ないだろ、当時はまだ神薙じゃなかったんやから。 蓮城黒守、だから“レン”」
意外に子供っぽい言い方になってしまったと仏頂面をした黒守に
「ああ、なるほどね。 やっぱりお前、舞姫鬼神の身内やったわけや。 あ、俺は綿口秀至。 今はこう見えて大学生。 そこの感情むき出しのあほと同い年や」
「秀至、お前なあ…… 俺は狭山厚木」
「シュウに、アツ」
「なんだ、おぼえてんじゃん」
あからさまにホッとした顔を見せたのは喰ってかかってきた厚木の方だった。秀至は穏やかな顔で笑っている。
「積もる話もあるし、時間いけんだろ? しょうがねえから珈琲奢ってやるよ、座れよ、黒守」
厚木の嬉しそうな顔に頷きながら秀至の隣に、黒守、雅海と座った。
「あんなに喧嘩っ早かった奴なのに、こいつの珈琲は優しいから、病み付きになるかもよ、黒守」
厚木や、秀至のさりげない優しさと、前からそう呼んでいたように呼ばれる自分の名前に、黒守のどちらかと言えば無表情な顔も穏やかに笑みを湛えていた。
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