第2章 01


 薄紅色に染まった空間に最後の桜が舞い散る中をぼんやりと歩きながら、入学式から数日経ったのだと黒守は目に焼き付けるように魅入った。

 学校の思い出といえば小学校で終わっている黒守にとって久しぶりの行事は、長い祝辞や堅苦しい話しに苦痛を感じながらも新鮮だった。ろくに中学には行かず、まして卒業の時期には少年院にいて実際卒業していたのかどうかすら怪しい自分がその厳かな席に座っていることが感慨深く、思い返して少々うんざりしながら、それでも黒守は親が出席してくれたことを嬉しく思っていた。

 どんなイベントも行事も、いつも一人だった。親がきてくれることは羨ましく、そして憧れだった。高校の入学式となると来ている親の数も相当少なく、こんなにも気恥ずかしいものだとは思ってもみなかったが、晴陽が帰り、一人になって寂しいと感じ、これが俗に言うホームシックと言うものなのかと少し感動した。

 何もかもが始めての経験だった。

「休みは帰って来い、か」

 晴陽が帰りがけにいった言葉を思い出す。

 毎日電話してね、無理ならメールしてね、それも無理なら休みには必ず帰って来てね。

 繰返し紡がれるその言葉は温かく黒守を包み込み、穏やかな気持ちにさせる。一人でないと言うことがこんなにも心強くいれるのだと顔が綻ぶ。

 黒守の心を暖かくするのは晴陽だけではない。決して甘い顔を見せない熙一郎が入学前に連れて行ってくれた始めての家族旅行でのことは深く心に沁みている。

「風呂に行くか」

と言われた時は正直、どきりとした。

 どきり、どころかかなり焦っていた。例え熙一郎であっても刺青を見られたくなかったのもあるし、そもそも公共の場である風呂で刺青を見せていいのかという悩みもあった。

 そんな黒守の気持ちを知ってか知らずか、少しばかり表情を弛めた熙一郎は

「ここは露天風呂が各部屋についてるから何の心配もいらん」

と、黒守を安心させそしてまた黒守を躊躇わせる。

「黒守、おまえの背中のもんは聞いて知ってる」

 止めを刺すかのように告げられたその一言で覚悟を決めた黒守は、思った以上に広いその露天風呂で熙一郎の背負う刺青を見、ほっと一息吐き出した。

 何かを話すわけでもなく、人里離れた静寂と漆黒の闇の中でお湯の動く音と仄かな月灯りだけが二人を包む。小さなことを気にしているのが馬鹿らしくなるような長閑さでまるで宇宙に一人漂っているような錯覚すら覚える。

「子供ができんかったんは、儂の日頃の行いのせいやと思ってた」

 不意に熙一郎がぽつんとこぼした。

「儂はそれも仕方ない思ってたけど晴陽には可哀想なことしてしまった思ってな。 ……今になってなんで子供ができんかったんかようわかったわ。 黒守。 お前に会うためや。 お前が儂らの子供として儂らの元に来てくれることが決まってたんやなあ」

 まるで独り言のようなそれを、黒守は黙って聞いていた。ポチャンと間の抜けた音だけが響く。

「お前ににとってうちは決して居心地いいもんやないやろ。 若い衆もごろごろおるし、人相の悪いのも出入りする。 年齢的に小さいならまだしも、儂の子や言うてもその年じゃ勘ぐるやつもおる。 跡目をぽっと出のお前に譲る気ちゃうか? てな。 表向き敵意丸出しにすることもできへんからどこかよそよそしいし、警戒もしてる。 そんな状況でお前も辛いんわかってる。 それでも、それでもや、お前には儂らの子でおって欲しいし、儂にお前を守らせて欲しい」

 ぽたりぽたりと水面に波紋を作っていくそれをごまかすように、黒守はお湯を掬ってじゃぶじゃぶと顔を洗う。それでも止めどなく流れ落ちる涙をどうすることもできなかった。

「そんな哀しい泣き方すんな」

 顔を肩に押し付けるように抱きしめられて、声を殺して、しゃくりあげながら泣き続ける黒守の頭を、熙一郎はいつまでも撫で続けた。



 ふと、肌寒さを感じて我に返る。いつの間にか宵闇が迫り長い時間桜を見ていたことに気付き苦笑いする。既に人気はない。熙一郎と晴陽のことを思い出して暖かくなった心で、大丈夫、うまくやっていける、そう思って一つ深呼吸をし、マンションへと続く道を歩く。二年遅れはしたが、憧れて焦がれてそして諦めていた高校生活の幕開けである。



[ 11/19 ]

[*prev] [next#]
戻る
[しおりを挟む]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -