第1章 07


 カーテンを通した柔らかい光にゆっくりと部屋が明るくなる。そんな朝を何回繰り返しても、黒守にはまだ慣れることができなくて、ベッドに身を起こして戸惑う。

 暖かく弾むベッド。誰一人いない、黒守だけの静かな朝の時間。

 人から見れば当たり前の事かも知れないが、黒守にとって最高の幸せ。その幸せをいつまでも噛み締めていたいが、そうもいかないことは、ここで初めて起きた朝に経験済みである。

 黒守がこの暖かい場所を持つことが初めてならば、晴陽もまた子供を持つことが初めてなのである。嬉しくて嬉しくて仕方がないという晴陽の想いは、超が付くほどの過保護となって現れたようで、朝、一定時間になると上に様子を見に上がって来るのだ。初日は嬉しくて出遅れてしまったために、上がってきた晴陽にしっかりと着替えも見られてしまった黒守にとって、朝は気を抜いてはいけない時間となった。

 しかし、晴陽が上がってくることに文句を言う気はない。きっと、黒守が自分の息子として存在することは夢で、醒めてしまうのではと疑っているのだ。その気持ちは、黒守も痛い程よくわかる。黒守も同じことを恐怖として感じるからだ。だからと言って、一応黒守も年頃の男。朝から晴陽に飛び込まれるなど、思わず固まってしまうようなことは避けたい。

 それに、黒守には極悪な刺青がある。

 先日は間一髪、隠し通せたが、あまり見せたいものでもなかった。もっとも、晴陽は神薙組の姐であるから、そんな物、見慣れてはいるかもしれないが、それが原因でいらないと言われたくないのが心情。刺青に決して後悔は無いものの、黒守はどうしても知られたくないと思ってしまうのだ。

 気怠い朝の幸せを噛み締める間もなく、黒守はいそいそと着替え始めた。

 今日は、いつもと違う。

 普段ならお気に入りのモノトーン系の服を着て、かろうじて手元に残っていたシルバーアクセサリーで着飾るところだが、今日着る服は高校の制服。自分が高校の制服を着る日が来るとは思っていなかった黒守は、少し気恥ずかしく想いながらも感慨深気に手に取った。

 ダークグレーのズボンとブレザー。真っ白な開襟シャツは、正直学校指定のものではないが、それでもこれからの新しい生活の象徴のようで、純粋に嬉しい。

 一年生であることを示す少し鮮やかな牡丹色のネクタイは、17歳でありながら一年生と言うことを強調しているようで、少し恥ずかしいがそれでも背に背負う牡丹の色と相俟って勇気づけられるような気がする。

 全てが絶対に自分には考えられない世界だった。想像もしたことがなかった。

 ひとつひとつを身につけて、ネクタイを首に引っかけるようにしてつけ、なんとなく寂しく感じて、シルバーのネックレスとブレスレットを身につけて仕上げる。

 灰色の瞳も、この制服であれば目立たないような気がするから不思議なものだ。アッシュブラウンの髪は結局染めることもせず少し短めに切って、雰囲気を変えることで落ち着いた。おかげでどうにも不真面目そうに見えるが、元々真面目なわけではない、とそこは開き直ってしまっている。

 財布に、煕一郎が買ってくれた携帯、そして晴陽の買ってきたシンプルな、しかしいかにも高級とわかるデザインの時計を手に部屋を出る。

 黒守が通える高校は、残念なことに皆無に等しかった。過去を問題にし受け入れを拒否したところもあれば、純粋に勉強の方で駄目だったところもある。それでも二人は諦めず探してくれ、ようやく受け入れてくれるところが見つかったのだが、しかし、それは家族を引き離すかのように少しばかり遠く、すぐさま煕一郎はオートロックで比較的セキュリティに力をいれた新築マンションの一部屋を黒守にと借りた。離れ離れになることが寂しいとここのところ毎日のように嘆いていた晴陽も、今日は一緒である。まさか晴陽が挨拶がてら入学式についてくると言い出すとは考えもしなかったが、黒守は照れくささよりも素直に嬉しいと感じていた。

 晴陽の喜ぶ顔が浮かび黒守も自然と笑顔になる。

「黒守?」

 とんとんと階段を上がる音と呼ばれる自分の名前。これが、合図。

 黒守は名前を呼んでくれる人に感謝しながら部屋の外へ足を踏み出した。

「おはよ、……か、母さん」

 初めて口にしたそれは、身悶えるくらいに恥ずかしかったが、びっくりしたような晴陽の顔に満面の笑みが浮かび、

「おはよ、黒守」

と返してくれた時には、言って良かったと心底思った。

 数ヶ月のぎこちない、遠慮の塊のような家族ごっこも、離れ離れになる前に新しい一歩を踏み出せたらいい、と思っていた黒守はほっと息を吐いた。少し緊張していたようだと、気付かれないように苦笑いでごまかして。

「似合ってるやない、その制服。 今日から高校生やね」

「……ちょっと微妙やけどね」

と神妙に返せば

「大丈夫」

と、晴陽は根拠も何もない太鼓判を押して、黒守を安心させた。

 暖かい朝食と、優しい母、照れ隠しか苦虫潰したような顔の父、そして自分。

 黒守は穏やかな高揚感に身を包み、しみじみと幸せを噛み締めた。

 帰る場所はいつでもあるのだと父母の穏やかな温もりが、黒守に告げていた。



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